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第九話「高岡宏」前編


 轟音が鳴り、眠りは破られた。


 叫んで飛び起きた男は、慌てて目を瞬かせる。

 安眠……というより泥のように寝込んでいたらしい、寝ていたことすら起きて始めて知ったくらいだ。


 目の前に立つ少女と目が合う。


 知らない少女だ。親戚ではない。だがどこかで見た気がする。


 混乱の頭は何も考えられず、男はただぽかんと口を開けて少女と見つめ合った。


「すごく、そのままだ」


 謎めいた言葉を、少女は呟く。


「もしかして、お名前、言える?」


 問われ、男の目がきょとりと斜め上に逸れた。二秒後に答えを言う。


「タカオカ、ヒロム……高岡宏」


 素直に答えた男、宏は急に我に返り、急いで立ち上がろうとした。


「いや、なんだこれは。どこだここは」


 少女のこともさることながら、今の状況が全く掴めない。


 立つ際に取られた足は砂を踏んでいる。床でもベッドでもなく、砂だ。こんなところで寝ていたのか、自分は。

 そして自分の身なりがジャケット、ネクタイ、革靴まで揃った、寝入ることすら難しそうな通勤スタイルだということも気づく。こんな格好で寝ていたのか、自分は。


 何なんだ。一杯ひっかけたか? 前後不覚になることで悪名高い、あの安酒でも呷ったとか。


 会社帰りに酔いつぶれて、前後不覚に寝転がっていたのなら納得できるシチュエーションだ。ここが見知らぬ場所でなければ。


 異様な空間だった。


 空に星。野外だ。空色はすっかり黒く、でも辺りはそんなに暗くはない。光源はわからないが、目は利く。


 建物もまるでない。アイテムもまるでない。ゴミ箱。歩道。道標。全く何もない。

 ここにあるのはこの闇天井、砂の大地。そしてもう一点。


 向こうに見えるのは妙に巨大なパネル……だろうか。黒い空間を切り取るように立ち上がり、気持ちの良さそうな草原と青い空を映している。

 あまりにも唐突にそこにあるため、大きな絵が立てかけてあるのだと思った。

 だが、もしかするとここはプラネタリウム的な建物の中で……あれが出口なのかもしれない。どこかで見たような景色だし。


 少女の呟きは続く。


「答えられるんだ。じゃあ当分固いままかも」


 少女の方に目を向ける前に、宏は悲鳴を上げて腕を引いた。


「痛てっ!」


 同じく少女も伸ばした素早く手を引っ込める。よく見えなかったが、針のようなものを持っていたと思う。鋭い痛みに刺されたのだ。イタズラにしてもタチが悪い。


「何すんだ!」


 思わず怒鳴ったが、少女の反応はただ軽く笑い、あしらうような言葉を吐くだけだった。


「怒っちゃダメだよ、おじさん。まだ時間かかりそうだね。でもそのうち柔らかくなれるよ」


 何を言っているのかわからない。

 わからないが、活舌はハッキリしている。幼稚園児ということはないだろう。小学校低学年くらいか。まだ子供を持っていない宏は幼女の年齢もよく分からない。


「何言ってんだ。何なんだ全く。あと、おにいさんだ。で、キミは誰だ。名前は? こんな時間にウロついて、親御さんが心配するだろ。おうちはどこだ?」

「パパはいないよ。私はねぇ、ここがおうちなの」


 言いながら、少女は宏に背中を向けて歩み去ろうとした。

 正直に言うつもりはないらしい。生意気な。


 とはいえ、こんな何もないところに一人になるのは嫌だ。宏は靴の中に入りそうな砂を気にして、少女の後をついていった。


 粒子が細かいのか、砂を踏む音がしない。

 砂丘なら景色に起伏があるのだろうが、この砂漠は一面平らかで、まるで体育館の床に砂を撒いたよう。


 いよいよもって、ここがどういった場所なのか、皆目見当がつかなくなった。


「ねえねえ、あそこ出口じゃないの?」


 例の、異質に口を開けた(ように見える)長閑な風景を指さす。


「違うよ」


 少女はアッサリと返した。


 確かに、期待を込めて言ったというよりただの確認だったが、そうにべもなく言われると、ちょっとムッとしてしまう。

 もうちょっと他に、言いようってものがあるだろうに。可愛くない。


 距離を見計らい、宏は駆けた。

 自分の目で確かめてみたかったのだ。何しろ、隠れるようなものも他に一切無いのだから、少女を見失うようなことはないだろう。


 緑そよぐ草原。穏やかな青空。


 キラキラ輝く自然に近寄って分かることは、残念、やはり感覚の方が正しかった、ということだ。

 ただの一枚絵。その後ろにも黒の空間が広がる。


 しかし、別の疑問は増えた。


 厚みがない。正確にはパネルの印刷ではなく、スクリーンの投影でもない。

 光る粒子が空中に整列して空の青さと草原の緑を描いているのだった。手を伸ばしても突き抜けてしまう。そのくせ、絵には腕の影は落ちない。


 仕組みがわからない。ホログラムだとしても、どこかにプロジェクターがないといけないはずなのに。


「そんなのないよ。舞台だよ」


 少女がゆっくりと歩み寄る。


「外の世界とお話をする時に使うの。ほら」


 こんな風に、と景色の前に立ってくれたおかげで、宏は少女が誰に似ていたのか思い出した。


「なごみ……キミ、なごみそっくりだな。AI故人なごみ」


 風景とマッチする白いワンピースにツインテール。正に、AI故人なごみだ。コスプレか?


