132 クマさん、刺繍を頼む
全員ミレーヌさんの乱入で、疲れきった顔をする。
特にアンズたちには心の中で御愁傷様と合掌する。
お店で働く服装も決まり、次の話に変わる。
そういえば刺繍で思い出すことが一つある。クッションにクマの刺繍を付けてくれた孤児院の女の子。学園の護衛のときに役にたったクマの刺繍された大きなクッション。
あのクッションのおかげで、楽な姿勢で馬車を移動することができた。
「ミレーヌさん、その刺繍の件だけど。どこかに頼むんですか?」
「憩いの店のクマの服を作ってくれた、裁縫屋に頼むけど。それがどうしたの?」
「孤児院の女の子が作ってくれた物があるんだけど」
わたしはクマボックスから、クマの刺繍がされたクッションを取り出す。
クッションにはデフォルメされたクマが刺繍されている。たぶん、お店にあるクマを参考にしたんだと思う。
「な、なにそれ!」
ミレーヌさんが手を伸ばしてクッションを奪い取る。
「孤児院の子に貰ったんです」
「可愛い。それに上手ね」
ミレーヌさんはクッションの刺繍に触れながら感想を言う。
わたしから見ても十分にデフォルメされた可愛らしいクマになっている。
「もし、刺繍を頼むなら、この子にやってもらったらいいんじゃないかな?」
上手だし、何よりもクマを上手く表現している。
これだけクマを刺繍で表現できるんだから、凄い才能だと思う。
「もしかして、そのクッションをくれた子って、シェリーちゃん?」
ティルミナさんが、ミレーヌさんの持つクッションを横から見ながら尋ねてくる。
「そうだけど?」
確かにこれをくれた子はシェリーって子だ。
孤児院で働いているティルミナさんなら知っていてもおかしくはないかな。
「やっぱりね。手先が器用で、いつも裁縫をしているからね。孤児院に置いてあるクッションやカーテンとかに刺繍がしてあるのは、みんなシェリーちゃんが作ったものなのよ」
それは知っている。クッションを貰うときに、いろんな刺繍を見させてもらった。なんでも、亡くなった母親から教わったそうだ。それ以来、時間ができると刺繍をしているらしい。
だから、先日の学生の護衛で手に入れた糸も、お土産として少し分けてあげた。
まあ、名目上はクッションのお礼だ。1人だけにあげるわけにはいかないから、感謝の気持ちでプレゼントした。
「たしか、フィナとシュリも持っていたわよね」
ティルミナさんが娘たちを見る。
「はい、わたしたちはタオルに刺繍してもらいました」
どこからともなく、タオルを取り出す二人。
タオルにはわたしのクッション同様に、デフォルメされたクマが刺繍されていた。
なぜ、クマ?
全員がクッションとタオルに刺繍されたクマを見ている。
「可愛い」
「この刺繍したエプロンを着て……」
「でも、恥ずかしくない?」
「うん、ちょっとね」
その言葉を聴いてミレーヌさんが悪い顔をする。
「なら、着ぐるみにしようか?」
「い、いえ、この刺繍のエプロンがいいです」
即答で、着ぐるみとエプロンの刺繍を比べて答えを出すフォルネさん。
「この、出来映え見れば、そのシェリーちゃんに頼むのもいいわね。いえ、シェリーちゃんに頼みましょう」
そのミレーヌさんの言葉に反対する者は誰もいなかった。
エプロンの話も終わり、今度こそ解散になるかと思ったが、さらにミレーヌさんの言葉が続く。
「あとは看板に外見だね」
確かに、看板は必要だ。お店を開店しても看板が無いと、なんの店なのかが分からない。
でも、外見って、なに?
