噂の鬼神
「なあなあ、お前さあ。旧棟の金棒の鬼神って知ってる?」
「え? なにそれ、ホラー? ホラーは苦手だから止めて?」
「先輩から聞いた話なんだけど、本当に出るんだって」
「おい、こら、苦手だって言ってるだろ?」
「その鬼神はかなり小さいらしいんだけど、すごい怪力で誰もいない教室に引きずり込んで、金棒で撲殺するんだってよ」
「マジでやべー奴じゃん」
「しかもさぁ、不思議なことに、殺されたハズのそいつが生き返るらしいんだわ」
「それってゾンビじゃねーか。ハザードしちゃって学校中がゾンビだらけになっちゃうよぉおお」
「ごめん、そのゾンビ。実は……俺なんだ」
「え?」
「なーんつってー、うっそぴょーん。でも、鬼神の話は本当だから。旧棟には近寄るんじゃねーぞって……おま、股間のそれなんだ?」
「ご、ごめ、漏らしちゃった」
「マジかよ。すまん、悪かったって。早く体操着に着替えてこいよ。お詫びに今度、拾ったエロ本くれてやるからな」
「うん、ありがとう。僕たちの友情は、いつまでも変わらないよ」
僕の名前は多田野 守武太。入学したての中学1年生。
入学から約一週間。ついに部活選びが始まった。
まずは仮入部で部活を体験し、入りたい部活の入部届を担任へ出して正式に決まる。
仮入部の期間は一週間。その間なら参加する部活は自由に選べる。
自慢じゃないけど、僕はどちらかと言えばオタク寄りの人間だ。
アニメや漫画、それにライトノベルなどを嗜んでいる。
成績も普通。運動神経も普通。
仮に運動部に入っても、レギュラーは無理だろう。
普通に考えて文化部の方が合っている。けれど、僕は迷っていた。
何故か。
入学式にあった、一人の少女との出会い。
いや、出会いという程、大層なものでもないか。
同じ新入生の彼女を、僕が一方的に見ていただけだ。
僕がオタクなせいか、リアル女子を可愛いと思うことはあまり無かったのだけれど、一目見ただけで心臓を撃ち抜かれてしまった。
非現実世界から飛び出てきた美少女キャラの様であった。
彼女を知って以来、いつも姿を探している。
登下校の途中や廊下を歩いている時、クラスの前を通る時など。
彼女がそこに居れば、僕は一瞬で見つけられるであろう。
何故なら、オーラを発しているかのように、彼女が輝いて見えてしまうからだ。
僅かでも彼女の顔を見れたなら、その日は幸せな気分になれる。
まだ名前も知らないし、一度も話したこともない。
彼女を思う度に考えてしまうのは、僕が彼女に見られた時、僕が僕自身を恥ずかしく思ってしまわないかどうかだ。
特に取り柄もないし、趣味もオタクっぽい。
今のままの自分では、恥ずかしくて仕方がない。
別に彼女と、どうこうなることを考えている訳じゃない。
けれど変わりたい。堂々と彼女の前に立っていられる自分に。
色々迷って、運動部への入部を決めた。
レギュラーになれなくてもいい。頑張ることが大事だから。
「今日はバスケ部に仮入部しよう。集合場所は体育館だったよね」
僕は体操着に着替えて、体育館へ向かった。
「そういえば体育館の通路って、噂の旧棟にもつながってるんだよな。べ、別に噂は信じてないけど、遅れるといけないし早く行こう」
旧棟へ行く側の通路をなるべく見ないようにして、校舎から体育館へと駆け抜ける途中だった。
女の子が倒れていた。
そっちを見ないようにしていたのだけど、その少女を視界の端で捉えた瞬間、僕の首は直角に角度を曲げていた。
倒れていたのが別の誰かだったなら、気づかなかったかもしれない。
でも、オーラで輝くその少女だけは見逃せなかった。
だけど困った、どうしよう。
全然動かないし、目も開いていない。
寝ている訳じゃないよね?
倒れているのは、旧棟側の通路に入って少しのところだ。
角を曲がろうとして転んで気絶? それとも何かの病気だろうか?
救急車を呼ぶべきが、それとも先生を呼んでくるべきか。
まずは声を掛けるべきだ。状態の確認をしないと。
でも、彼女に話し掛けるなんて恥ずかし過ぎる。
そもそも僕みたいな矮小な存在に、そんなことが許されるだろうか?
ちょっと待て。僕は何で運動部に入ろうとしてた?
