1話 みんなありがとう
「おばあちゃん、おばあちゃん‥‥」
いつの間にか眠っていたのだろうか…
どこからか聴こえる可愛らしい声でわたしの意識はほんの少し目を覚ます
薄っすら届くこのかわいらしい声はきっと孫の智希「智くん」に違いない
その声は役目を終えようとしているわたしの耳にも届くよう近くから声をかけてくれてるように感じる
そっとわたしの左手に触れる小さな手
ぷにぷにと柔らかくてまるでマシュマロみたい
その小さな手はわたしの手をムギュムギュと掴んでくれる 智くんの手に触れられてるだけでわたしは幸せを感じる事ができる…
けど、その小さくて柔らかい手をわたしは握り返せなかった 握られてる感覚はあっても わたしの手はわたしの意思とは関係なく動いてくれなかった…
ごめんね、おばあちゃん智くんのやさしさに応えてあげられなくて…
「ばぁば…ばぁば…」
「ばーば…」
たどたどしくわたしのことを呼ぶ声
最近やっと言葉を発し出したその声の主たちはわたしのことを「ばぁば」と慕ってくれる
その声の主たちがわたしの左手に触れる…
その手は智くんより更に小さく わたしの手を握ると言うよりはトントンペチペチと叩いてるかのようだ
心地よいそのトントンが小さな振動となってわたしの意識に届いてくる…
この手は智くんの妹の未結「みゆちゃん」と長男の子の凜花「りんちゃん」の手だ
なんてかわいい、生命に満ち溢れた手なんだろう
わたしはこのかわいい孫たちの手をギュッと握り返したかった 小さなわたしの手でもすっぽりと包めてしまうであろうその手を握りたかった…
同じ歳の みゆちゃんとりんちゃんが一緒に遊んでるところ もっと見たかったよ…
「おかあさん おかあさん!!」
「かあさん! かあさんっ!!」
舞と瞬の声が聞こえる…
きっと大きい声でわたしのことを呼んでくれているんだろうけど もうわたしの耳には遥か遠くに聞こえる
なんとか一目でも我が子やかわいい孫の姿を見たいと思っても、靄のかかったようなわたしの視界は目が開いてるのか閉じてるのかすらわからない…
こんなわたしの元でも立派に育ってくれた子どもたち… わたしの自慢だった子どもたち…
舞は頑張り屋さんだった 長女ってことでいろんな苦労をかけたけど、イヤな顔一つせず立派に育ってくれた あんなにおてんばだった娘が今や二人の子どもの母親になってるんだから… わからないもんだ…
息子の瞬も少し甘えたなところがあって小さい頃は心配もしたもんだけど
男の子でも妙に優しすぎるところがあってずっと家族にべったりだった瞬が 今じゃ立派な父親になってる
『子は宝』って言葉はあるけれど わたしにこそまさに当てはまる言葉だと思う
「美紗緒! 美紗緒っ!!」
ずっと右手を握り続けてくれているのは 最愛の夫の継人だ
長年一緒に連れ添ってきたわたしの愛する人
なんにもなくここまでこれた訳じゃないけど、継人がいなかったら わたしの今の幸せもなかったってのだけはわかってる もちろん継人がいたから 子どもやかわいい孫たちがいる… わたし一人の力だなんて思ってない
子どもたちも 孫もかわいくて愛してることに間違いないけど、わたしは今の今でも夫を愛してる
どれだけ大切にしてようとも、どれだけ愛していようとも、永遠に続く訳じゃない…
それはすべて生命ある限りと決まっているんだ
「⋯⋯⋯あ、りが、とう⋯⋯⋯」
声を振り絞ってだす『ありがとう』
どうしても伝えたいわたしの気持ち…
わたしの右手を両手で包むように握り 継人がうんうん頷く ぽたぽたと温かい感覚はきっと継人の涙なんだろう…
一生懸命笑顔を作ろうとはしているが それがみんなに届いているのかわからなかった
みんなが居てくれたおかげでわたしは幸せだった
ホントにホントにありがとう…
心残りがないわけじゃない… 継人が一人になるのは心配だ… 子どもたちの手助けができなくなるのはツラい… なにより、かわいい孫たちの成長をもう少し見ていたかった…
だけど、もうわたしには時間がないんだろう
孫たちの手も、子どもたちの手も、夫の手も、握り返すことはできない… みんなのその呼びかけにも応えることはできない… みんなの姿を見ることすらもできない…
わたしの意識こそ こうしてあるけれど身体は反応してくれなかった…
そうして、どのくらいの時間が経ったんだろう…
みんなの声は更に遠くになっていき、途切れ途切れになって… やが…て わ…たしの…意…識も……途…切れ⋯⋯⋯
《 ピーーーーーーーーーーーッ 》
「2025年10月02日 午後16時29分………御臨終です…」
「美紗緒⋯⋯ 美紗緒っーーーーーー!!!」
「おかあさぁーーーーん!!!」
「かぁさぁーーーーん!!」
「ばあちやん…」 「ばぁば…」 「ばーば…」
わたしは幸せだった‥‥‥
決して長くはない人生だったかも知れないけれど
愛する者たちに看取られて本当に幸せな人生だった
みんな ありがとう