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シャングリラ

作者: 真白

 そいつは気がつけばいつもそこに居た。

 窓際の1番後ろ、所謂特等席で。

 ぼんやりと窓の外を眺めていることが大抵だった。

 頬杖をつきながら、時々ぺらりと興味なさそうに教科書をめくる。

 普通の生徒となんら遜色ないだろう。

 しかし大きな違いがある。


 彼の存在は私しか気付いていないのだ。






 初めて彼を見たのは数学の授業中だった。

 移動教室でいつもと違う、窓際の席に座っていると、ふいに背後に気配を感じた。

 私の後ろはいつも空席で、誰もいないと思っていたから、ちらりと盗み見たときは少し驚いた。

 知らない男の子がぼうっと窓の外を見ていたのだ。

 このクラスにこんなやつがいたっけ。

 病欠気味か不登校か。

 そんなことを考えていたら、チャイムの音が鳴り響き我に返る。

「えー、プリントを1番後ろの人は集めてきてー」というお決まりの指示に、今日は彼が居るから今までのように私が集める必要はない、と帰り支度を始める。

 しかし、なかなか彼はやってこない。

 まったく、何をもたもたと「秋、プリント!集めて〜!」

 前の席の友達が私に話しかけてきた。私は思わず彼女を見返した。

「え。私じゃないでしょ、集めるの」

「何言ってるの、秋が一番後ろでしょうが」

「えっだって後ろに…」

 そう言いながら振り返った。そこにはいつもと変わらない空いた席。

 埃が薄く乗った古ぼけた机。

 私は溜飲が下がらないのを感じながらも、プリントを片手に席を立った。





 初めて彼と話したのは英語の授業だった。

 隣の席の人と会話を練習しろ、と言われ私はじっと窓の外を見ている彼に声をかけたのである。

「ねえ、これ、会話、やろう」

 今まで一度も話したことのない、名前も知らない人に話しかけるとあって、少し意気込んだ結果、拙い言葉の羅列に終わった。

 ゆっくりと彼はこちらを見る。そして静かに自分を指さした。

 つられて私もゆっくりと頷いた。

「俺が分かるの?」

「え?」

「…初めてだよ、あんたみたいな人。今までどんな場所に行っても、気づかれたことはなかったのに」

 彼が何を言ってるのかわからなかった。そんな私に構わず、彼は少し興奮した様子で言葉をつなげる。

「人と話をしたのなんて…もう何年ぶりかな。あ、俺の名前はイク」

 彼は満面の笑みを浮かべて言った。

「俺、魂だけなんだよ、今」

 教室のざわめきが聞こえなくなった。




 初めて彼にシャングリラのことを聞いたのは生物の授業だった。

 タマネギの表皮に薬液を垂らしながら、器用に実験を進めていく。

「上手だね」

「まあね、もうこれも何十回とやってるし」

「どういうこと?」

「秋ちゃんには教えてあげるよ、何故だか俺に気づいたしね」

 私は実験室の丸椅子にきちんと座り直した。初めて話をしたあの日から、なんとなく彼のことに深く踏み込んでいけない気がしていた。

「俺はね、もう何年前かな、ずっと前に事故でね、死にかけてるんだけど」

 淡々と語る彼は一つも作業のスピードを緩めることがなかった。

「病院に運ばれてさ、そっからはもうずっと植物状態」

 ピンセットがきらりと光る。

「ああ、もう死ぬのかなって思ったときにさ、気がついたら教室に居て授業受けてた」

「え」

 思わず驚きが口からこぼれた。彼はちらりとこちらを見てから、また視線を手元に戻した。

「誰に説明された訳でもないんだけどさ、頭は理解してたんだよね。自分は今シャングリラに居て、そこでの過ごした時間がいつか自分の時間になるかもしれないってこと」

「シャングリラ?」

「シャングリラって言うのは、上手く説明が出来ないけど、とある人には不必要な時間ってことかな。退屈とか無駄に、ただ時間が過ぎるのを待っている。そんな所謂余分な時間を、生きられる時間を使い切りそうな俺はそれぞれから少し拝借するんだ。そして自分の時間にするってわけ」

