「不幸の手紙」でハッピーエンド!
暴力・グロ表現注意
作中にて上記の描写はありますが、決してそれを肯定する気はありません。
ソレを見つけたのは、神官長の頭をカチ割って部屋に火を放ち、さぁ自分はどう死のうかなという時だった。
どんどん下から上に広がっていく炎をボゥっと眺め、黒煙に眼をしょぼしょぼさせながら、なんとなく部屋を見回した。格別に思い入れはない。しかしこの場所で、正座した足の上に大きな石を乗せられたり、人格を否定する言葉で散々怒鳴られたりしたのだ。それが燃えていく様を見るとスカッとするかもしれないなと思って歩き回る。
そうしたら、ガッと足を引っかけて転んだ。
あ゛? とジクジク痛む膝を無視して足元に目線を向ける。せっかくの目出度い空間に水を差された気分だ。この部屋はもう水をかけたぐらいじゃ収まらないほど燃えているが。
自分が引っ掛かったのは、ごみ箱のようだった。自分が倒れたのと同じ方向に丸めた紙やらよくわからない屑が飛び散っている。その中に、破られもしていない紙の束がポツンと落ちて存在感を放っていた。手に取ってみると、手紙の束のようだ。
ブレのない美しい流線が、封筒の表と裏に飾られている。自分は文字を読めないが、そこに宛先と送り主を書くものだという知識はあった。この整った形はきっとお貴族様が書いたものだろう。しかし、神殿に寄付をする貴族は数多くいても、神官長個人に手紙なんか送る者がいるのだろうか。
あ、もしかして家族とか? 自分を散々虐め倒してくれた神官長に、娘がいるというのはよく本人が口にしていた。あっちで半分炭になりかけている彼の目の前で燃やそう。いや、これを抱きしめて死んでやろうか。他人の愛の交流を自分の胸に抱いて、死出の旅に持って行ってやるのだ。地獄の門番に見栄を張るくらい許してくれるだろう。
よし、と思いついた良いアイデアに自分天才だなと呟きながら、封を切って中身を取り出し、読み始めた。さらりとして指を傷めない質で、蔓のような模様の透かしが入った紙。丁寧に繊細に書かれた<かたち>たちは、見ているだけで楽しい。手紙のはじめは時節の挨拶なんだよな。天気の話題は困ったときにするらしいが、親子でも話題に困ることあるんだな。
読めもしない形を一行ずつ目で追っていくと、ふと見覚えのある文字が何度も出てきたことに違和感を覚える。
名前だ。これは名前。
だれの? 自分のだ。じぶんの……おれの、おれのなまえはこうだった。
ならこれは、おれのなまえのかたちだ。〇〇さま、とかいてある。
〇〇さま、〇〇様、〇〇、………サフィル、さま。
おれは手紙の最後の行に目を移した。そこには書いてなくて、あぁ、もう一枚あるのか。
一枚目の裏に引っ付いていた二枚目を剥がしてめくる。手紙には二枚とも文字がびっしり書いてあった。その二枚目の最後の行に、忘れもしない。忘れられない文字を見つけて目を見開く。
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親愛なる恩人、サフィル様へ。レジーナより
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※※※
サフィルは、神殿に勤める癒し手だった。昔はたくさんいたという治癒魔法士も今では数少なくなってしまい、この国ではサフィ含めて二、三人しかいないらしい。そんなサフィルを神殿が保護していた。
孤児で拾われたサフィルは、神殿内部では慰め者として認識されていた。神に仕える神官には娯楽が少ない。そのため彼を殴ったり蹴ったりしてすっきりするらしいのだ。傷ついても自分で治させればいい。洗えば何度でも再利用可能な雑巾よりも便利な存在だった。なにせ三分一が無事なら擦り切れても新品同様に元通り! そして金にも化ける立派な道具だった。
彼の治癒力は死んだ人を生き返らすことは出来なかったが、大抵の怪我や病は治せる。そんな彼の慈悲を求めて大勢が大金を手に押しかけてきた。列挙するそんな金持ちどもを、神官長達が寄付金や地位から判断して順番を決めて搾り取る。金や供物が用意できない者たちは、どんなに重い病の身体を引き摺って来ても追い返された。
彼女は、さる伯爵の一人娘だった。伯爵という立場はあまり上の地位ではないそうだが、この家は最近鉱山の発掘で成功しておカネをがっぽり儲けているらしい。さらに愛娘のことを溺愛しており、どれだけふっかけても言い値を用意してきたと、同じく子を持つ、ある神官が嗤っていた。
彼女の病は、全身の筋肉が硬直して石のようになるという症状。末端からじわじわと動かなくなり、進行は彼女の喉にまで至り始めていた。目も開けずにヒューヒューとか細く空気が出入りする音しか出ない。
