FNo.2 205号室 月華
月の下に咲くそれは美しい華があるという。
一夜しか咲かないその花の儚さに人々はいろんな思いを馳せる。
“月下美人”
ボクはその花の咲く日に生まれた。
ボクはその華に取り憑かれた。
人々はボクの姿に夜を写す。
右眼に闇を、左眼に夜明けを、髪に湖面に映る月明かりを……この顔に美しい華を。
ボクが容姿端麗だと思ったことはない、周りがそう言っているだけだ。
そう言う人に限ってボクの病気を知ると嫌がる。
『舞台上の華は花を喰う』
まことしやかにそう囁かれたところで、ボクはどうでも良かった。
一度、舞台に出てしまえばボクは一流の演技者だ。
扇を持って、重たい服を着て、舞うのがボクのお仕事だ。
……前のだけどね。今はそんなの関係なくなっちゃった。
朝の食堂、リノンと櫻とカルファーネの三人はなんてことない会話を続けていた。
「そういえば……最近、月華みないね」
「あぁ、今はあの週間だぞ」
そうカルネが言うと、リノンは顔を少ししかめた。
「もう夜行性の週だっけか?じゃあお昼はうるさくしない方がいいかなぁ」
「リノンさん、ご近所ですからね」
「あーあ、めんどくさい。気ぃ使うのよね」
「そんなこと言って、姿が見えてないと心配で落ち着かないんでしょう?」
櫻は上品に口元に手を当てて笑う。
「それは、櫻もだろう?」
「当たり前ですよ、ただでさえ彼は好き嫌い多いですから」
「ハハッ確かにそうだね」
どこか切なそうに向けられるその視線を彼女は気づかない。
それを傍観しているリノンは呆れるようにため息をこぼした。
起きたらまた夜だった。
ガラスの割れるような音がそう遠くないところから聞こえる。
あっちに住んでるのはリノンだったっけ?
窓際の花壇を見て大きくため息を吐く。
「今日もまだ咲かないか」
花壇の白い蕾はまだ小さい。
落ち込むと同時にお腹が細々と鳴る。
ボクは一週間何も口にしていなかった。
その美しさを手に入れたかったのか、だとしたらなんてボクは強欲なんだろう。
その白魚のような指が、ボクにゆっくり手を差しのばすんだ。
彼女に口づけをした瞬間からその甘さに酔わされた。
ボクはその手が開かれるまで、ひたすら待つ。
生活リズムの昼夜を逆転させて、飲食さえ忘れて、彼女を待ち続ける。
ボクは小さい頃から植物だけを食べていた。
何のためかとかは知らなかった、出されたモノだけを食べて生きていただけだったし。
ボクは舞台に上がって舞う度に偽りの感情を演じていた。それは普段も変わらない。
だから周りは気づかなかった、ボク自身の性格や感情は全く空っぽだったことに。
……気がついたら、花だけ食べていても生きていけるようになった。
それからは花しか食べなくなった。
でもそれはボクにとって花が好物だっただけの話。
結局、皆の言う食べ物の好き嫌いと同じ。お肉に関しては食わず嫌いなのかな?
やっとボクは“すき”や“きらい”を知った。
ある夜、いつものようにお仕事を終えてから縁側に出ると、一つの鉢が庭先に置かれていた。お手伝いさんに聞いたら、ボクへ遠い国から来た人の贈り物だという。
なんでも珍しい植物で一夜しかその花が咲かないらしい。
それから数日間、花を眺めていた。
少しずつ膨らむ蕾に“いとおしさ”さえ感じた。
毎夜、眺めている間にボクはいろんな感情を知った。その華がボクをそうさせたんだ。
彼女が“からっぽのボク”を埋めていった。
そうして花が咲いた瞬間、ボクにとてつもない欲が襲う。
“EAT ME”
ボクの(この時は)知らない遠い異国のお伽噺、その台詞がボクの耳元に届いた気がした。
それからボクは、また彼女がボクに微笑みかけてくれるまで焦がれ待った。
あんなに美味しい花はこの世に存在しないだろう。
たとえ自分が飢えて痩せようが構わない。
どうせ彼女を喰うのなら彼女だけを味わいたい。
たとえ他人に蔑まれようが構わない。
どうせ彼女を待つのならボクだけが待てばいい。
あぁ、こんなにボクは欲深かったのかと月を仰ぎ見て思う。
「月の兎がボクを狂わせたみたいだ」
そう言って彼女に微笑みかける。
たった一晩の約束の日が訪れるその時まで……
少年が“彼女”を待ち続ける特別な時間。
それを見届ける月の兎は急ぐように空を跳ねていく。
兎を追った先の穴に少年は墜ちてしまったのだろうか。
彼の夢は醒めないまま、その感情の振り幅を大きく、小さくしながら揺れてゆく。
罪を被せられようが、彼は酔い続けるのだろう。
彼女が儚く微笑みかける限り、魅せられた彼はココから抜け出すことは出来ない。
月華【月華】
205号室に住む少年の患者。
水色の髪と黒と紫のオッドアイの瞳を持つ。
人懐っこい性格で、花しか食べられない病を患っています。
まだ治る見込みはあります。
左目から赤色の花が咲く病の患者に信頼する人がいます。