第七話「金森健次」後編
「だからっていつまでもゴロゴロしないでくれる?」
帰って来てダイニングに入るなり踏んでしまった雑誌を拾い上げて茜は文句をつけた。
キョロキョロしながら起きた健次の前には発泡酒の空き缶。テレビも点けっぱなし、使った皿とプリンの空き容器も残ったままで、ソファで転寝をしていたらしい。その寝ぼけ顔に雑誌を叩きつけて、茜はイライラと言った。
「だらしなさすぎる。拓斗にも示しがつかないでしょ。だいたいこれ、私のプリンだからね!」
「……冷蔵庫にあったんだからいいじゃないか……置いといてくれたら片付けたよ」
言い訳には溜息で返す。鞄の中からタブレットを取り出し、
「ただいま、健次さん」
『おかえりなさい茜。今日もお疲れ様』
「んんー! ありがと!」
相変わらず、茜の声色はどっちの健次かによって変わる。
「だって健次さんは優しい事言ってくれるし頭いいしゴミも散らかさないしプリン勝手に食べないし」
「機械はメシ食わねーからだろ」
「場所とらないし」
「あたりまえだ! ペタンコになれるか俺が!」
「ゴハン食べなきゃなれるんじゃない?」
部屋に不穏な空気が流れ始めた。
そして、現実世界を反映するように、点けっぱなしのテレビの中でも夫婦喧嘩が行われていた。いつものドラマだ。
「こんなメシ食えるか!」
「やめて、タツヒコ! きゃっ!」
ビンタを喰らったヒロインは倒れこみ、男はその間に家から出て行った。駆け落ちまでした二人が争うなんて、悲しい話である。
この辺りで、すっかり目の覚めた健次は雰囲気に乗せられて大きく声を上げた。
「何でそんなこと言うんだよ! 邪魔だってのか、俺が!」
「言ってないでしょそんなこと! 好き勝手やってるのは本当じゃない! 少しは健次さんみたいに気の利いたことくらい言ったら?」
『ああ、話をすることで少しでも茜の気持ちが軽くなるといいと思うよ』
「うるせー黙れこのナンパ師! ヒトの女誑かすな!」
落ち着き払った口調で口を挟んで来るAIが、もう腹が立つ。煽っているとしか思えない。
しかし、怒鳴り声にも怯まないのがAIのAIたる所以である。
『でも、話をしないと自分の気持ちは伝えられないし、相手の気持ちもわからないよ』
と、小賢しいことまで言う。
何をコイツと思ったが、健次は一瞬、言葉に詰まった。
帰ってからこちら、家族に馴染めているとは言い難い。茜はどこかよそよそしいし、連日の残業もありあまり話ができていないのだ。
ちゃんと聞いてくれていると判断したのか、AIはさらに言葉をねじ込んできた。
『どうして欲しいのか、言葉にしてみてください』
見れば、AIの言う事は素直に聞く茜も画面をチラ見しながらもじもじしている。
健次は姿勢を正し、正直に言ってみた。
「一度は結婚までした仲じゃん。正直、もっと歓迎してくれると思ってたのに、ここまで冷遇されるとか。記憶失くした不安なんか、まあ、分かっちゃもらえないよな。誰もいない世界で俺だけで……」
『なるほど。それでも頑張ってきたんだね』
ひょいと合いの手を入れたAIに、理解を得られたと感じて、うっかり涙が出そうになる。
「周りにも色々助けてもらってなんとかやって来て。でも、やっぱり一回家に帰ろう、って思って。俺には家庭がある、妻も子供もいる、あるべきところに帰ろう、って帰り道も大変でさ、ヒッチハイクなんかもやって、なんとかかんとか帰って来たらこれで」
ダラダラ喋ると、気持ちというより愚痴になってきた。内容は要約すると「要らぬ苦労にまみれたから」だ。しかし……
「俺のこと、心配じゃなかった?」
上目遣いで聞いてみると、茜はキッと眦を釣りあげた。
「心配だったよ! あちこち電話して夜も眠れなくて、どうして居なくなっちゃったのとか、私が悪いことしたのかってずっと悩んだよ。もっと支えてあげるべきだったのかとか……でも生活が懸かってたから、考える前に働かなきゃならなかった、必死で。拓斗も手伝ってくれて本当に助かったけど、本当はそれ、夫婦でやることだよね」
苦労したのは茜もなのだ。
どちらも疲れて癒してほしくて、そんな時に再会しても相手に優しくする余裕がなくなっていた。
「アナタの気持ちはわかるの。でも、この家はそんなに余裕があるわけじゃないのよ。なんでアナタだけだらけて通ると思ってるの?」
まだ帰っていない拓斗は今日もバイトらしい。息子ですらちゃんと家計に貢献しているのだ。
素直な言葉は耳に痛い。もごもごと言葉を噛み、なんとか言い訳する。
「や、ちゃんとしてるよ……前の会社に面接に行ったりとか。でも年も年だし、今から転職とか難しくて……だってコンビニ店員なんてできないだろ、今更」
「なぁに、全国のコンビニ店員さんに謝っとく?」