おれはその姿に何の感慨も抱かず、ただ命令通りに唇の端を吊り上げ、色のない瞳で見つめた。彼女の閉じて固まった手を握り、神力を籠める。毎回どっからきているんだか分からない風がゴウッと巻き上がり髪を暴れさせ、複雑な文様が浮かび光輝く。これはいかにも神秘的な演出らしく、客にも神官たちもウケがいい。その時も彼女の侍女だかいう老婆や父親の伯爵が目を潤ませ、神へ奇跡を祈っていた。
一定の力を籠めるとある時に、ふっと、もうやめていい量になったと分かる。光や風も落ち着いてきて、おれはそっと手を離した。じっと幼い少女の顔を見つめると、ピクリと指先が痙攣しゆっくりと瞼が開かれようとしている。任務は完了した。
もうこれ以上やることもないので、次の患者に向かおうと腰を上げる。食事の時間は決められていて、治療が長引くと食いっぱぐれることがある。さっさと今日の分のノルマを終わらせなければ。かかとを滑らしてドアの方へ身体を動かそうとし、
くんっ、と。神官服の袖が引っ張られた。そのまま、かかる力の向きに沿って顔を向ける。
神官服の白い袖に、同じくらい白く、でもだんだんと血が通って薄く染まる指先が絡まっていた。そしてふくふくとした腕の通りに目線を動かすと、潤んだ紅玉とかち合う。
その時は感じなかったが、今思うとバチッ!!!と音が鳴るくらい衝撃的に目が合った気がする。絶対そうだ。あの子もそれで運命だと感じていただろう。
彼女は、見えるようになって間もない目を少し彷徨わせ、おれと目が合ったと分かるとふにゃぁと笑いかけた。そして何事かを話しかけようとしたのか、もごもごと口を動かし、そして何も音を発せない口に苛立ったのか、眉根を寄せる。
あぁ、この時に彼女は何を言おうとしていたのだろう。
その後は、我に返った父親に押しのけられ、袖を掴む白パンのようなもちもちは離された。号泣する中年男の声がうるさくて、神官長に背を押されながらさっさと部屋出てしまった。これが自分と彼女の初対面。それまでは作業としか思ってなかった治療行為を、あの紅玉が見れたのなら、治してよかったなと感じたのも初めてだった。
きっとあの時から、おれが世界で一番美しくて好きだと感じる色は、あの子の瞳の色になったんだと思う。
そしておれの宇宙で一番愛しくてかわいくて大好きな人と再会したのは、それからもう少し後だった。
またぶたれて治して蹴られて食べて潰れて寝て刺されて絞められて治って溶けての日々の繰り返しに、ある異物が入り込んできた。それが手紙だ。
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しんかんさま たすけてくれて ありがとう
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レジーナより
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おれは字が読めない。読める利点と読めない利点を比べた時に、神殿にとって後者の方が有益だと判断されたから。おれの知ることをおれが決められないむず痒さにはいつまで経っても慣れていない。
あの子からだと言って、読めない手紙を渡してきたのは、そんなおれの反発心を警戒したのかはたまた唯の嫌がらせか。いずれにせよ珍しくおれが神殿からもたらされた幸いだった。
久しぶりに、自分から何かをしたいと思った。手紙を読むために、興味のなかった信者や病人どもと関わりを持つようになった。とくに、腰を痛めた老人や赤ん坊が逆さまになった妊婦に。持たざる者を痛めつけるタイプの人間は見抜けるし、ここで治療を受けられる者は基本的に生活が裕福で、施しを好めるほどのカネ持ちが多い。困った顔をして無学を恥じらような顔をすると、嬉々として読み聞かせてくれる。
すぐに、さまざまな声によって発せられる彼女の言葉を、知らない彼女の文字として見られるようになった。頭が割れて運び込まれた小さい女と、全身に鞭の跡があった若い女を混ぜたような声が、おれの頭の中で響いている。
「わたしのおん人、サフィルさま。おにわのお花がぴんくいろになってきました。あと、てんとう虫がたくさんいます。サフィルさまのおすきなお花はなんですか」
「私の恩人、サフィルさま。今日はお父さまとピクニックに行きました。とびまわるちょうちょを追いかけていると、お父さまが泣いてしまってびっくりしました。いい大人なのに恥ずかしいとおもいます」
「サフィル様、チャグの実って食べたことありますか? レモンを食べても酸っぱく無くなるんですよ! むしろ甘くって、不思議な感覚がしました」
「親愛なるサフィル様。愛犬のハリーとランニングをしてたら、リァにバレて2時間も叱られてしまいました。もうおばあちゃんなのに、どうしてあんなに元気なのかしら?」