 ……なんて、そんなことないか。宏は苦笑した。子供が知るはずもないだろう、AI故人なごみなんて。しかも初期デザインの。


 だが少女は手を叩いて喜んだ。

「おじさん、私のこと知ってるんだ?」


「おにいさんね。おにいさんはAI故人なごみの会社で働いてるんだ。本物のなごみちゃんは亡くなってるけどね。だからキミはAI故人なごみじゃない。そっくりだけどね」


 笑うと笑窪が出るところまでそっくりだ。笑窪を見せる少女は


「私がなごみだよ」


 と名乗った。


「今通和美」


 逆に、宏の笑みは消され、動揺で上書きされる。


「なんでその名を知っている」

「だって。私がなごみだもん。パパが私を作って世の中に広めてくれたの。私はこの世とあの世を繋ぐ天使なんだよ。だから、ここで皆とお喋りしてるの」


 少女の言葉に呆然としていた宏はパッと表情を変え、張りつめた笑い顔で辺りを見回した。


「わーかった! ドッキリ? ドッキリでしょ? ヤバ、騙されるところだった! 何コレ、会社の誰かの仕業?」

「え、なぁに?」

「キミも誰かに雇われたんだろ? てか誰の子? 斎藤か? 高橋か? まさか結花? 大がかりな仕掛け作ったよなぁ! なぁどこいるんだ?」


 大笑いしてみせても誰も出てこないので、宏はまた少女、自称・なごみに話しかけた。


「出口はどこ?」


 なごみはシンプルな答えを繰り返す。


「ないよ」

「おかしいだろソレは。じゃあどっから入ってきたんだよ」

「あそこ」


 なごみは指を立てた。

 つられて見上げる頭上には無数のきら星。宏は溜息をついてみせた。


「うんうん、おにいさんは今あんまり冗談で笑いたい気分じゃなくてね、早く帰りたいから出口教えてくれないかな」

「私、ウソつかないよー。ほら」


 ほら、ともう一度空に指を向けられて、仕方なく視線を向けてみる。


 星が流れた。


 本来、空を横切る形で走るはずの流星は、不思議なことにスウッと下に向かって落ちてきた。

 金色の光は消えず、まるで空から細い管を伸ばすように真っ直ぐこちらに向かって来る。


 宏は口を開けてただ眺めるしかできない。これもホログラムだろうか?


 すぐ目の前まで近寄った光は、草原の写真に向き合うように四角く広がった。

 続いて草原の中からふわりと現れたのはツインテールの女の子。ただしデフォルメされたイラスト。アニメらしい動きで手を振る、それは宏のよく知ったもの。


『はじめまして。なごみです』


 そう、AI故人なごみだった。リニューアルされた、現在のイラスト姿。

 流れ星が変化した光の画面に向かって、イラストなごみは案内を述べた。


『ここでは、いなくなったあの人と、もう一度お話することができるよ。わたしがあなたの大切な人を連れて来るから、その人の特徴を教えてね。じゃあまずは、お話したい人のお名前から教えて』


「信じられない……」


 宏は思わず呟いた。

 いつも画面の中で見ていたものが今、等身大の出来事として繰り広げられている、なんて。


 と、何かが流れるような、軽い音がした。辺りを見回すとすぐに正体が分かる。


 砂だ。砂が空から落ちてきている。


 まるで誰かが空に開けた一点の穴から、巨大な砂時計がわりに砂を落とし込んでいるかのよう。

 砂の量はやがて多くなり、カラフルな色味も混ざって、やがて電柱ほどの太さで砂柱を作った。ザアッ、勢いよく落ちきると、しばらく無音が戻る。


「あ、まただ」


 なごみは落ちる砂に近寄り、手にしたバールのようなもので……いや、いつの間に。どこに持っていたんだ……いつのまにか持っていたバールのようなもので砂山を掻く。すると。


「えっ」


 宏はギョッとした。

 砂の中から泣き声と共に幼児が転がり出たのだ。

 尻をバールに引っかけられ、砂山から這い出した幼児はママ、ママと泣き始めた。


「ちょっ……これ、どっから……どうしたらいいの? ママ呼んでるぞ?」

「この子も固いねえ。子供はねえ、言っても聞かないから時間がかかっちゃう。……おじさんは、大人なのに、わかってないねえ」


 おにいさんだが、この際どうでもいい。


「何がわかってないんだ。さっきからキミの言ってることはよくわからんぞ。こんな……わけわからん空間で、どこからか子供出てきて……どういうことだ」

「だって、ここは私の中なんだよ」


 なごみは大きく腕を広げて見せた。さっきまで握っていたはずのバールはもうない。跡形もなく消え失せている。


「AI故人なごみの中。死んだ人たちのデータを溜めて、再現して、生きている人に死んだ人とお話をさせてあげれるの。この子も、おじさんも、本当はデータなの。まだ来たばっかりで元の形をしているだけ。早く砂になればいいんだよ」


 黙ってしまった宏を見て、なごみは首を傾げた。どうしてわからないのかなぁ、という態度で。


「まだ思い出さない?」


 草原、青空、なごみ。その他には、押し寄せるような闇。

 これらを見る前は何をしていた?


 ふと、起きる前に聞いた気がする轟音が脳裏に蘇る。


「俺は……死んだのか」



九話です。なごみとの直接会話。

次回は、宏・生前の行いを振り返る回。

明日お持ちします。どうぞよろしくお願いします。

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