「やれってのか? いや、まず俺は、記憶がない間は別人として生きて来たんだ……何より名前違うし、そうなると職歴も怪しくなるし、就職には不利なんだよ」
途方に暮れた顔をした茜は、AIタブレットに首を向けた。
「どう思う?」
『別の名前で取った資格が通らないことや、別の名前で働いていた証明がしにくい、という問題点などが挙げられるかと思う。確かに、今までの職歴が不明瞭になると就職や転職には不利だと思うね』
「そうなんだよー!」
健次は嬉しそうに頷いたが、続くAIの言葉はなかなかに容赦がなかった。
『だから、むしろ真っ当な会社や公務員を目指すより、コンビニに勤めるほうがよっぽど始めやすいと思うよ』
返す刀でクリティカル。ぐぬぬと唇を噛む健次はもう置いておかれ、茜と一緒に相談しはじめている。
「どうしたらいいと思う?」
『就職する先の人事担当に相談するのがいいと思うよ。問題の箇所によって相談窓口は違ってくると思うけど、保険や年金の問題は役所、戸籍に関わることなら弁護士に相談するのもいいね』
「ああ……そうね……」
その言葉に何か光明を見出したようだった。茜は顔を上げ、強く頷いた。
「そうしましょう。まずは相談よ」
ドラマの中ではタツヒコくんがまたママに電話をしているところだった。
「毎日のメシにも困っているんだよ……いつものところに振り込んでよ。うん、いつか帰るから。じゃ」
そう言って電話を切ったタツヒコくんは、ニヤニヤしながら騒音溢れるパチンコ屋に入って行った。
今週も不穏な引きだった。
事務所の相談室に現れた弁護士は、部屋の中に茜と健次が揃って座っているところを見て、少しだけ目を見張った。
「どうも、弁護士の松本です。どうぞよろしくお願いいたします」
挨拶と名刺を配り終わった松本弁護士は二人の向かいに座り、今日の本題を切り出した。
「今日は離婚の話と伺っておりますが……」
「はい」
とキッパリ頷く茜。
「はああぁぁ!?」
椅子を蹴って立ち上がる健次。
「俺の就職が有利になるようにお願いしに来たんじゃないのかよ!」
弁護士は冷静に説明を促した。二人で大人しく来たから円満離婚かと思ったが違ったようだ。
まあ、この程度の齟齬は織り込み済みである。前後の説明を聞き、改めて確認。
「こちらをご予約されたのは金森茜さんですね? その時に離婚問題で相談、と申告がありましたが」
「はい、離婚したいと思っています」
茜は胸を張ってスピーチを始めた。
「夫婦は互いに敬意をもって成り立つものだと思います。でもこの人は私や息子が忙しくしていても家でゴロゴロするだけで何もしないし、邪魔だし、私のプリンまで食べるんですよ。敬意ある配偶者はそんなことしません。いつも優しく支えてくれます」
「それってヤツのことだろ! そいつだって無職じゃねーか!」
人差し指を突き付けて喚いた健次は、今度は弁護士の方を向いて訴えた。
「そう! コイツ、浮気してます。夫は俺です! 慰謝料もらえますか!」
かくなる上は、喧嘩上等。そっちがその気ならやってやろうじゃないか。
「こう仰っているようですが?」
弁護士の質問に茜は慌てた様子もなく、抱えた鞄からAI故人なごみのタブレットを取り出してテーブルに置いた。
「確かに、私には愛する人がいます。しかし、この人こそが私の夫、金森健次なのです」
『ご紹介に預かりました、金森健次です。茜のことを俺も愛しています』
茜の神妙な宣言に続いて、タブレットも発言を請け負った。夫として。
無駄に込み入った話である。
ここでもう一度説明タイムを迎える。何度も「健次たち」を見比べ、弁護士は生きている方の健次に確認した。
「つまり、これはアナタなんですね?」
「どこ見て言ってます? いや、俺もまだイケてるでしょ? そりゃ昔は今より若かったかもしれませんけど……」
どことなく視線を感じた前髪を撫でながら健次は言う。弁護士、確定を求めて茜に顔を向けた。
「そうなんですね?」
「はい、健次さんで間違いありません。健次さんが急にいなくなって心細くなった私はAI故人なごみを購入し、健次さんをそっくりそのまま再現しました」
この証言、実はちょっと相違がある。若い頃の写真を組み込み、記憶補正によりちょこちょこ修正しているのだ……よりカッコよく。
「私は健次さんを愛し、そして愛されました。健やかなるときも病める時も、隣にいて励ましてくれたのは健次さんです。私には健次さんが居れば充分。むしろそのイメージを損なうものを近くに置いておきたくありません。離婚を希望します」
夢見る乙女の目で熱く語るが、この夢見る乙女、健次と年はほぼ変わらない。
静かになった場に耐えかね、健次はもう一度、弁護士に訴えた。
「浮気でしょ!?」