さふぃるさま、サフィルさま、サフィル様。今日は散歩をしました。お絵描きで果物を描きました。苦いピーマンを食べてしました。甘いお菓子を食べました。美しい景色を見たので押し花をあげます。飼い犬と遊んで、転んで、食べて、寝て。全身を動かす楽しさを、自分の目で見た周りの大人の優しい顔を、触れたものを。自分がいかに幸福かを並べ立てたあと、少し大人になった彼女は必ず、
『こんなに素晴らしい世界を感じられるのは、サフィル様が私を治療してくださったおかげです。本当に、ありがとうございます。私の恩人に、神のご加護がありますように』
こう締めくくり、結びの挨拶としていた。
おれは、自分が今幸せな状況にはないことはわかる。ならば実際幸せとは何かなんて問われても、答えられない。だが彼女の手紙を読むときだけ、白パンのような手が動き回り、楽しげな声が聞こえる風景を思い浮かべることができた。
神のご加護なんてものによって変な力が使えるようになり、散々な目に遭わされてきた。でもきっと、彼女のような人間は神のご加護なんてなくても幸せだから、おれに分けてくれたんだと思う。
7年。この一方的な手紙はおれに送られてきた。彼女を治癒した4歳のときほど頻度は低くなってしまったが、半年に一回は必ず手紙が送られてきた。
一度、書いたはずのないおれの返事に対する内容があり、どういうことかと焦ったこともあった。見知らぬ神官がおれのフリをして彼女に返事を出し、寄進を勧めていたのだ。さらには体の関係まで迫るようなことも書いてあった。頭が真っ白になりながらも、どこか冷静な部分のおれの指示に従い、この神官が他にも貴族の子供に手を出そうとしていた過去を晒して、追放した。
それで、はじめて彼女に返事を書いた、読むばかりで書いたことがなかったからぐちゃぐちゃな文字になってしまったが、人の良さそうなやつに協力を要請して何度も書き直した。今までのおれからの手紙はおれではない変態によるものなので、君のばぁやに頼んで燃やすこと。おれは字が汚いから今まで恥ずかしくて返事を出さず、申し訳なかったこと。たくさんくれた手紙には全て目を通していて、君が健やかに成長していてとても喜ばしく感じていること。
回りくどい表現なんて出来ないから直接的に言うしかなくて、おれが患者に対して治してよかったなんて思うことなんてなかったのに、彼女へはそう書くことができて、おれもやっと人間らしくなってきたんだと実感した。神官にはボロ雑巾のように扱われ、信者や患者には恐ろしい存在だと扱われている。自分は本当に人間なのか、人間の持つものなんて何一つ持ってないのにどうしてそう言えるんだと悩む日々も、彼女の手紙を読むためなら他の人間を頼って同じように振る舞って行動することができた。
初めて自分の言葉で書いた手紙に、はじめて返事が返ってきた。おれはもう、コレを受け取る前には戻れなくなったことを、薄い紙を握ってぼんやり思ったことは覚えている。そしておれに与えられるこの文字がほしくて、何度も返事を書いた。
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ぴんくのはながすきなんですか。おれはきいろのはな
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がすきです。たべられるから。おいしくてあまいので
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ぜひたべてみてください。あと、へんたいからのてが
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みはすてましたか。すみやかにおねがいします。
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「昔の質問にお答え頂きありがとうごさいます。サフィル様はお花を召されるのですね。神にお仕えする神官様らしいと思いました。料理長に頼んで、黄色いバラのジャムを作ってもらいました。綺麗で甘くて、お気に入りになりました! サフィル様を騙った方の手紙はお父様が確認した後暖炉で燃やしましたので、ご安心ください」
治してもどうせまたやられるからとほっぽいといた傷は、手紙に血がつくと嫌だから治すようになった。早く彼女の手紙を読んで返事に悩む時間が欲しいから仕事を効率的に行い、みっともない姿を演じることで神官たちの鬱憤晴らしの時間も短縮できるように頑張った。下手にプライド持って反応しないとさらに酷くなると学び、哀れっぽく謙った様子を見せるとやる気が削がれるようだと気づいたのだ。
