FNo.3 103号室 メリアル
あたしに羽が生えたとき、周りの人は私を崇め奉った。
ただ自分を肯定するための拠り所として。
その苦しみも、痛みも何にも知らずに……
“神の落し子”
果たしてその子は本当に天使なのだろうか、
みんなが見ようとしないだけで本当は堕天使ではないのか。
問いかけをしても無意味だった。誰も聞いてくれないから。
飛ぶことも出来ない翼は邪魔なモノでしかない。
いくら空に思いを馳せたところで、あたしは鳥にはなれなかった。
拠り所の中心になるとどんな責任を負わされるか知っているかしら。
“奇跡を起こさないといけない”
あたしの奇跡は『羽が生えること』だった。それ以上でもそれ以下でもない。
この羽はあたしの意思とは関係なしに生え続ける。
ちょうど羽が生え始めた頃、あたしの住んでいる村は飢饉に見舞われていた。
酷い長雨のせいで作物は育たず、皆は常に晴れないような顔をしていた。
そんなことは裏腹にあたしの羽は伸び続け、痛みを伴いながらもついには大きな翼となった。さらに丁度それと同じくして、雲が晴れ光が差す。
長く降り続いた雨はようやく終わり、村人はひとまずの安寧を得た。
羽を毟り取って売りだしたのはその町の偉い人だった。
飢饉を救った“天使の羽”は飛ぶように売れた。
おかげで、貧困にあえぎ飢饉に苦しんでいた町の人たちは救われた。
そうして父は教祖となり、母は天使を産んだ聖人となった。
この翼は綺麗な羽が無ければ、グロテスクな皮と骨しか残らない。
ほぼ全ての羽を毟られたあたしは彼らの建てた城の奥へと押し込められた。
彼らにまだ親としての価値観が残っていたからなのか、はたまた私の見栄えや羽の希少価値を高めるためなのか、しばらくすると彼らは私から羽を無理矢理毟りとることをやめ、抜けた羽をとるようになった。
たまに外に出してもらえる時は、王様とか貴族とか偉い人の前だけ。
この人達は私に会う為だけにいくら払ったのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、久しぶりに見えた天窓の広い空を眺めるばかり。
「君かい?世に言う天使様は」
ある夜、部屋の届かないほど高い窓の上から声が聞こえた。
驚いて見上げると青い花びらが空から降ってくる。
「天使かどうかはしらないけど、貴方は誰?あたしになにか用?」
「用ってほどのことでもないさ、何にも知らない天使様に教えてあげようと思ってね」
そうして高いところから降りてきた彼はまるで鳥が地に着くようにふわりと部屋の中に降りてきた。
ここ暗いなぁ、なんて言って勝手に蝋燭に灯をともす。
短髪の彼は左目に青薔薇の刺繍が入った眼帯をしていた。
「君のお父様のおかげで俺らは大損こいてるんだ、その羽わけてくれよ」
話を聞くと、お父様が羽を使って偉い人達を取り込んで言いなりにさせているらしく、貧困の差がさらに拡大しているらしい。
「羽を持てば、俺たちは幸せになれるんだ。だったらその羽を可哀想な俺たちの為にわけてよ。そうしたら病で伏せってる妹や近所のおばさんの家の生まれつき身体が弱い赤ちゃん、足を悪くした兵士もまた歩けるようになるかもしれない」
「貴方は何か勘違いをしているわ、羽は万能薬なんかじゃ無い」
「なんで?その羽を持った下町の人々は天災による飢饉から救われて、あんなにも元気になったじゃ無いか」
「それは--」
「…だからさ、君の羽があれば俺らみーんな救えるわけ、天使様ならやさしいから羽をくれるよね」
“奇跡を起さないといけない”
あたしはこの時、思い出すべきだった。
あたしの奇跡は羽が生えることだけ。
そう、本当はあたしのお陰で幸運が起きて貧困が救われたわけではないということを。
だけれど、この時あたしは救世主にでもなったつもりでいた。
人のためにあたしが何か出来ることがあるのならばと、軽い気持ちで羽を渡すべきではなかったんだ。
「ありがとう、君のおかげで俺は救われる」
その彼の柔らかな笑みをあたしは忘れないだろう。
--青薔薇の眼帯をした異端者の顔を--
あれから彼は一度も現れず、城の奥に閉じこめられながら、不自由は特に無く変わらない日々を過ごした。
たまに来る成長痛のような痛みを覚えれば翼はさらに伸び、あたしの身体より大きくなりだいぶ重たくなり始めていた。
数年経ったとある昼下がり、外がやけに騒がしいと思った。
聞こえてくるのは数多の雄叫び、よく耳を澄ませると聞き覚えのある声が聞こえた。
「皆よ!もう一度思い出してほしい!!我々はあの天使にだまされていたんだ!今こそあの全ての元凶に制裁を!」
欺す?あたしが?
自分には身に覚えが無かったが、それを理解する時間も残されていなかった。
「あの天使は自らの羽によって奇跡ではなく我々に破滅を与えた、この村の災厄を国中に配ったんだ!それが神の使いである天使の所行であるとは思えない!我々はあの偽りの天使、いや悪魔をこの世に生かしておいてはいけない!!」
先陣を切るように聞こえてくる声は青薔薇の眼帯の声と同じだった。
あたしが悪魔?羽を渡したのに破滅を与えた?
