170 クマさん、シーリンに向けて移動する 2日目
寝たのが早かったためか、誰にも起こされずに目が覚める。
目を擦り、窓を見ると微かに明るい。陽が昇り始めている。
あくびをして起き上がると、フィナがベッドの上にチョコンと、くまゆるを抱いて女の子座りをしていた。
「ユナお姉ちゃん。おはようございます」
「おはよう。起きるの早いね」
「わたしもさっき目が覚めたばかりですよ。ねえ、くまゆる」
話を振られたくまゆるは、小さく鳴いて返事をする。
でも、眠そうにしていないってことは、フィナはもっと前から起きていたんじゃないかな。それに引き替え、もう一人の同い年の女の子は気持ち良さそうに寝ている。
その寝姿を見ると、くまきゅうをしっかり抱き抱えている。だが、ノアの綺麗な長い金髪がくまきゅうの顔に覆い被さっている。
大丈夫だと思うけど、くまきゅうに覆い被さっている髪をどかしてあげる。
金色の髪を払い退けると、くまきゅうの顔が出てくる。くまきゅうも眼を閉じて素直にノアに抱かれている。
くまきゅうの頭を撫でてあげると目が開く。
「もう少し寝かせてあげてね」
「うぅ、くまきゅう、くまゆる……」
ノアが寝言を言ってくまきゅうを抱き締める。
そんなノアの頭を撫でてからベッドから降りる。
「それじゃ、フィナ。わたしは朝食の準備をしてくるね」
「わたしも手伝います」
「一人で大丈夫だよ。フィナはしばらくしたらノアを起こしてあげて」
わたしは黒クマの着ぐるみに着替えて一階に降りる。
うん? 人の気配がする。
「クリフ?」
クリフが一人椅子に座っている。護衛の二人の姿は見えない。
「ユナか」
「早いね」
「あまり良く寝れなかったからな」
「布団、寝心地悪かった? ちゃんと新しいシーツに布団も干しているんだけど。もしかして、高級な布団じゃないから寝れんってこと?」
「違うわ。街道の真ん中に家を出されて、そこで寝ろと言われても、落ち着かなかっただけだ」
なんか、理不尽な言い分なんだけど。
「出せって言ったのクリフじゃない」
「確かにそうだが、娘のためと思ったからだ。まさか、こんなに落ち着かないとは思わなかった」
わたしは外で野宿する方が落ち着かないと思うんだけど。もし、くまゆるとくまきゅうが居なかったら野宿は怖くてできないね。
「護衛の二人は寝ているの?」
部屋にはクリフしかいない。主人が起きているのに護衛が寝ているのかな?
「二人は仕事をしている」
「仕事?」
ちゃんと起きて仕事をしていたらしい。
「ラーボンは馬の世話。グージュは風呂掃除をしている」
名前を言われてもどっちがどっちか分からない。
「馬に、風呂掃除?」
「風呂掃除は昨日の食事とお風呂の礼だと言っていた」
「クリフの指示じゃないんだ」
「ああ、あいつらが俺に頼んできたから許可した。迷惑だったか?」
「そんなことないよ。助かるよ」
そんな話をしていると、護衛の一人が部屋に入ってきた。
えっと、どっちだっけ?
風呂場の方から来たから……。
「クリフ様、お風呂掃除終わりました」
「ご苦労」
「ユナ殿。昨日はありがとうございました。お風呂も布団も気持ち良かったです」
護衛の人はクリフと違って寝られたみたいだ。
「なら、良かったよ。クリフには不評だったみたいだから」
「誰もそんなことを言っていないだろう。落ち着かなかっただけだ」
同じような意味じゃない?
