いまさらわたしとしたいというの
わたしの家の天井裏に、こわい死体がひとつある。
夜にわたしが眠っていると、
ベッドの真上の天井板の、ずずずとはがれる音がする。
そのときわたしは眠っているから、そんなことには気づかない。
たとえわたしの瞼の前に、死体がぶら下がってても、わたしはきっと気づかない。
わたしの家の天井裏に、こわい死体がひとつある。
二人を殺す夢をみる。
朝になり、とろけたまなこで考えるけど、わたしは二人を殺してた。
感触だけがかすかに残る、わたしの右手は汚れてる。
二人ってのは誰なのだろう。思い当たるふしはない。
わたしは近頃どうしてなのか
二人を殺す夢をみる。
牛乳パックを持ちながら
若草色のカーテンを、なるべく静かにひらいたら
スカしたあざとい今日の朝日が、わたしのことを切り裂いた。
ばらばらになるわたしは、じぶんがへやのどこにいるのかわからなくなってしまう。
ばらばらになったので、じぶんがどこにでもいる、ということなのに。
ばらばらになったわたしは、とまらない朝の光にとかされて、粒子になってはじけてしまう。
ばらばらになることは、まとまらないことだということを表しているのです。
いまさらなにをしようというのだろう。
死体なんて、あるはずない。
危ない夢も、所詮夢。
眼を閉じれば、光だって眩しくない。
いまさらなにができるというの。
ばらばらになるわたしのことを、みつめているのはだれだ。
わたしのわたしがわたしをわたしに、わたしはわたしとわたし。
わたしがはじめるわたしのわたしをわたしがみているわたしがみてる。
統合しているつもりでも、ばらけたわたしはいくつもあって
いまさらそんなわたしをあつめてわたしとしたいといったって
そんなのきっとご都合主義よ。
もしもそれでも望むなら、ほんとの死体がなきゃだめだ。
わたしは認められないのです。
いまさらわたしはわたしを悩む、中学生の日記のように。
だいすきがわたしはわたしをだから