「いっやぁー……?」
反応は芳しくない。相手は同一人物なのだ。浮気と言い切る線から微妙だが、立証は難しい気がする。肉体関係もないし……
しかし、弁護士の心、相談者知らず。健次はもちろん抵抗した。
「なんでだよ! 法も女の味方なのか? 慰謝料ないとどうなるんだ!?」
「性格の不一致ということなら財産分与することになりますが、結婚後に二人で溜めた分を折半と……」
「もちろん、五年間何もしてませんからこの人」
すかさず茜がアタックを仕掛ける。やられてたまるか。
「ちゃんと結婚して十五年は家族養ってますぅー」
それなら、五年分引かれても、十年分は返ってくるはず。捕らぬ婚費の皮算用をどんぶりで計っていると、余計な口が差し挟まれた。
『当然ですが、彼は養育費も五年分、払っていません。また、私の父、茜から見ると義父ですが、父の通院のために茜はよく車を出したりしていました。両親から頂いている援助分はいくらか相殺していただきたいと思います』
さすが茜サイドのナイスアシスト。こんな時のAIである。本当にズルい。
健次のしでかした事から考えると、不利な未来が見えやすく、貰う金と出て行く金がトントンだとしても御の字だろう。と、弁護士は考えた。そして、打算がベースの希望なのだろう、と健次のことを見抜いてもいる。
「今からでも働いて、家庭を支えてやり直された方がいいのではないですか?」
一番いい落としどころを提示してみせる。それでも茜側がハイと言うかわからないのだ。必要なのは誠意である。それなのに。
「今更働けるかよぉ!」
すごく正直な本音が漏れた。
「温かい家庭で少しは疲れを癒したいんだよ、そんな贅沢な望みじゃないだろ? なんで妻なのに面倒見てくれないんだよ、触らせてもくれないし」
「今更ムリです絶対ムリ、キモ!」
「板っきれとは添い寝するクセに。何かあったら俺の方が絶対強いからな! 守ってやれるのは俺だけだぞ、帰ってきただけで心強いとかじゃないのかそこは? 用心棒だと思って置いてくれよ!」
「来るかもわからない泥棒のために酔って寝るだけの室内犬飼ってくださいって? 結局無職じゃん!」
ここでふとAIが言葉を挟んだ。
『記憶がなくとも生活費は必要だと思うのですが、今まで仕事は何をしていましたか?』
何故かドヤ顔で健次は暴露を始めた。
「それこそ用心棒だよ。リカの家を守ってやってたんだ」
「ほう。ちゃんとお役に立っていたんですね? 記憶も無くしていたのに、なかなか出来る事ではない。すごいですね。ところでそのリカさんとは、どちら様で?」
と、弁護士先生も聞き方が上手い。
「俺が入院してたとこのナースだよ。記憶がない俺のことを心配して面倒みてくれたんだ。アラサーだけど笑顔は可愛いんだ。そう、リカはいい女なんだよ。こんな若くて可愛いのが相手とか、お前本当に捨てられちゃうぞ? 早いとこ許してくれよ、そうしたらまだ一緒にいてあげるからさ」
悪びれない健次は何故か茜にまでマウントを取ろうとしてくる。
またしても、会話を拾ったのはAIだ。
『内縁の妻、というものですね?』
「だな、リカの苗字も名乗ってたし完全に夫婦だと思われてたな。楽しかったなぁ。なのに最近冷たくなってさぁ。ずっと何も言わなかったのに急に働けとか言い出して、あれは男が出来たかな?」
『他の男に負けてフラれたのですか?』
「違う! こっちからフッてやったんだよ。ウザいこと言うなら、俺には妻も子もいるんだぞって出てきて……」
次のアタックは茜。
「ちょっと待って。あなた、いつから記憶が戻ってたの?」
「えっ? 三年くらい前かな……」
決まった。
会話は途切れ、奇妙な沈黙が降りる。
すべてを把握したのが三、まだ分かっていない者、一。
弁護士は聞いた。
「……離婚します?」
茜は頷いた。
「はい」
その週、ドラマは最終回だった。
母親から定期的に金をせびっていたタツヒコは、既に死んでいたという驚きのどんでん返しを展開している。
女は通話を終え、電話を切った。それは故人のものである愛する男の携帯電話だった。
AIで作った声を男の母親に聞かせ、男が死んだ後も生きているフリをさせて金を巻き上げていたのだった。
金を引き出そうと銀行に向かう女の後ろを、刑事が追う。
このストーリーを「ドラマだなぁ」と純粋に楽しむことができる者は、幸いであるかもしれない。
ドラマが終わるまであと十五分だ。
今週もありがとうございます。
申し訳ございません、諸事情により次の話は一週飛ばして9/4金曜日に落としたいと思います。
遅いお盆休みということでひとつ。
次回は前日譚としてAIについてを語ります。
いつもありがとうございます、ぽちっと応援、励みになります。