「風呂掃除ありがとうね」
「いえ、使わせてもらったお礼です」
敬礼をするかのように背筋を伸ばして礼を述べる。
「そういえばノアはどうした。一緒に寝たんだろう?」
「まだ、寝ているよ。朝食の準備ができたら起こす予定だよ」
「なんなら、俺が起こしてきてやろうか?」
「フィナに頼んだから大丈夫だよ。それじゃ、わたしは朝食の準備をしてくるから、クリフは大人しくしていて」
「クリフ様、わたしはラーボンの手伝いをしてきます」
「ああ、分かった」
わたしはキッチンで簡単な朝食の準備をする。出来上がった朝食をテーブルに並べ始めた頃、2階からフィナとノアがタイミングを計ったように降りてきた。
「ユナさん、お父様。おはようございます」
挨拶するノアの腕の中にはくまきゅうが抱き抱えられている。フィナの腕の中にはくまゆるがいる。
「ああ、おはよう」
「ノア、おはよう。フィナ、朝食ができたから、外に行って護衛の人を呼んできてもらえる?」
「はい。分かりました」
フィナは返事をして外に向かい、わたしはその間に残りの朝食をテーブルに並べる。並べ終わる頃にはフィナが護衛の人を連れて戻ってくる。フィナとノアは食事の前に、くまゆるたちを床に下ろして食事を始める。
「クリフ、あとどのくらいで着くの?」
シーリンまでの距離が全然分からないので尋ねてみる。わたしのスキルはあくまで行ったことがある場所しか表示されない。だから、地図を開いても進む先は真っ黒だ。もし、時間がかかるようだったら高級毛皮の上で昼寝をするつもりだ。
「昨日でかなり進んだからな。あの森が見えるってことは、馬を酷使すれば今日の夜には着く。でも、夜に到着しても相手に迷惑がかかるし、馬の負担も大きくなる。だから、今日はのんびり進んで途中で夜営した方がいいだろう」
「クリフでも、相手のことを考えるんだ」
「当たり前だ。たとえ友人でも、夜中に家に来られたら気分を害するだろう。それに急ぐようなことでもない。グラン爺さんの誕生会に間に合えばいい」
そうなると到着は明日か。
くまゆるたちの上で昼寝が確定かな。
朝食を終えたわたしたちはシーリンの街に向けて出発する。
途中で馬の休憩を挟みながら進む。そして、何度か人とすれ違ったりする度に、くまゆるとくまきゅうを見て驚かれたりしたが平穏無事に進んでいる。
探知魔法でも近くには魔物はいなくて平和なものだ。
昼食を食べ終えて、しばらくすると小腹が空いたので、おやつのポテチをくまゆるの上で食べることにする。ノアとフィナも食べたそうにしていたので分けてあげる。
こぼすとくまきゅうが可哀想だから、気を付けて食べるように注意しておく。わたしは下を見るとくまゆるの背中の上にポテチの食べ散らかしがあったので、気付かれないように破片を払っておく。
くまゆるがなに? って感じに後ろを振り向くが。
「なんでもないよ」
と、誤魔化しておく。
塩味のポテチを食べると喉が渇いてくる。飲み物の果汁を出して飲もうとするがコップだと揺れるので飲みにくい。う~ん、今度水筒でも買った方がいいかな。
クリフとかは皮袋みたいなものに水を入れて、馬で走りながらも飲んでいる。今まで、走りながら飲むことをしてこなかったから、水筒の必要性を考慮してなかった。その点、フィナもノアもちゃんと用意をしている。さすが、異世界に暮らす者は準備をしている。
シーリンに向かって走っていると、先頭に立つ護衛が止まるように指示を出す。
進む先を見ると馬車が止まっている。
「お父様、馬車が止まってます」
「ああ、止まっているな」
「どうして、止まっているのでしょうか?」
「さあな、馬車が壊れたか。もしくは違う理由なのか」
違う理由?
