第七話「金森健次」中編
「うおっ、本当に帰って来てたんだ」
健次が金森家に再び姿を現したのは一週間後だった。出迎えた息子、拓斗は仰け反って驚く。
「そうだぞ、久しぶりだな拓斗。大っきくなったなぁ!」
感激の声を上げる健次は、前回に比べたら随分と身なりが整っていた。
こざっぱりしたポロシャツとパンツ、顔色も良く清潔さがある。そして髪も撫でつけて、余計な跳ねは無く、足りない部分はふんわりとしていた。
「茜は?」
「今日は残業だよ。今、忙しい時期なんだよ母さん」
「何。子供に飯もやらないで、可哀想だなぁ拓斗は」
拓斗の顔が微妙に歪むが、黙ってダイニングに戻って行った。その後について健次も上がり込む。
ダイニングにはテイクアウトの牛丼が箸をつけた状態で置いてあった。食事の途中だったらしい。
「ほらー、ロクなもの食ってないじゃないか。何か他にないのか」
「別にこれでいいよ俺は」
「……俺の分とか」
拓斗は呆れた声を上げた。
「食ってきたんじゃないのかよ」
「家族で一緒に食卓囲もうと思って……」
「袋ラーメンくらいならあるよ」
「そうか。じゃ、それでいいよ」
「自分で作れ!」
ソファに座ろうとしたら、台所に追いやられた。なんてことだ。温かい家族団らんとはほど遠い。
せめても卵落としのラーメンにして戻ってくると、拓斗はもう食べ終わってテレビをつけたところだった。
見覚えがあるなと思ったら先週も見たドラマだったらしい。男女二人組、駆け落ちを決行し無事に逃亡先についたようだ。
拓斗としては熱心に見ているわけでもないらしい。愛する二人の会話をBGMに流しながら、なんとか会話のとっかかりを掴もうとしている様子がある。
「……あのさ」
「ん?」
「あの時は俺も悪いこと言ったわ。その。ごめん」
拓斗は拓斗なりに気にしていたんだろうか。素直に謝ってきたことに息子の成長を感じ、気にするなという意味を込めて軽く言った。
「ん、いやまあそれだけじゃなかったけどな。色々あって……事故に巻き込まれて、記憶を失くして放浪してたんだ……母さんに聞かなかったか?」
「聞いた。北海道にいたって」
「うん、まあそれで、お前たちのことを思い出したんで戻ってきたってわけだ。つか、すまないと思うんだったらラーメンくらい作ってくれてもいいのになー」
なんて軽口のつもりだったのに、拓斗は表情を改めた。
「あのさ、今もうこの生活に慣れてしまってるの、俺と母さんは。自分のことは自分でやる、生活時間も互いに違うし、いい大人なんだから自分のことは自分でやるようにしようって、そう決めたのこの家。帰ってくるんなら、……父さんもそこはキチッとやってもらうぞ」
面白くない方針発表に、健次は口を尖らせた。
「えー。家族だろ、そんな寒々しいこと家族でやるぅ? なんでみんな反応悪いかなぁ」
このセリフ、拓斗は前回の浮浪者然とした健次を見ていないので……そして、まだまだ青いので、理解が及んでいない。
茜なら悟るところだ。さてはこの男、実家からも邪魔もの扱いされて追い出されたな、と。
「本当なら女の仕事なのになぁ。不便だな」
今度こそクッキリと、拓斗は顔をしかめた。
「フルタイムで帰って料理はキツいって。今日は別々だったけど、俺がバイトない日だったら夕飯も作ってるよ。それでも、大学いかせて貰ってる俺は甘やかされてる方だなって思うのにさ。家にいるなら協力してよね」
「……生意気になったなぁ、大きくなったのも間違いないけど。なんだ、いっぱしの大人のクチ利いて」
実際、成人しているのだから拓斗は大人である。これは健次の分が悪い。
「自分のことを自分でやれって、当たり前のことしか言ってないだろ……なんか、親父は変わってないよな、逆に」
最後には呆れ顔。躊躇いながらの「父さん」は、アッサリと昔通りの呼び名「親父」になった。
「なあ『父さん』、家事は女の仕事って古いよな」
やおら横を向いて何か言ったと思ったら、立てかけてあった板、AI故人なごみがフッと明るくなり
『そうだね。大黒柱一人が働いて賄えるのなら問題はないけど、1945年以降、女性の社会進出が大きくなり、共働きのケースが増えてきている今は、女性だけに押し付ける考えは新しいとはいえないね。どうやって家事を軽くするかが、共働き家庭の課題だよ』
いけすかない奴がスカした事を喋りはじめた。うるさい。
大人げなく膨れる健次に、勢い止まらぬ若者は追撃の手を緩めない。
「つかAIに聞くまでもない話じゃんこんなの。ちなみに、チョーカーとネックレスの違いって何?」
『ネックレスの中でも一番短い、喉に沿うようなものがチョーカーだね』
ほーらな、と拓斗は鼻嵐を吹いた。
「古い考えは改めた方がいいよ」