また、言葉にも気を配るようになった。ゴミ、クズ、使い捨て、募金箱、神使さま、化け物、奇跡の子、ウジムシ、などおれにかけられた言葉はきっと美しい言葉じゃないから。そして美しい言葉がおれにかけられることはないから、周りの会話にも耳を傾けるようにしたんだ。信者が神官へ、神官から貴族に直接かける言葉なら、多分間違いはないだろうから。
そうやって頑張って文通してるのに、おれは時々彼女に怒られる。でも彼女の怒りは、手紙を通じてしか来ないから痛くない。暴力だけでなく、言葉もひどくない。おれは本当に怒られているのか疑問に思う。
「ですから! サフィル様は尊いお方なのに、私に対して丁寧すぎます! なんですか『レジーナじょうにおかれましてはご息さいのこととぞんじます。お粗末なことばしか紡げないわたくしからのてがみも、ご笑のうくださり感しゃいたします。』って!」
「すまない。わからない。ごめんなさい。大切な人にはたくさんありがとうを言って気をわるくしないようにするべきだと思ったのですが、気にいらなかったでしょうか。おれはレジーナじょうが大切です。」
「もう! そんなことを仰るなら私もひたすら謙った文章で書きますからね! 見せて差し上げますよ言葉の厚みってものを……!」
「こんなにたくさん書いて、手がいたくないでしょうか。むりはしないでほしいとおもいます。」
「ブーメランんんんんん!!!!」
「でね、ハリーがいっつもいい感じの長さの棒を集めてくるものですから、ついにリァがその棒を組み立てて犬小屋を作ってしまったのですよ! 流石に雨は通るほどの隙間はあるのですが、風通しが良くって、天気の良い日はよく私も一緒に入って休んでいます。」
「はりーくんがうらやましいです。おれもレジーナ嬢と一しょに過ごしたい。」
「サフィル様はお忙しいことと存じますが、いつでも遊びにいらしてくださいね。」
「ぜったいに行きます」
「レジーナ。悲しいことはないか。辛いことはないか。おれがいつでも治してあげます。」
「サフィル様。お心遣いはとてもありがたいです。しかし、私はもう立派な淑女となりました。不治の病はどうにも出来ませんが、大抵のことは一人で何とかできる年齢です。お転婆な姿をお聞かせしてきたためご心配をおかけしているかと思いますが、サフィル様は私よりもご自身を第一になさってくださいませ。」
「レジーナ嬢」
「サフィル様」
「レジーナ」
「サフィル様」
「大切な君へ」
「私の尊き方へ」
「レジーナ」
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神官様の相手はもう疲れました。二度とわたくしに関
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わらないでくださいませ。 レジーナ・マクスウェル
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「レジーナ?」
「レジーナ嬢。すまない。ごめんなさい。気を悪くしてしまったのなら謝るから。返事をください。」
「マクスウェル伯爵令嬢。何度も申し訳ありません。しかし、急にお返事が来なくなってしまい心配しております。どうか、一言だけでもくださいませんか。どうか。どうか!」
「レジーナ」
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レジーナはおれがきらいになたのですkぁ。それなら
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もら近づかないからせめて、きみのもし゛で〜√∂※
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最後にもらった手紙は握りすぎて、指の当たる所に穴が空いた。毎日毎日手紙が来ていないか聞いて、便箋に文字を走らせたのに。はじめて返事を書いてから4年と11か月と8日。
なんで
どうして?
突然すぎる別れや言葉に頭が追いつかない。何がダメだったのか。何を言ってしまったのか。コレまでの会話を思い返して謝りたいのに、仕事に身が入っていないと殴り飛ばされて思考が整理できない。あぁ頭が痛い、信者どもがうるさい。手紙の返事? きてないよ。来ないんだよ。お前らのせいだ。おれを馬鹿にしてんだろ。見下してたんだろ!
だから嘘を言ったのか!!!!!
間違った文字を教えて、化け物が人間のフリをする滑稽さを笑ってたんだろ!!!!!
あたまがいたい。女の声が脳みそをかきまぜるように響く。焼けた鈴のようにギャラギャラと、あれほど聞きたかった美しい声が、歪で不快なものに変わってゆく。
サフィル様。愚かなサフィル。尊いお方。神に見放されたバケモノ。きもちのわるい。あああああああああぁぁぁぁ!!
