98 クマさん、ミリーラの町に戻ってくる
トンネルを抜けた頃には、すでに日が沈みかけ、海が赤くなっていた。
潮風がわたしたちを吹き抜けていく。
新鮮な空気が体に入ってくる。
「綺麗ね」
「そうだな」
「トンネルのお陰でクリモニアとも近くなったし、休暇はこっちの町で過ごすのもいいかもね」
「そうだな。俺も今度は娘を連れてくるかな」
「でも、本当に一日で山脈の反対側まで来れるとは思わなかったわ」
「山脈を回り込んだら何日かかるか、分からんからな」
そんなやり取りをしながら、海に沈む夕日を見ながら町に向かう。
町に着くと、初めてこの町に来たときに挨拶をした男性がいる。
「クマのお嬢ちゃん! 戻ってきたのか」
男性が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「俺が居ないときに、出ていったことを聞いた時は、お礼が言えなくて心残りだったぞ」
そういえば、町を出るときは違う人だったね。
「改めて礼を言わせてくれ。町を救ってくれてありがとな」
男性はお礼を述べる。なにか、気恥ずかしくなってくる。
「お礼は多くの人に貰ったからいいよ。それに皆からはお米を貰ったし」
お米のお礼が一番嬉しい。
言葉より、物欲だと思うと、我ながらあれだけど。
「そうらしいな。俺も家にあったお米を持っていったんだぞ。もっとも少なかったけどな」
「そうなの? ありがとね。大事に食べるよ」
わたしがそう言うと男性は嬉しそうにする。
「話しているところを悪いが、そろそろ、中に通してもらってもいいか?」
クリフがわたしたちのやり取りに入ってくる。
「悪い。二人とも嬢ちゃんの知り合いか」
「ああ、そうだ」
「一応、確認のため、カードをいいか」
男性は仕事に戻り、二人にカードの提出をお願いする。
クリフとミレーヌさんは素直にカードを差し出す。
そのカードに目を通す男性。その表情が徐々に変わっていく。
「……伯爵様とギルドマスター」
男性はゆっくりと二人にカードを返し、頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。中にお入りください」
「気にしなくていい。そんなに、畏まることはない」
「そうよ。こんな男に頭を下げる必要はないわ」
ミレーヌさんは自分は関係ないように言っているけど、ギルドマスターの所にも驚いていたよね。
わたしたちは町の中に入る。
もう、日が暮れて暗くなってきている。
流石に話し合いは今日は無理だろう。
「もう、遅いけど、どうする? 宿屋に行くなら案内するけど」
「いや、先に冒険者ギルドのギルマスに会っておきたいな」
「そうね。町長がいないなら、町を纏めている三人のお爺さんに挨拶はするべきだけど。もう、遅いからね。なら、事情を知っているギルドマスターに話を通しておく方がいいわ」
二人の考えが一致したので、このまま冒険者ギルドに向かうことになった。
ギルドに向かう途中で、わたしのことに気づいた住人たちは挨拶をしてくれる。
ほとんどの人は感謝の言葉をかけてくれる。
でも、中には黙って出ていったことを怒る人もいた。
「人気者ね」
「そりゃ、クラーケンを倒したんだから人気者にもなるだろう」
「でも、それだけじゃないでしょう。たぶん、ユナちゃんの可愛らしい格好も人気の一つね」
わたしの格好って、クマ?
