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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

遠い子守唄

作者: 無夜

人食い小鬼と、「おかあさん」に見込まれた女の親子ごっこ


ピクシブにも掲載


 独りの時間が好きなのです。

 ただ、まったりとのんびりと過ごしています。

 過ごしていました。

 目の前の、五歳か六歳ぐらいの小さな女の子が私を「お母さん」と呼んでしがみついてくるまでは。

 残念なことに、私は女なので、自分が知らぬところで昔の彼氏が私の子を作って育てていたなんてことは起きません。

 どこから入ってきたのかと、狭い部屋を見回します。

 窓が開いていました。

 ここは週末に訪れる別荘です。別荘というと聞こえはいいですが、父の知り合いの住んでいた家で、元の持ち主は老人ホームのお世話になるので格安で、この不便な場所の家を手放したのでした。いえもう、無料同然でした。庭に生えた山梔子と林檎の木を切ってくれるな、という条件で。

 ちなみにここは町まで車で三〇分かかります。

「どこから来たの?」

 しがみついた女の子の頭を撫でれば、髪の下に堅い……角。

 笑う顔は……人間らしくありません。

「お母さん。お母さん」

「あらあら」

 どうやら、私はぐつぐつと暗い、いろんな心の闇でこの子を作ってしまったのでしょうか。

「お母さんになって」

「なってもいいですけれど、いくつか聞きますよ」

「何を? なんでも聞いて?」

 ぎょろりとした目。(まなこ)と呼ぶ方がふさわしいでしょう。かすかに血走っていました。

「貴女の名前はなんですか?」

 女の子は答えようとしましたが、私は制します。

「これからする質問は三つ、お約束は三つ。もし、質問に嘘をついたら、お母さんにはなりません。お約束を破ったら、もうお母さんはしません。いいですか。それがわかったら答えてくださいね」

「……」

 女の子は拗ねた顔をしました。

「はい、ではお名前を聞かせてください」

「……言えません」

「お母さんにも言えないの?」

「言えないの」

「そう。では二つ目。どこから来たの?」

 女の子は悔しそうです。

「言えません」

「お母さんにも言えないの?」

「言えないの!」

 地団駄を踏んでます。

 私は紅茶が半分残っているカップを手元に引き寄せます。

「暴れないでちょうだい。カップが割れたら、危ないから。では三つ目。貴女が一番大好きな食べ物は?」

 女の子は目に涙を浮かべて憎々しげに私を見ました。

「人の生き肝!」

「そんなことだと思いました」

「答えられないこと聞くの、ずるいっずるいっずるいっ」

「大人の知恵です。お約束は三つ。質問に嘘をついたら、お母さんにはなりません。質問は全部本当を言ったようだから、お母さんになりますよ」

 女の子はびっくりした顔をした。女の子を装っている小鬼が。もしくは仔鬼か。どろっとした情念の集合体か。まあどうでもいいです。なんでもかまいませんね。

「お約束を破ったら、もうお母さんはしません。これがお約束のその二。お約束その三、私がお母さんであるうちは他の人を食べてはいけません」

 獣のような顔で私を見る鬼は、笑いました。

「お母さんが、私が約束を破らなくても、お母さんをやめようとしたら食べちゃうから」

「私が一方的に不平等な取引ですけれど、いたしかたありませんね」

「なんでお母さんになってくれるの?」

「きっと、私の中のいろんな悪意が凝り固まったら、今みたいな、人を貪り食らう悪鬼のような、そして卑小で哀れな、……ちょうどやっぱり貴女のようになると思ったからです。産んでしまったのだから、命在る限りは面倒見なくては。名前がないと不自由ですね。林檎と山梔子、どちらの名前にしますか?」