出す相手もいないのに、と便箋を貰えなくなった。
木の板に書こうとしたらペン先が潰れた。
暖かい顔をして迎えくれていた女たちが、怯えた目で見てきた。
だからおれは、手紙を捨てた。
初めから必要なかったんだあんなもの。決まった暮らしの中に入り込んできた異物だ。卑しい俗物だ。アレがあったせいでおれは、普通の人間に慣れると勘違いしてしまったんだ。
能力を使って、繊維を解く。人間だけでなく、死んだ植物にも使えるのだと知った。ボロボロと崩れていく紙束。楽しげな筆記体で書かれた文字が虫食いのように消えていき、土に溶けていった。
そうしておれは自分になり、全てを忘れて以前の「恐ろしい力を持つ神殿のある神官」に戻った。
3年後、なんもかんもが嫌になって火をつけたのだ。
※※※
そうだ。思い出した! 思い出したぞ!
自分はおれだった。おれはサフィルだ。手紙で、レジーナが「サファイアのように慈悲深いお方ですね」と褒めてくれた名だ。男として見てほしくて、おれと自称していたんだった。
あぁ、いけない! 手紙で、レジーナは髪は短い方が好みだと言っていた。顔を覆う前髪が鬱陶しくなり、手に力をこめて当てる。毛先の方から縮んでいき、プツリと切れて視界が晴れて行く。こんなもんかな。あとで鏡を見ないと。
手の中の束を見る。そこそこ厚さがあった。内容はあとでしっかり読むとして、日付を見る。半年分くらいだろうか。一月に一度送られている。しらない。おれはこの手紙の存在をしらない。手紙の終わりは全部おれを気遣う言葉だった。連絡がなくて心配していると。お菓子を贈ったが口に合ったか。少ないがこの宝飾品を足しにして欲しいと。
しらない。しらない。お菓子もプレゼントもおれは手にしていない。でもレジーナは嘘をつかない。つく必要がない。ならば、おれに贈られるはずだったモノたちはどこへ? おれが手に入れていたはずの彼女の言葉を、妨げていたのはなんだ?
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ーーーーーーーーそうか。
急いで神官長の部屋を漁る。炎に巻かれ火傷する手を片っ端から治して、棚をひっくり返し紙のものをぶちまけた。よかった、ない。この部屋にあるのは手の中のコレだけか。さっき煤だらけの手で触れたから、少し汚してしまった。あの子に謝らないと。
扉を開けて外に出る。もくもくと煙が廊下に流れて行く。神官帳の部屋は一階の特別な場所にあるから、周りに人影はない。後ろでモノが崩れてひしゃげる音がした。防音設備も整ってたはずだからそこまで響きはしない。
数日前俺を殴った神官の指に、美しい青色の指輪があった。ここの神官が簡単に手に入れられるモノではない。自分で買ったんじゃないなら奪ったんだ。おれから。レジーナが送ってくれたおれのものを!!
飴色のすべすべした手すりを掴み、勢いよく階段を駆け上がる。2階の踊り場に差し掛かったところで上から話し声が聞こえ、咄嗟にしゃがんだ。
「またきたのか? 『不幸の手紙』」
「あぁ……熱心だよな〜伯爵家のお嬢様だろ? 信心深くいらっしゃって此方としては大変結構だが、何が楽しくてアレと文通なんぞしてんのかね」
「ほら、アレじゃないか? 持つ者としての施しみたいな」
「返事もないのに? まぁ、所詮お貴族様の自己満足ってことか。今回はなんも入ってなくて残念」
「お前もワルだな〜神官長に付属品のことは言ってないんだろ?」
「あのおっさんばっかイイ思いしてんのムカつくじゃねぇか」
背筋が冷えたような感触がして、足元から風が起こる。おれを中心に魔法陣が展開していき、光を放つ。上階から降りてきた奴らが目を見開いて何事か叫ぶように口を開けたのを、ゆっくりと眺めた。
まず左の方。コイツは、よくおれを蹴ってきた。球蹴りが趣味でよく仲間と試合をしていると。おれは跳ねが悪くてつまらないと。だから膝を砕く。手を当てて骨と骨を繋ぐところを溶かすと、そいつは崩れ落ちた。自分の体重でさらに脚を強打し、悲鳴も上げずに転がっている。