理解出来ない突然の死を目前にして思考が巡る。ショートする寸前まで考えていた所に父が大慌てでやってきた。
「おい、お前もはやく逃げるんだ」
「お父様!なぜ?あたし分からないわ、何故あの人達はあんなに怒っているの!?」
父は答えることなく、彼女の手を取ると走りだそうとするが、天使は立とうとしてひざから崩れ落ちた。
この時、彼女の翼の重さは彼女で身体のバランスを支えきれなくなるほど大きく重くなってしまっていた。仕方なく父は私を背負って走り出した。
しかし、年をとった彼の体力ではあまりスピードが出せず。廊下の奥から人の叫び声がどんどん迫っていた。
「飢饉を救うため、お前の羽を使った事は謝る。噂が一人歩きして羽が高価になったとき誰もがそれを求めて激しく争い始めたんだ。お前が一番の標的にされると思って城に隠していたが、それももう意味が無い。私はお前を守ってやれない」
息を切らしながら告げられた言葉を涙をにじませながら彼女は聞いていた。
そうして耳元に唇を寄せて小さく呟く。
「お父様、もう下ろして……あたし、一人で歩けるわ」
「だが、お前のその翼では…」
父は足を止めて娘を抱くその腕に力を込めた。
「平気よ、だから--」
それは一瞬のことだった、背中に感じる衝撃が支える父の背にまで伝わり、彼はバランスを崩し膝をつく。後ろを振り返れば、血走った見知らぬ男達の姿。
「いたぞ!逃げてももう無駄だッ!!」
「そいつらを捕まえろ!さらし首にしてくれる!」
四肢を押さえつけられ、天使は人によって捕らえられた。
目を覚ますと見知った場所、城の奥のあたしの部屋。
さっきのことは夢だったのかと思うくらい静かな夜だった。
「やぁ、久しぶり天使様」
そこにいたのは青薔薇の眼帯の男だった。
「何にも知らない天使様に教えてあげるよ、今君がどうなっているのか」
そう言って手元にあった鎖を引っ張ると私の足が同時に引っ張られる。
「君のご両親はもう死んだ、大嘘つきの大罪人なんだから死んで当然だろ。二人仲良く民衆の目の前でギロチンさ…君にも見せてあげたかったよ最後まで君の名を呼びながら『娘だけは殺さないでくれ』とか戯れ言を垂れていたよ」
鎖につながれた天使は怒りに震え、彼を睨み付けた。
「どうして、こんな事をするの!?」
叫ぶ声が部屋に反響すると、彼は以前と同じ柔らかい笑みを浮かべる。
「そりゃ、君が邪魔だったからさ」
“奇跡を起すのは俺だけで十分だ”
彼は左目の眼帯を解き始める、静かに閉じられた瞳を開くと青い薔薇の花が本来眼球のあるべき部分を占めていた。
「なに…その眼……」
「どこぞの大富豪から君の羽をくすねようとした結果さ、羽を奪うどころか眼球を持ってかれた。とんだ大損だったね、だけどある日空いた眼に花が咲いたんだ。俺も初めはビックリしたさ。でもコレを上手く使わない手は無いと思った…でも奇跡を起すニンゲンがそう何人もいたんじゃたまらない。だから俺は天使様に近づいて羽をもらってそれがまがい物であることを証明する、人々の嫉妬心や怒りを煽って聖戦を起させたのさ。こんな上手いこと事が運ぶなんて人って生き物は単純だな」
きっとあの夜の話も全て嘘。あのときのあたしは彼が言う通り世間知らずにもほどがある。
ぜんぶコイツのせいだったんだ。お父様やお母様が死んだのも、あたしが今こんな目にあっているのも、全部。
「あとは君の翼を毟ってしまえば、天使様はただの人に逆戻り。俺は世界を天使から救った者として称えられ、地位を手に入れる。そうしたらこんな奇病持ちでも生きていける!!君には感謝しないとね、君のお陰で俺は片目を失ったけど英雄になることが出来るのだからッ!」
そういって彼はナイフを翼の付け根に当て、一気に引き裂いた。
嗚咽に似た少女の叫びが部屋中にこだまする。
確かに羽を取られるのは痛かったがこれほどでは無かった。
最後に朦朧とした意識の中で目にしたのは、皮肉にもあのときと同じ青い花びらだった。
次に気がつくと目の前にあったのは白い天井だった。
「おっ!目が覚めた?翼堕とすのって痛いよねぇ、気を失っちゃってたみたいだったからワタシがこの部屋まで運んで来たんだよ」
「や…やつ……は?」
「奴?んーよく分からないなぁ。ところで名前聞いてなかったね、なんて言うの?」
やたらと構ってくるその少女の背中には透明な輝いた宝石が生えていた。
病棟に来てもうどのくらい経ったのだろうか……今では翼もすっかり生え揃った。
さらに一度落としてしまったからか前のように翼が肥大化することはなくなっていた。
カルファーネがまた声を荒げている、きっとリノンのせいだ。そんなことを思いながら廊下を歩いていると、眼帯をした少年とすれ違った。
「ッ!!」
眼帯!青い花?まさか奴!
すごい勢いで振り返ったメリアルは少年を引き寄せ睨んだ。
「ひぃっ!」
右目…だったのね。じゃあ奴じゃ無いわ…刺繍の柄も違うみたいだし。
「ごめんなさい、人違いだわ」
「てん…し……?」
あたしは今日も何気ない日々を送る、ここではあたしは奇跡でもなんでもなく、ただの一個人としていられる。病棟にいる者の中には奴と似たように花が咲く奇病を患っている者もそう少なくない。ここにいれば奴にも出会えるかと思い、あたしは待ち続けている。
『奴を絶対に許さない』
そう心の奥底に誓いながら……
メリアル【和香】
103号室に住む少女の患者。
パステルオレンジの髪と青色の瞳を持つ。
執着質な性格で、背中から鳥の羽が生える病を患っています。
運命的な出会いをすれば治るかもしれません。
左目から青色の花が咲く病の患者に憎い人がいます。