 普通だったら信じるわけがない。

 しかし彼は確かにここに居るのに、また授業が終わるチャイムと同時に溶けるように居なくなってしまうのだろう。

 そんな事象を幾度となく見てきた。

 だから、もうそれは事実なのだと認めざるを得なくなってしまったのである。

「今までもいろんなとこに行ったよ。授業もこの高校だけじゃなくて、すごい進学校とか。あとは大きな会社の会議とか」

 そうおどけて見せた後、薄く笑った彼の横顔にどこかが鈍く痛んだ。





 初めて彼に砂時計のことを聞いたのは、音楽の授業の時だった。

 彼は堂々と新発売のスティック状のお菓子を食べていた。

 お昼前最後の授業に、お腹が空いていた私が持ってきたものだ。

「今はこんなのがあるのか…すごいうまい」

「そんなにお菓子に飢えてるならまた今度なんか持ってくるよ」

「本当?じゃあ俺、あの大福のアイス食べたい!」

「いやいや、アイスは無理。溶ける」

 私が思いっきり渋った顔をしたのがおかしかったのだろうか。彼は珍しく声をあげて笑った。

 それから天井を見上げて目を閉じた。

「目を閉じると、真っ黒な空間にぽつん、と砂時計があるんだ」

「砂時計?」

「そう、シャングリラを渡り歩き始めてからずっとね」

 それからははっと笑みを零して目を開いた。

「その砂時計に一粒一粒いろんな色の砂を足してる。気がついたら、本当に少しずつだけれど増えていっているんだ」「へえー」

「秋ちゃんのも、俺に気づく前は足してたんだよ。何色って言えばいいのか分からないけど、すごく良い色だったよ」

 ふと考えた。ということは、私の分の砂が今は貯めれていないということだろう。私はなんだか申し訳なくなって視線を手元へと下げた。

「…何で気にするの。俺、こうして話していられる方がずっと楽しくて好きだよ」

 気恥ずかしさで彼の顔が見れなかった。そのままチャイムが鳴るのを待った。




 私が彼と出会って、いろいろな話をしているうちに、日々は坦々と過ぎていき、授業の内容はより難しく、そして私の制服も冬服へと替わった。

 しかし私のこの授業限定の友達、はいつも変わることなく、常に窓際の一番後ろの席に頬杖をついて座っていて。

 私に気づくと軽く笑いかけてくれるのだ。

 それだけは不変だった。


 不変だと思っていたのに。




 初めて彼の前で泣いたのは放課後の補習の時間だった。

 まばらに座った生徒がカリカリとシャーペンを走らせる音だけが響く中、私は唇を噛みしめていた。

「ここに俺の名前と病院の住所を書いたからさ。…お願いします」

「そんなの、無理」





 最初、彼が嬉しそうに「砂時計がいっぱいになったんだ」と言った時は私も手を叩いて喜んだ。

 しかしその後、彼が真面目な顔で私をじっと見て告げられた言葉に私は自分の思考が停止するのを感じた。

「俺が上手く生き返られなかったら、俺の家族に今日これから言うこと、伝えてほしい」

「上手く生き返れなかったらってどういうこと…?」

「うーん、まあこの砂時計が満タンになっても、果たしてどのくらい生きられるかなんて俺にも分からないんだ」

 呼吸が上手くできない。彼が困ったように笑う。それさえも涙腺を刺激した。

「もしかしたら何十年かもしれないし、たった数秒かもしれない」

「そんな…じゃあ何のために…こんな頑張ってシャングリラ渡り歩いてきて…」

 声が震える。大きく吐き出した息さえも温かく湿っていた。

「…家族にさ、もう良いよっていうためかな」

 彼が窓の外を見ながらそう静かに言った。

「もうずっと植物状態の息子が目を覚ますのを、待ってるからさ。いい加減、楽にしてあげないと」

 目頭からぽたりと何かが流れ落ちるのがわかった。

 彼の手が私の手首を掴んだ。そして両手で優しく包まれる私の右手。

 かさり、と白いメモが手の中で踊る。

「本当、きついこと頼んで悪いって思ってる。……でもさ、俺の最後の友人として頼むよ」

 眉根を寄せて、泣きそうになりながらそう呟く彼に私は嗚咽が止まらなかった。そして私はこくりと頷く。すると涙声が頭上から降り注ぐ。

「……ありがとう」




 気がついたら、私は誰も居ない教室で一人、涙を流していた。

 遠くでチャイムが鳴る。見回りの先生がゆっくりと教室に近づいてくる足音がする。

 さっきまでと何も変わらない。でも大きく違って見える窓の外。

 私はくしゃりと手の中のメモを握りつぶしながら、机にずるずると伏せった。




 その日から、私は彼にシャングリラで会うことはなかった。




 あれからどのくらい経っただろう。あの窓際の席に座って、外を見ることが多くなった。そしてこうして時折思い返しては、自分の弱さに反吐が出そうになる。

 私は彼の家族の元へは行かなかった。行けなかった。行ってしまって、もし彼が生き返りに失敗していたら、と考えると足がすくんで背筋は寒くなった。

 知らない方が素敵なことなんて、世の中にはたくさんあるはずだ。




「秋、授業始まるよ」

 彼のことを知りもしない周りの人たちはいつもの日々なんだろう。私の肩を軽く叩いて、友達は自分の席へと帰って行った。私も立ち上がり、本来の席へと戻る。そしてチャイムが鳴り響いた。

 途端、自分の左側に、気配を感じた。心音が大きくなった気がする。震えそうになる身体をゆっくりと回した。

「お姉さん、僕のことが見えるの?」

 そこには華奢な身体を小さく丸めた、男の子が一人、体育座りで座っていた。

 私は息を止めた。

「…泣いてるの?」

 そう不安そうに尋ねられて、私は慌てて袖で目元を拭った。それから誤魔化すように横にかけられた鞄に手を伸ばす。

 そこから小さなお菓子の包みを取り出した。

「お菓子、食べる?」

 ふわりと笑った彼の笑顔に、私の身体は血が通い始めるのを感じた。

「お姉さんの砂、とても綺麗な色だったから少し残念だけど」

 ぽりぽりと小気味良い音が彼の頬から聴こえる。

「これからお話できるのはもっと素敵だね」

 ぽたり、と押さえきれなかった何かが手の甲に落ちた。

 私はふふ、と声を漏らしながら笑った。


「ねえ、それってどんな色なの?前に会った人にも言われたんだけどさ、」

 窓から季節外れの温かい風が吹き込んできた。


 




おわり

初投稿です。書き方や表示がいまいちわかってないので読みにくい点があったと思いますが、最後まで読んで下さりありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 特に終盤の主人公の気持ちや行動がリアルで瑞々しく表現されていると思います。 [気になる点] 全体的に描写不足を感じます。 教室の風景や、彼の容姿、心情などを補強していきますと、より良くなる…
2013/11/27 19:00 退会済み
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