もう1人。おれの指輪を奪った方。左の中指にまだ嵌まっていて、怒りで血管が爆発しそうになるのを感じながら、頭の反対側では冷静なおれがいた。逃げ出そうとするヤツの手を捕まえて、指輪を埋めている邪魔な肉を落とす。腐り落ちて骨がうっすら見えるほどになったら、指輪が滑り落ちてきた。慌てて両手で受け取る。後で井戸で洗わないと。石だから、たわしで磨けば綺麗になるだろうか。
自分の手を見て絶望し、咄嗟に触れようとするも痛みと汚さから躊躇する男。そんなら隙だらけの男の首を押さえ、聞いた。
「他のは?」
「は、ぐっ、カヒュッ、な…に……?」
「手紙。お前が横取りしたおれの。どこ?」
全然聞き取れない。使えない喉なら潰そうかと思ったが、レジーナが手紙で「短気は損気。……と言いますけれど、自分が何に怒っているかは伝えた方が良いと思いません? 怒った顔をして、二度はないぞということは言外にでも言っておかないと」と言っていたから……うん。
怒った顔、怒った顔。はて困ったな。どんな筋肉を使えばいいのだろう。俺を嬲るときはみんな笑顔だ。初めは顰めていても段々笑っていく。感情の発露の最終点が笑顔ならば、先に笑っておけば俺の怒りもすぐに伝わるのかな。
ニコリと男に微笑む。微笑めと言われてずっとしてきたから、慣れている表情だ。男の左手に手を当てる。だくだくと流れていた血が止まり。期待したような目で見てくる。信者のような顔をした男にまた微笑んで、一旦手を離して立ち上がり、裾を払う。
直後、ドサリと音がして、男の腕が落ちた。「あ、ぁぁ、あああああ!!!!!」とうめき声が響く。しまった。踊り場だから音が響く。じわじわ端から腐り落とせようと思ったのだが、さっさと終わらした方がよかったかも。
さらに壊そうとすると、断末魔のように男が叫んだ。
「手紙は! はぁっ、もやした! ザマァみろ!!」
「は?」
ぐしゃりと音がする。むかし、おれの皿にだけ乗せられた腐り果てたトマトのように。
急いで走る。人に見つからないルートなら熟知していて、自分の足の筋肉を発達させたからいつもより足が早い。後で使い物にならなくなってそうだが、また治せばいい話だ。
たどり着いたゴミの集積所に転がり込むように入り、焼却炉の中を手をぐちゃぐちゃにしながら探る。今日はまだ何も燃やされていないようだ。ならばと炉の扉を閉め、ゴミがまとめてある部屋を探し回る。ここにあるのは全部燃えるゴミで、つまり生ゴミが大量にある。酷い匂いの中では手紙から香る彼女の匂いも辿れず、ただ闇雲にゴミを漁った。時折出てくるネズミや虫を踏みつけ、おっさんの汚い欲に塗れた紙束を撒き散らす。
いったいどれほどの時間が経ったか。おれとしては心臓が止まりそうなほど時間がかかりながらも、隅の方に置かれていた彼女からの手紙たちを救い出せた。
見つけられたのは3束ほど。汚れきった手で触れるのに躊躇し、手紙に血がかからないようにしながら、近くにあったクギで両手を裂いて再生させた。皮膚をまるきり変えてるので大丈夫だろう。すべすべになった手で触れる手紙はくしゃくしゃになっていたが、中身の字はなんなく読むことができた。
あとでじっくり読むとして、内容をざっと確認する。日付は飛び飛びだが、手紙が届かなかったはず期間、おおよそ2年くらい前のものからあった。季節と、自分の近況と、あとはおれの体調を気遣うもの。無理はしなくていいから気が向いたら返信してくれると安心すると。彼女が望むならおれはいくらでも書いたのに。
これを見ると、やっぱり彼女はおれとの文通をやめる気など毛頭なく、わたくしにかかわるな、なんて思っていなかったことが分かる。ならば、あの手紙は。彼女の意思ではない。何者かがおれから彼女を取りあげようと、引き裂こうとしたのだと、確信を持った。それらを排除すれば、また彼女に会話ができるんだ。やった、やったぁ!!!