着ぐるみで人気が出ても嬉しくないんだけど。
そのうち、リボンが本体とか、メガネが本体とかと同様で、着ぐるみが本体とか言われないか心配だ。
もし、今後クマの着ぐるみを着ないで町を歩くことがあって、住人全員からスルーされたら、間違いなく落ち込む自分が想像できる。
そんなことを考える自分がいることに気付くと笑みがこぼれる。
声を掛けてくれば、面倒だと思い。声を掛けてこなければ寂しくなるって。ぼっちだった頃の後遺症かな。
とりあえず、わたし=クマの着ぐるみ、ではないことを祈ろう。きっと違うはずだから。
わたしたちが冒険者ギルドに到着すると、後片付けをしている職員の姿がある。冒険者の姿は見えない。冒険者は商業ギルドの件で牢屋に入れられている者、または、後ろめたさのためか、町を出ていった者も多くいる。
ギルドの中に入ったわたしに、一人の職員が気づく。
「ユナさん」
その言葉にその場にいる全員が反応する。
「アトラさんいる?」
「はい、います。すぐに呼んできます」
職員は小走りで奥の部屋に向かう。
奥の部屋でドアが大きな音を立てたと思ったら、アトラさんがやってきた。
格好は相変わらずの胸を強調した服を着ている。
「ユナ! もう、戻ってきたの?」
「アトラさん、ただいま」
「それで、どうだった? クリモニアの領主は何て言っていた?」
クリフとミレーヌさんに気付いていないのか尋ねてくる。
「アトラさん、落ち着いて。説明をするから」
「ああ、ごめんなさいね。うん、その二人は?」
クリフとミレーヌさんに気付いたらしい。
「こっちの男性がクリモニアの領主のクリフ・・・フォ・・フォ・・なんちゃらの名前の貴族ね」
「おまえな、人の名前も覚えていないのか。他の貴族の紹介でそんなことを言ったら、ただじゃ済まないぞ。俺だからいいが」
「ならいいじゃん」
だって名前が長いんだもん。フルネームで覚えられないよ。
まして、一度も呼んだことが無いし。
「おまえな……」
クリフは呆れ顔をして溜め息を吐く。
そして、クリフはアトラさんの方を見る。
「クリモニアの街で領主をしている、クリフ・フォシュローゼだ。先ほど到着して、遅いと思ったが挨拶だけと思って、寄らさせてもらった」
クリフは礼儀正しく自己紹介をする。
「クリモニアの領主様……」
ボーっとクリフを見ているアトラさん。
「それで、こっちの女性がクリモニアの街で、商業ギルドのギルドマスターをしているミレーヌさん」
「商業ギルドのギルドマスター……」
次にミレーヌさんを見る。
「わたしはクリモニアの街の商業ギルドのギルマスをさせてもらっているわ。今回はうちの関係者が迷惑を掛けたみたいでごめんなさいね」
ミレーヌさんが挨拶をするとアトラさんが我にかえる。
「わ、わたしは、この町の冒険者ギルドのギルドマスターをさせてもらっているアトラと言います。遠いところから、お越しになってありがとうございます」
「遠いか?」
「遠くから?」
二人は何か言いたそうにする。そんな二人を見てアトラさんは首を傾げる。
「クリフ様が言われた通り、今日は遅いので話は明日にしたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、もちろんだ」
「それで、本日泊まる場所なのですが」
アトラさんは言いにくそうにする。
「本来なら、この町で一番立派な町長の屋敷に泊まってもらうのですが。現在、町長がおらず……、おもてなしができる状態ではなく……」
「そんなことは気にしないでいい。我々が連絡をせずに来たせいだ。宿屋で十分だ」
「ええ、気にする必要はないわ」
二人にそう言われて、再度、頭を下げるアトラさん。
「ありがとうございます。明日、職員を宿屋に迎えに行かせますので、今日はゆっくり休んでください。もちろん、宿泊費はこちらが負担しますので安心してください」
アトラさんはセイを呼び、宿屋に付いていくように指示を出す。
「場所なら、わたしが知ってるから案内はいらないけど」
「デーガさんに説明をするためよ。二人は貴賓なのよ。丁重に扱わないといけないけど、あまり、騒ぎを起こしたくないから、貴族ってことは内緒にしてほしいのよ。クリフ様もそれでよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。ユナの友人でいい」
「ありがとうございます。では、そのようにさせてもらいます」
アトラさんの隣にいるセイが頷く。
「それにしても、アトラさん。しゃべり方、変じゃない?」
「ユナ! この人を誰だと思っているの?」
「クリモニアの領主?」
「それだけ分かっているなら十分でしょう」
「クリフにそんなに気を使う必要なんてないのに」
「おまえな。これが貴族に対する普通の態度だぞ。おまえが変なんだぞ。まあ、俺もそんなに畏まられても困る。ユナみたいじゃ、困るが。普通に接してもらえると助かる」
「はい、善処します。それで、お供の方は何人いるのでしょうか」
「いないぞ」
「…………」
アトラさんの目が点になる。
今更感があるけど。普通、貴族なら護衛を付けるよね。
「ユナがいるから、護衛は連れてきていない」
もしかして、信用されている?