「クリフ様、わたしが見てきますのでお待ちになってください」
「気をつけろよ」
護衛の一人は馬車に向けて馬を走らせる。
「クリフ。どういうこと?」
「一応用心のためだ。馬車の故障と思わせて、近寄ったところを馬車の中から盗賊が出て襲われることもある」
さすが異世界。そんなこともあるんだね。わたしも今後は気を付けよう。もっとも盗賊ぐらい、不意討ちをかけられても大丈夫だけど。そのときに居るのが、わたし一人とは限らないからね。
あっ、護衛が馬車に近付くと馬車の後ろから人が出てきた。子供もいるね。何かを話し合っているようだ。
話が終わり、護衛の人が戻ってくる。
「クリフ様」
「どうだった?」
「馬車の車輪が轍に落ちて動かないそうです」
どうやら、盗賊の類いではないみたいだ。
「お前たちが手伝って、どうにかなりそうか?」
「やってみないと分かりません」
「なら、とりあえず、やってみてからだな」
わたしたちは馬車に向かう。
馬車には20代の男性と女性。女性に抱かれた赤ちゃん。その周りにフローラ姫と同じぐらいの女の子がいる。どう見ても、一般家庭の家族だね。
「これはクリフ様、道を塞いで申し訳ありません」
男性が頭を下げ、後ろにいる女性も頭を下げる。女の子はわたしの方を見ながら母親に抱きついている。わたしが手を振ると母親の後ろに隠れてしまう。
わたしは怖くないよ。
「俺を知っているのか?」
「あ、はい。わたしどもはクリモニアに住んでいますので。クリフ様のことは何度かお見かけしたことがあります」
「そうか、馬車の車輪が轍に落ちたと聞いたが」
「あ、はい。運が悪くちょうど轍に填ってしまい、動けなくなりました。ご迷惑をお掛けします。道を空けることはできませんが、横を通ってもらえると助かります」
「ラーボン! グージュ!」
クリフが護衛の二人を呼ぶ。
二人は馬から降りると轍に填っている車輪に向かう。
「クリフ様?」
「ご主人。できるか分からないが手をかそう」
「そんな、クリフ様のお手を借りるわけには」
「他に当てがあるのか?」
「いえ、それは……」
「男四人でやればなんとかなるだろう」
「クリフ様はお待ちください。まずは我々、三人でやってみます」
さすがに貴族であるクリフに手伝わせるわけにはいかないと思った護衛が進言する。
確かに、車輪を持ち上げる貴族なんて漫画や小説でも聞いたことがない。
「その、よろしくお願いします」
ご主人は頭を下げ、三人は車輪に手をかける。だが、三人が力を入れても車輪は持ち上がらない。
もしかして、ここはわたしの出番?
でも、大の大人が三人でできないことをか弱いわたしが一人で持ち上げたら変だよね。
クマ力とか言われてバカにされそう。
「俺も手伝うぞ」
「いえ、クリフ様に手伝ってもらうわけには」
男性は断る。
まあ、常識的に貴族であるクリフに車輪を持ち上げさせるわけにはいかないよね。
「気にするな。お前が俺の街の住人なら、救うのも俺の役目だ」
「クリフ様……」
男性は貴族であるクリフの申し出を何度も断れない。
そんなクリフの厚意が一般人の胃に穴を空ける行動とは思っていないみたいだ。
クリフにやらせるのも面白いけど、わたしの出番かな。男性の家族が可哀想だし。
「わたしがやろうか?」
「お前がか?」
「うん」
わたしは頷くと土魔法を唱えて、轍の溝を浮かび上がらせる。必然的に車輪も浮かび上がる。
轍も埋まって一石二鳥だ。次に通る馬車も轍に落ちることはないだろう。
えっ、手で持ち上げる? 魔法があるのにそんなバカなことしないよ。そんなことしたら変な目で見られるでしょう。
「お前な。そんなことができるなら初めに言ってくれ」
「ここはクリフが領主として、格好良く対処するのかな~と思ったから」
「俺はお前と違って一般人だ」
いや、クリフは一般人じゃなく、貴族様でしょう。
「あのう、ありがとうございます」
「くまさん、ありがとう」
男性に礼を言われ、女性の後ろに隠れていた女の子も父親の真似をしてお礼を言う。女の子はわたしをジッと見ている。
「怖くないから大丈夫だよ」
「うん。知っている」
「娘はあなたのファンなんですよ」
「ファン?」
「街であなたを見かけて、くまさん、くまさん、って何度も嬉しそうにしてました」
そうなの?
さっきから、母親の後ろに隠れてわたしを見ているから怖がっているかと思ったよ。
「でも、なんでこんなところにいたんだ? 商人には見えないが」
「シーリンに母がいるんです。それで、つい先日に男の子が産まれたので、顔を見せに行って、その帰りだったんです」
男性が女性が抱く赤ちゃんの頭を撫でる。
「そうか、元気に育つといいな。子育ては大変だと思うが頑張るんだぞ」
「はい。ありがとうございます」
「それじゃ、俺たちは行くから、おまえたちも気を付けて帰るんだぞ」
「はい。この度はありがとうございました。助かりました」
「助けたのはこのクマだ」
「大したことはしていないから気にしないでいいよ。でも、子供も赤ちゃんもいるんだから、気を付けて帰ってね」
「はい」
別れの挨拶も終え、馬車が動き出すのを確認して、わたしたちもシーリンの街に出発する。
しばらく、投稿は3日おきになりそうです。