「林檎。真っ赤でいいから」

「残念。ここの庭の林檎は紅くないのです」

「えー……」

「林檎をもぎにこれるといいですね」




 林檎という名前の鬼を拾って、自宅に帰りました。

 平日は仕事をします。

 どちらにせよ、平日も休日も家では独りでした。

「お母さん」と林檎がしがみついて来るまでは。

 林檎は良いことも悪いこともしません。ただ部屋に居座っています。

 たまに自宅に仕事を持ち帰ってカタカタとキィーボードを打っていると、膝にしがみついてきて邪魔をします。

 頭を撫でます。

 角はいつも自己主張しています。

 ある日、近所で猫が惨殺されました。

「林檎」

「なあに」

「猫は美味しかった?」

「私じゃないもんっ」

「林檎のお仲間かしら」

「仲間もこの付近にいないもんっ。迷惑。濡れ衣っ」

「ああ、やっぱり、人間って怖いわね」

「食べるときはぺろっと丸々食べるもの。頭とか内臓とか残すわけないじゃない」

「好き嫌いのない良い子でお母さん嬉しいわ」

 あまり心がこもってませんが、ほめ言葉を口にしてみます。

 たまに林檎は飢えているようです。

 私が林檎を放り出して逃げ出すのを待っています。そうしたら約束を破ったと食べてしまえるのに、ソレが出来なくてたまにまた地団駄を踏みます。

 まあなんです。名前は林檎でよかったです。口なしと名乗るには、あまりにもしゃべりすぎます。

 飢えさせておくのも可哀想なので、鳥の肝を買ってきて食べさせてやりました。

「せめて、豚とか牛とかがいいのに」

「スーパーでは売ってません。あと、生で食べないように」

「鳥くさい」

 大きな肉屋が開いている時間に帰れたときには豚のハツを買って、焼いてから食べさせました。

 不評です。でも、ものすごくおなかの空いた顔はしなくなりました。




 数年して。

 いえ、十年近く経っていました。

 林檎はまったく大きくならないので、自分が経てきた歳月が嘘のようです。

 林檎は部屋を散らかしたりするようになりました。

 折り紙を与えておくと、動物の形に折った後、その首や羽根や尾をはさみで切って、部屋に巻き散らかすという娯楽をしていたのですが。

 片づけなさいっと私も怒るようになりました。折り紙の消耗が激しいです。

 そして羽根と首と尾が切られた鶴で千羽鶴は……。

「箱が繋がっているようにしか見えませんけど、貴女的に満足ですか」

 と、私が問うほど間抜けでした。

「嫌な気分にならない?」

「私が病人だったら、嫌な気分になれたと思いますけれど」

 切られた首がわざわざ頭を作るために折れています。

「どーせ裁ち落としてしまうのだから、折らなくても……」

「駄目。折れて『頭』ってわかるようにしてから切るのが醍醐味なのっ」

「林檎がまっすぐにねじくれていて、お母さん、なんか最近、楽しいんですよ」

 ぎゅっと抱きしめると、面白いことに、林檎はとまどいます。自分からしがみつくのはいいのですが、人に抱きしめられるのはなれてないらしいです。……もう十年近く一緒にいるのですが。



 そして二十五年が経過しました。

 私は結婚もせず、何人かにはひねくれた可愛い娘が居てどーのこーのと言ったことはありますが、親戚には一言も林檎のことは教えず、定年退職を迎えました。

 林檎は全然大きくなりません。

 まあ、鬼ですしね。

 箱でしかない千羽鶴を作る娯楽も飽きて、布を切って、縫って、人型っぽいのを作っては手足や首を切り落とす娯楽に耽っていましたが、一体作るのに時間がかかるので部屋が散らからなくていいです。

「ねー、お母さん。仕事もういかないなら、人形作ってよ」

「自分の楽しみは自分でやり遂げるから楽しいのです」

「意地悪」

 退職して気がゆるんだのか、私は熱を出しました。ベッドから起きあがれません。

 林檎がお水を持ってきてくれたので、手を伸ばすと……ひょいっとまた遠ざけました。

 私はがっかりしましたが、でもなんとなく。

 しょうがないな、この子、鬼だから。

 と、なんとなく納得してしまって、また頭を枕に戻したのですが。

 林檎はひょこりと横に寄ってきて、

「はい、お水。でも、意地悪しといたからっ」

 と、差し出しました。

 おや、意地悪とはなんだろう。

 飲んだ水は少し甘かったけれど、普通でした。

 林檎は目をきらきらさせて、子供みたいな邪悪な顔で、

「お塩入れたのっ」

 と、勝ち誇ったように言いました。

 汗を掻いていたので大変、良い飲み物でした。

「あらひどい。また意地悪してもってきてちょうだい」

 髪を撫でると、角が当たります。

 そんなこんなで私は回復して。

 林檎に牛のハツを買って、焼いてから食べさせました。

 やはり不評でしたが。



 四十二年後。

 買ってやった着せ替え人形の頭をはずしたりくっつけたりという遊びはしていますが、たまーに「お母さんの遊びに付き合ってくれたっていいじゃない」とおままごとや普通の着せ替え人形遊びをしてきたので、今は独りでそういう遊びもするようです。