唐突な質問だったが、健次は思い出した。
家出した朝に拓斗とモメた出来事を。「なんでネックレスなんかしてるんだお前デートか? 色気づいて」などと揶揄ったら、キレた拓斗が「チョーカーだよ! ちょっと身だしなみ整えただけだろ、親父は古いんだよ!」などと叫んで出て行ったのだった。
何かと大変な親を差し置いて呑気にデートか、とやっかんだ健次がイライラを抱えて事故に遭い、今思えば……間違いなく、くだらない事故の原因である。
父親が家出したのは自分のせいかもしれないと深く反省した拓斗の六年間にも、申し訳ないくらいのくだらなさだ。
「ともかく何もしないのはみっともないから、就職するならしてきてよ」
正論。
文句も出てこなくなった健次の背景で、テレビからは通話の声が聞こえてきていた。
「タツヒコくん、無事なの!? ママは心配したのよ!」
泣きながら話すのは壮年の女性。流れから行けば、駆け落ちした男性のママなのだろう。
「どうしてそんなことしたの……ちゃんとゴハン食べてる? お金はあるの? ないんでしょう? バカなことなんてするからよ! このままうちで稼業を継いでくれればよかったのに ……いいわ、ママ、パパにナイショで援助してあげる。お願いだから無事で……いつか帰って来て。お願いよ……」
涙を誘うための悲壮な音楽が流れる。
どんな世界でも、生活には先立つものが必要なのだ。
とはいえ、男四十代。しかも後半。
素直にハロワに行くにも躊躇われるお年頃なのだ。どうせ金も出ないし。
入ったオフィスビルの案内板を見て、健次は安堵した。
昔、勤めていた会社がまだそこにある。良かった。
潰れていなくとも、職場の移転などの可能性もあったから。早速エレベーターに乗って六階のボタンを押す。
懐かしい職場だ。誰か残っているだろうか、自分を知っている者がいるだろうか。
扉の中はセキュリティ上入れない。廊下をウロウロしていると、中から出て来た見知らぬ若者が、場違いな恰好の健次を不思議そうに眺めながらトイレに消えていった。
ちょっと気恥ずかしい思いを隠し、スマホを見ているフリでやり過ごしていると、お昼に行こうとしたのか数人がパラパラと扉から出て来た。健次はその中の一人に目を止める。
「あ、いた! 安藤!」
「……えっ!? ……えっ、金森? 金森なのか? マジで?」
向こうも覚えていてくれたようだ。同期で仲の良かった安藤は、少し丸みが増して貫禄がついた。
「マジだよ俺だよ、久しぶりだな安藤!」
「何してんだよお前ー、てか生きてたんだな……」
「死んでねーよ、それなりに苦労はしたけどな……そっちは元気そうだな」
「おお、今から新しい子つれてちょっとランチだよ」
見れば横で待っているのは新卒だろうか、若い女の子だ。羨ましい。
「マジか、俺も奢ってもらえると嬉しいな」
ニコニコと素直に言ってみた。世の中の可愛がられるコツは、その辺にある。
……が、そこは男四十代。全然可愛いくないし、むしろ空気が若干冷えるのも当然。新卒の子はキモいものを見る目で健次を見た。若い子は素直である。
耐えかねた健次は誤魔化しに入った。
「なんてな、誰か他に俺の知ってる人とか居るかなぁ」
「ああ、竹下リーダーがいるよ、今はフロアマネージャーだけど」
安藤は親切にも中に入って該当人物を呼び出してくれ、不親切にも新人ちゃんをつれてそそくさとその場を立ち去っていった。
「おっ、本当に金森だ」
やってきた竹下は驚きの顔で笑いかけて来た。健次も会釈で返す。
「ども、お久しぶりで」
「生きてたのか」
「やっぱ死亡説流れてたんですか俺」
「だって蒸発したじゃない」
ええそうですね……と健次は笑って返そうとしたが、ふと言葉に詰まった。にこやかな竹下の顔が、目だけ笑っていないことに気が付いたので。
「突然仕事バッくれて、電話も繋がらないしさ。ちょうど忙しい時期だったから、本当に困ったよね」
「あ……はい……」
「煮詰まっていたのは知ってたからさぁ、まあ辛かったんだろうなって思うけど。いやー、あの時の後始末、大変だったねぇ」
「ども……すんませ」
「まあ、生きてたんなら良かったよ、うん。報告ありがと、じゃあ元気でね」
踵を返す竹下に縋りつく。
「あっ、あの、あの! あの、俺、仕事、ここで……またやれます!」
真顔に戻っていた竹下はまた余所行きの笑顔を見せて、鷹揚に頷いた。
「今のところ新人も入ったからね、やっぱりストレスの少ない、自分にあった職場を選ぶのがいいと思うよ? 頑張ってね」
クレーマーを相手にするようにそつなく躱す。
健次にはもう閉まりゆく扉を黙って見るしかできなかった。
次回は明日お持ちします。
夫婦の行方、決着。現実も、ドラマも。
どうぞよろしくお願いします。