指輪といっしょに、この手紙もあとで綺麗にしないと。でもまずは、この場所から。
ボワッと爆発したように燃える。木造のところは勢いよく、石造りのところはじわじわと。神殿のあちこちから火の手があがり、真夜中に真昼間のような明るさで周辺を照らしていた。こんなに大火事なのに、神殿内に人の騒ぐ気配はない。皆、おれが息を止めてきたから。
神官たちには、覚えている限りでやられたことをやり返してきた。たくさん蹴ってきたやつは、足の神経を過敏にさせた。まるで万本の針で足の内側から刺されるような痛みを味わっただろう。殴ってきたのには腕の骨を脆くさせ、百ヶ所以上で骨折するように。唾を吐きかけてきたものは唾液の分泌を過剰にさせて、自分の唾で溺れさせた。これは結構笑えたなぁ。
信者どもも、神なんかに祈るほど嫌なこの世界からおさらばさせてあげた。最期まで神に祈ってて、その願いが届いているといいなと思う。まぁおれのは届かなかったし、お前たちのが届くはずもないんだろうけど。でももう化け物に頼ってまで生き延びなくていい、病や怪我の苦しみから解放されると分ったのか、何人かはおれに感謝してきた。良いことをすると気分がいいと彼女が言っていたのは、こういうことだったのかな。うん。こんな奉仕ならアリかも。オレのやりたいようにやるのが一番だって言ってたし。
煤で汚れた顔を、神殿から離れたところの井戸水で洗う。適当に盗ってきた布で拭ったら、ピンか何かが引っかかって額が切れた。手を当てて力を使うと、ポワッとした感覚が走りじわじわと痛みや血が止まる。……これくらいならなんともないが、力を使いすぎたのか治りが悪いようだ。勝手に授けた力に回数制限とかあるのかよ。神ってほんと使えないな。
同じく汚れた手紙を水に浸かしたら、破けそうになって焦った。慌てながら慎重に取り出し、そこらへんに落ちてた枯れ枝を乗せる。枝に力を入れると、カラカラに乾いていた枝が手紙の水分を吸収して水々しく張り、節から若葉が伸び始めた。手紙に染み込んでしまった水は取れたが、かわいい丸い字が滲んでしまう。クソッどうして俺の能力は時間を巻き戻すものじゃないのか。治癒の力がないと彼女とは会えなかった? それなら両方寄越してくれれば良かったものを。カミサマはいつもおれの願いを受け取ってくれない。
どかりと座って、手紙を読む。初めはおれからの返信がないことに戸惑っていたが、段々とその様子もなくなり、また楽しげな彼女の様子が描かれるようになった。気にされないといのも悲しいな……。いや、慈悲深い彼女のことだ。おれに何かあったと思って、それでもおれとの交流は続けたいと、自分の気持ちは変わらないと、そう手紙を送り続けてくれたのだろう。あぁ、ああ! 嬉しい! おれは彼女に愛されている! 彼女はおれを見捨てなかった! なんという愛情深さ。彼女こそが聖女。また脳内で笑う彼女の声が聞こえてきて、手紙を全て読み終えた時、おれはどうしても我慢できなくなってしまった。
彼女に会いたい。
本来なら手紙でお伺いを立てて、相手の了承をとってから訪れるべきだろう。彼女からの手紙を待つ時間はこの上ない幸福だが、それよりも。それよりも、彼女に会いたい。せっかく自由の身になったのだから、女どもの声を混ぜた想像の声ではない、彼女の声を聞きたい。おれへの言葉を綴る指に口付けたい。あのとき合った紅玉の瞳で、おれを見つめて、おれだけに笑いかけてほしい。
嫌われてしまうだろうか。いいや、彼女は「いつでもいらしてください」といつかの手紙で言っていた。おれを愛してくれている女だ。身支度を整いきれなくて申し訳ないが、おれの姿を見たらきっと心配して、哀れんで、そうしてずっと傍にいさせてくれるだろう。とりあえず浴びてしまった穢れだけ落として、服はこのままでいいか、走っていれば乾くだろう。早く彼女に、はやくあいたい。
家の場所はわかる。地図がある。おれは一生この神殿で飼い殺される予定だったが、他の神官たちは貴族たちの家に訪問することがあった。寄進のお願いをして賄賂を受け取り、また軽い治癒を行うためだ。そのための地図を、誰かの部屋で見つけておいた。地図の読み方は分からないが、方角はわかる。日が昇るのが東で、沈むのが西。寒いのが北で暖かいのが南。これだけわかっていれば大丈夫だろう。
全身の筋肉を強化して、走る。ぶちぶちと筋繊維が解け、さらに太くなって強化される感覚がする。突然の成長に体ついていけず、こけることもあったが気にしない。そんなことよりも前を見たい。ははっ! すごい。おれの一歩で木を三つ通り過ぎれるし、腕をかけて飛んだら屋根を飛び越えられる。ちまちま進むよりずっと良い。神官の腹をぶん殴ったらスピードが速すぎたのか突き抜けてしまったことを思い出して、くくくと笑う。おれもびっくりしたが、アレの顔も面白かった!サプライズとはああいうものか。いいな。レジーナの驚いた顔もきっとかわいい。
森を越え、街を越え、川を越え、丘を越えたところで、マクスウェル家の領地に着いた。地図の通りならきっとここだ。彼女は伯爵家だから、きっとここらで一番大きな家が目的地だ。領地全体が見渡せて、攻められにくいところ……きっとあれだ。見つけた大きな屋敷に胸が高鳴る。あそこがこれからおれの家になるんだ!