 半世紀は無理だったなと、林檎の頭を撫でながら思います。五十年を過ごせたら。百年を一緒に過ごせたら、病気の私にひとつまみの塩を混ぜたお水を持ってくるようになったこの子は人の子のようになれたでしょうか。

 人の身に、命が足りません。

 そばでお絵かきをしている林檎は、昔は殺伐とした絵をよく描いていました。

 一言で表現するなら、大流血です。紙一面が真っ赤で、異様に色鉛筆やクレヨンの赤が消耗していくお絵かきでしたが。

 今、彼女はお人形さんに着せるお洋服を描いています。リボンがいっぱいの、頭に冠を被っている、普通によくある絵でしょう。

「こういうの、作って」

「冠は難しいわね。モールで良いかしら」

 金のモールでティアラを作って、お人形に載せてやり、同じようなものを大きめに作って林檎に載せてやります。

 命が足りません。

 山梔子と林檎を私は守りましたけれど、私が死んだら、誰があの二本を守るでしょうか。

「おなか空いた?」

 昔はこう聞くと、鬼の本性が出たものですが、今の林檎の目は揺らぐようになりました。

「なんでずっと一緒に居てくれたの?」

「最初は私の中の悪いものだと思ったからです。どこから来たのでしょうね、林檎は」

「私はお母さんの中の何かじゃなかったのに。途中でわかったのに?」

「私は独りが好きでした。けれどもまあ、そばに貴女が来てみて、煩わされるのも、それはそれ、楽しくて……」

 頭を撫でてやりながら、私は言います。

「可愛かったのですよ、林檎が」

 林檎が手を握ってきました。

 それから膝に顔を埋めてぐりぐりと目頭をこすりつけてきます。

 目が少し不自由になった私は、それでも針に糸さえ通してもらえれば縫うことはできました。

 お人形の服を作ってやらなくちゃと、布を取り、型をとって……。



 ああ、やっぱり。足りませんでした、私の命は。


















山梔子の木と林檎の木のある古い家は所有者不在のままずいぶん放置された。

 所有者である八十歳ぐらいまでは姿を目撃されていた老婆はひっそりと姿を消したまま、事件事故の双方から捜査されたが、まったく見つからなかった。

 物取りの線は有力だった。

 しかし、取られたものが不可思議だった。

 子供が遊ぶような、人形、型紙、折り紙などがなくなっていた。裁縫道具もそろってなくなっていたが、なくなったものを把握するまでずいぶんかかり、また把握されてからも、謎が謎を呼ぶばかりだった。




 林檎は「お母さん」からもらった人形や着替え、オモチャ、最後に作ろうとしていた裁縫道具や材料を一つの箱にしまい、それを抱えていた。

 死んでしまった「お母さん」は食べてしまった。そのために一緒に居たから。

 美味しかった。

 一口食べるたび、あんなことあった、こんなことあったと思い出す。

 全部食べ終わって、だいぶ経つのに全然おなかがすかない。

 仲間がそんなに腹持ち良いならくれよと「お母さん」のお肉や骨を持っていこうとするから、喧嘩をしたりもしたけれど。

 箱の中には骨も入っている。

 舐めるとやはり、思い出す。

 全然おなかはすかないのだ。

 たまに、林檎と山梔子の木を切り倒そうとする者が出たときだけ、重い病気になるようにと出向く。それ以外は着せ替え人形で遊んでいる。



 人の「お母さん」の命は、服を作ってあげるには少し足りなかったけれど。

 小鬼の人食物語を終わらせるには足りたのである。 






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― 新着の感想 ―
千個箱。想像すると残酷だと思いましたが、よく考えたら焼き鳥も同じようなもんですね。
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