思い当たることは1つしかないけど。
「それで、店の名前は決まっているの?」
ミレーヌさんの発言に全員がわたしを見る。
「決めていないけど。アンズが店長だから、アンズに決めてもらおうと思っているけど」
「わたしですか?」
『くまさんの憩いの店』も、わたしが決めた名前じゃない。
それに、名前にこだわりはない。
「うん、アンズが決めていいよ」
「えーと、たしか、ユナさんが経営しているお店の名前は『くまさんの憩いの店』なんですよね? なら、『くまさん食堂?』」
わたしは良いと思うけど、ミレーヌさんの反応が悪い。
「アンズちゃん、捻りが無いわ」
「うぅ、そんなこと急に言われても、名前なんて出てきませんよ。ユナさんのお店だから、ユナさんが決めてください」
わたしに戻ってきた。
名前決めるの苦手なんだよね。
くまさん食堂でいいと思うんだけど。
「デーガさんのお店の名前はなんだったの? デーガさんの味を引き継いているから、2号店とか、クリモニア支店とかでいいんじゃない?」
「えーっと、お店に名前はないです」
「そうなの?」
わたしは他の女性たちを見る。
返ってきた反応は頷く仕草だった。
「わたしも知りません」
「アンズちゃんのお店とか、デーガさんの宿屋とかで通じていたので」
その言葉にみんな頷いている。
そういえばアトラさんが筋肉宿屋と呼んでいた記憶もある。
もし、ちゃんとした名前があったら、デーガさんは気の毒だと、同情してしまう。
まあ、看板は急ぐことではないので、各自考えることになって解散することになった。
外見?
わたしに一任されたよ。
たいした考えは無いから、デフォルメされたクマが魚やウルフ、牛を捕らえているシーンや野菜や果物を食べているシーンぐらいしか思い付かない。
そのことをミレーヌさんに話したら了承されたよ。
『くまさんの憩いの店』のときもミレーヌさんがいろいろ決めてたけど、わたしの店だよね。
そんなことを思いながらも、反論せずに、ミレーヌさんの案を受け入れることにしている。
アンズたちでないけど、なんだかんだで商業ギルドのギルドマスターで、いろいろとお世話になっている。そんなこともあって、大きく否定することはできない。
ミリーラの件では、かなりお世話になった。それに、外見をクマにするのは今さら感がある。
わたしの家は全てがクマハウス。モリンさんのくまさんの憩いの店もクマ。わたしの格好もクマ。
今さら、クマを否定をしても仕方ない。
そんなわけで外見はクマにすることで決まり、解散することになった。
アンズとティルミナさんは予定通りにお店回りをする。
他のメンバーはフィナたちの案内でクリモニアの街を周る。
わたしとミレーヌさんは孤児院にシェリーに会いに行くことになった。
本当は、後のことは全て、ティルミナさんとアンズに押し付けて、家でのんびりするつもりだった。でも、ミレーヌさんに捕まり、一緒にシェリーに会いに行くことになった。
そんなわけで、わたしは再度、孤児院に戻ることになる。
シェリーの仕事は鳥のお世話だ。だから、鳥小屋にいると思われるため、鳥小屋に向かう。
鳥小屋に入ると仕事が一段落しているのか、みんな遊んでいる。
近くにいる子供にシェリーのことを聞くと、孤児院に戻ったらしい。
孤児院に向かうとニーフさんとアルンさんが院長先生とリズさんと一緒に話をしている姿がある。
わたしたちに気付く4人だけど、シェリーに用があることを伝える。リズさんにシェリーの部屋の場所を聞いて、部屋に向かう。
「シェリーいる?」
ドアをノックして中に入る。
「ユナお姉ちゃん?」
中に入るとベッドに座って刺繍をしている女の子がいる。
年齢は12歳ぐらいの少し背が高い女の子だ。この子がシェリー。わたしにクッションをくれた女の子。
4人部屋だけど、どうやら部屋にはシェリーしかいないようだ。
「ちょっといいかな?」
「うん、いいけど」
いきなり、わたしとミレーヌさんがやってきて不安そうな顔をしている。
きっと、ミレーヌさんの顔が怖いせいだ。
わたしのせいではないはずだ。
「刺繍を作っていたの?」
「うん、刺繍好きだから」
シェリーの手元を見ると、やりかけの刺繍が手の中にある。
「見せてくれる?」
わたしとミレーヌさんはシェリーが作った刺繍を見る。
そこにはクマの刺繍がされていた。
そこには『くまさんの憩いの店』にある、デフォルメされたクマが刺繍されていた。
「クマ?」
「欲しいって子がいるから」
人気があるデフォルメクマ。
「上手ね」
「ありがとうございます」
頬を赤く染めながら、嬉しそうに礼を言う。
「それで、シェリーちゃんに頼みがあるんだけどいいかな?」
ミレーヌさんが、シェリーの小さな手を握りながら、お店のことを説明する。
「わたしがですか……」
驚いた顔をするシェリー。
「うん、お願いできるかな?」
「でも……」
シェリーは下を向いてしまう。
わたしはシェリーに近づいて尋ねる。
もし、嫌なら無理強いは良くない。
「嫌?」
「嫌じゃないです。でも……」
「でも、なに?」
嫌じゃない。なら、どうして? と疑問が浮かび上がる。
「もし、わたしの刺繍が不評で、お店の評判を落としたら孤児院が無くなっちゃうかも」
「…………」
どうして、そんな考えに行きつくのかな?