「本当ですか?」
「ああ、ユナのクマで来たしな。手紙で読んだ限り、急いだ方が良いと思って最短で来たつもりだ」
「あ、ありがとうございます」
アトラさんが感動している。そんなキャラだっけ?
さっきから、アトラさんらしくない言葉遣いのせいで、背中がむず痒くなってくるんだけど。
「それでは一応、ギルド職員から護衛を」
「アトラさん、大丈夫よ。わたし(クマ)がいるから」
「……でも」
「護衛は、明日以降にわたしが離れて居ないときにお願いしてもいい?」
「……わかったわ。それじゃ、今夜はお願い」
「宿屋にいる限りは、安全はわたし(クマ)が保証するから」
ぐっすり寝ていてもくまゆるたちがいるから安全だ。
もう、遅いので話はそこまでにして、わたしたちは冒険者ギルドを出る。
数日ぶりのデーガさんの宿屋にやってくる。
「嬢ちゃん! 戻ったのか」
「ただいま。今日からまた暫くお世話になるね」
「おお、何日でも泊まっていけ」
そんな言葉にセイさんが会話の間に入り、説明を始める。
「始めから宿代なんてもらうつもりはない。嬢ちゃんの知り合いなら、大歓迎だ! 部屋も沢山空いている。好きなだけ泊まっていってくれ」
「あら、そんなに信用していいの? 悪い人間だったら、いつまでも居座るわよ」
ミレーヌさんがからかうように言う。
「嬢ちゃんの知り合いがそんなことをするわけがないだろう。もし、いるとしたら、それは嬢ちゃんの名前を騙った偽者だ」
「ユナちゃん、信用されているのね」
「余所者は、すぐには信用しないが、嬢ちゃんだけは違う。それはこの町の住人の一致した考えだ」
なに、この信頼のされ方は。怖いんだけど。わたし、そんな大事なことをした?
少し考える。うん、したね。
食料の配布。盗賊の討伐。捕虜の解放。間接的に商業ギルドの悪事の発見。クラーケンの討伐。さらにクラーケンの素材の提供。そう考えると、信用されても仕方ないのかな。
さらにトンネルの追加。これも、隠すことはできないよね。
「だから、嬢ちゃんの口から友人だと聞けば、それは信用に値する」
なに、宗教の教祖みたいになっているんだけど。
わたし、そんなものになるつもりはないよ。
「わたしが好きでやっただけだから、あまり、気にしないでいいから。お願いだから、本当に気にしないで」
わたしは力強く言う。
ここは何がなんでも止めなくてはいけない。
「だが」
「お礼なら、今度、わたしのささやかなお願いを聞いてくれればいいから」
「なんだ? そのささやかな願いって」
「しばらくしたら言うから、少し待ってて」
「わかった。俺ができることなら、聞いてやる」
いいのかな? そんなに安請け合いなことを言って。
娘さん、貰っていくよ。
本人の許可も半分貰っているし、後は保護者であるデーガさんの説得だけだし。
「それじゃ、嬢ちゃんの友人たち。ご馳走を作るから、腹いっぱい食べてくれ」
デーガさんの海鮮料理がテーブルの上に乗り、二人は満足気に食べていった。
部屋はそれぞれ借りて、明日に備えて今日の疲れをとる。
護衛として、くまゆるたちを召喚することを忘れない。
「クリフやミレーヌさんの部屋にも怪しい人が近づいたら教えてね」
くまゆるとくまきゅうの頭を撫でてお願いをする。
小さく『クーン』と鳴いて返事をしてくれる。