塀を飛び越えて敷地に入ると、どうやら庭のようだった。太陽が真上にある昼時だからか、美味しそうな匂いがどこからか漂ってくる。使用人らしき人々の話し声も聞こえてくるが、美しい彼女の声には思えない。レジーナは、レジーナはどこだろう。食堂かな。はやく。はやく会いたい。
「ハリー! だめよ! 離しなさい」
ツンッと、頭に入る声があった。その声に導かれるようにふらふらと垣根を分ける。薔薇の生垣からそっと覗くと、白黒の斑模様をした大型の犬、背の低い、簡素なお仕着せを着た老婆。そして。
輝くように艶めく赤毛は、彼女の動きに合わせてゆったりと形を変え、風に揺れる広大な麦畑のよう。紅の瞳は、朝日ほど眩しくなく、夕陽のように全てを包み込んでいる。自分の犬がボールを離さないことに、困ったように曲げられていた眉は結局仕方がないとなだらかな線を描き、大輪の花が咲いたように笑った。レジーナだ。おれの女王様。豊穣の女神。おれの……おれを幸せにしてくれる女性。
くるくると変わる表情を、しなやかに動かす手足を、ひらひらと舞うドレスを、健康に生きている彼女の姿を、惚けたように見つめた。鈴のような、川のせせらぎのような、鳥の歌のような彼女の声を聞くと、神殿で聞いたどんな女の声もひび割れていたように思える。ぷくりとした唇から紡がれるのはおれの名前ではなく犬の名前で、犬に憎悪を感じるよりも前に、おれの名前を、サフィルと呼んでほしい欲求が先走る。
誰かに呼ばれて、彼女たちはゆっくりと移動していった。昼食をとりに行くのだろう。せっかく彼女の美しい生を彩る時間を、邪魔したくはない。ならば先に、必要な用事を済ましてしまおう。
この屋敷の中で、日当たりの良い一番良い部屋を目指す。二階ならレジーナの部屋だろうが、一階ならこの屋敷の主人、レジーナの父親の部屋だろう。おれと彼女の関係を認めてもらわなければ。
大きな窓に、座って仕事している大男の姿が見えた。あれだろう。となりの小部屋の窓が開いている。不用心だなぁ。おれを歓迎してくれているのだろうか。窓から入り、ドアを開けて次の部屋へ入る。突然ドアを開けてきた侵入者に男は驚き、おれの姿を見て警戒を強めた。そして何事かを叫ぼうとしたから、おれは一気に距離を詰め、すべすべした机の上に膝をついて、男の目に手を当てる。びくりと肩を動かした男は、急に暗くなった視界に戸惑い、そして明るくなるにつれて驚く。
「あ、あ゛あ゛あ゛、っぅえ、がはっっ」
「痛いよな〜〜光が目に刺ささるようだろ? ちぃっと視覚を過敏にさせてもらった。流石に未来のお義父さまにこれ以上酷いことしたくないし、快くおれのことを歓迎してくれないか」
指をぱかぱかと開いて光量を調節する。流石は彼女の父親というか、気が強い。目をやられながら万年筆を手探りで探し出し、握り込んでおれを刺そうとしてきた。いやー手強い。待っててねおれのレジーナ。必ず君のお父さまを説得して見せて、君専用のおれになるよ。君がどんな怪我をしても、病になっても、必ず治してあげるから。だから、おれのこと、捨てないで。
君が手紙をくれたから、ハッピーエンドにしてみせる。
レジーナからの嘘の手紙は、彼女が結婚適齢期になったことで怪しげな神官との交流をやめさせたかった父親、またサフィルが外の世界に興味を持つのを止めたかった神殿側の意見が合致して出来たものです。その後は彼女からの手紙は全て神殿側で隠されていましたが、心ある掃除夫が手紙を焼却することに罪悪感を覚えたり神官たちが私腹を肥やしたりすることで一部残されていました。