「この孤児院がユナお姉ちゃんのお仕事のおかげであるのは知ってます。美味しい食事ができるのも、暖かい部屋で眠れるのも、ユナお姉ちゃんのおかげです。それが、わたしのせいで、店にお客さんが来なくなったら……」
真面目な顔で真剣なことを言うシェリー。この子はそんなことを考えていたのか。いけないと思っていても、嬉しくて笑みが出てしまう。孤児院のことを心配してくれたのが嬉しかった。
「シェリー、大丈夫だよ」
シェリーの頭をクマさんパペットで撫でてあげる。
「ユナお姉ちゃん?」
「そんなことで、潰れるお店じゃないよ。わたしが作るお店だよ。パン屋さん、凄い数のお客様が来ていることは知っているよね?」
「うん」
「卵も売れているよね?」
「うん」
「そんなわたしが作るお店だよ。そのわたしがシェリーに刺繍を作ってほしいと思っているんだよ。失敗すると思っているの?」
「でも、わたしが……」
わたしはクマボックスからシェリーから貰ったクッションを取り出す。
「それは……」
「わたし、これを貰ったとき、嬉しかったよ。とても、上手にできていると思うよ。こんな可愛らしい刺繍のエプロン作ってくれないかな?」
「ユナお姉ちゃん……」
シェリーの顔が少し上がる。
あと、一押しかな。
「もし、失敗したら、ミレーヌさんのせいだよ。この案はミレーヌさんだからね。でも、成功したらシェリーのおかげだよ」
「ちょっ、ユナちゃん」
隣でミレーヌさんが何か言いたそうにするがスルーして話を続ける。
「それに、失敗するわけないでしょう。こんなに可愛らしいんだから」
クッションの刺繍されたクマを触る。
「本当に、わたしでいいの? わたし素人だよ」
「いいよ」
やさしく、言ってあげる。
シェリーは上唇を噛み。考えて、悩んで、自分で答えを出す。
「……うん、わかった。わたしやる。ユナお姉ちゃんのために頑張る」
やっと、顔を上に向けて話してくれる。
「ありがとう」
もう一度、頭を撫でてあげる。
シェリーに満面の笑みが浮かぶ。
そんな、良い雰囲気を壊す人がいた。
「それじゃ、シェリーちゃんは預かっていくね」
今までの良い会話を台無しにするかのようにミレーヌさんが、そんなことを言い出す。
「あわわ」
手を掴むミレーヌさんにシェリーは慌てる。
「ミレーヌさん、どこに連れていくんですか!?」
「裁縫屋さん。エプロンの相談しに行くから、必要でしょう。だから、預かっていくね」
再度、シェリーの手を引っ張る。
「あわわ、待ってください。引っ張らないでください!」
その力に抵抗もできず、シェリーはミレーヌさんと部屋から出ていってしまった。
シェリーの声はしばらく孤児院を出るまで聴こえていた。
取り残されたわたしはリズさんにシェリーがミレーヌさんに連れていかれたことと、しばらく、お店の手伝いをしてもらうことを伝えた。
孤児院に残ったわたしは、子供たちと遊んでから帰ることにした。