少しでも対等な存在になりたかったからだろ。
なんでもいい。声を捻り出すんだ。
「あ、あ……だだじょびい、でしゅか?」
うっわぁああ、はっずかしぃいい。
上擦って、まともに喋れなかったぁああ。
熱い熱い。顔が真っ赤だ。
だけど安心するんだ僕。
彼女はまだ起きていない。何も聞かれていないハズだ。
それより、この醜態に対して反応がないことを心配すべきだ。
もっと傍によって様子をみた方がいいだろう。決して、彼女の顔を近くで見たいとか、そういう理由でないことは、誰もが理解してくれると信じている。
跳ね上がる心臓を抑えながら、傍によって様子を確認する。
さながら穢れを知らぬ天使だった。
顔にはまだ幼さが残っていて、つつけば柔らかそうな頬をしている。
ゆるふわで長い髪が床に広がっていて、その上に制服を纏った白肌が横たわっていた。痩身でありがながらも、一部は豊かに実っていて、それがゆっくりと上下していることを、僕は視認した。
良かった。呼吸はちゃんとしている。
って、どこを見ているんだよぉおお!
「う、ううん……」
薄ピンクの唇から小さな呻きが漏れた、その直後。
パチッと勢いよく瞼が開き、つぶらな瞳が現れた。
迂闊に近づき過ぎたことが仇となり、至近距離で目が合った。
不意をつかれ、呼吸を忘れてしまいそうになる。
それから胸が締め付けられるように苦しい。
「貴方が私ヲ、助けて、くれたノデすね」
彼女は半身を起こし、あろうことか僕の手を握ってきた。
そして純粋な瞳で、真っ直ぐと見つめてくる。
「貴方は私ノ命ノ恩人です」
「あはは、ぼきゅは、にゃにも」
想定外の出来事に、僕の脳内に仕掛けられたC4爆弾を、爆発させたほどに思考がぐちゃぐちゃになって、頭からは湯気が噴出した。
眩し過ぎる天使の様な瞳を直視できずに、僕の瞳はマグロの如く泳ぎ続けていた。
彼女は僕より先に立ち上がり、僕の腕を引っ張って立たせてくれた。
「是非、オ礼をさせてくダサい」
「あはは、おりぇいにゃんて、あはは、あはは」
「おねえ……とにかく、一緒に来テクださい」
僕は腕を引かれ、何処かへと連れていかれる。
完全に壊れてしまっている僕は、笑うことしか出来なくなっていた。
目的地がどこだろうと、されるがまま引っ張られてゆく。
僕は廃棄工場へ連行されるガラクタ人形だった。
彼女の喋り方がどこか変で、台詞を読んでるような違和感があっても、ポンコツと化した僕が気づける訳もなく、歩いている場所がどこかも分からない状態だった。旧棟の鬼神の噂すらも、頭から抜け落ちていた。
だが思考は完全には停止しておらず、無言の状態が気まずいような気がしていて、何か話題を捻りだそうと必死に頭を回転させていた。
その結果、口から出た言葉が。
「イク、ドコヘ?」
やはり僕はどこまでもポンコツであった。
10文字に満たない言葉も、まともに言えなかった。
「大事が話があるので、ゆっくりお話ができるところへ、あの、その」
ダイジナハナシ? ゆっくりできるところ?
廃棄寸前のポンコツの脳裏に浮かんだそれは。
『告白』
まさかあるのか青春展開!?
何度否定しても、膨張し続ける期待。
だって、そうじゃないか。
ひと気のない場所でする大事の話って、そういうことでしょ!?
違うの!?
中学生になって早々、彼女が出来ちゃいますか?
後で冷静になれば、黒歴史に記されそうな妄想でいっぱいで、自分が旧棟の最上階、その廊下の突き当りまで連れてこられた事に気づかなかった。
そこまで来て彼女の足は止まり、僕を引っ張ってきた手も離れていた。
旧棟の教室は、今は使われていない。
誰かが用事で来るようなこともない。
そんなひと気のない場所で、大事な事を伝えようとしてる彼女は、今どんな顔をしているだろうか。
ゆっくりと、今の彼女の表情を見る。
そして期待は儚く散った。彼女は僕など見ていなかった。
真っ直ぐ教室のドアに向いている。
その興味は教室の中にあるようだった。
「おねーちゃーん。連れて来たよー」
お姉ちゃん? はて、どういうことだろう?
そうだ、聞いたことがある。
女の子に呼び出されて告白されるかと思ったら、告白してきたのはその女の子の友達だったとか。
もしかして、僕に告白したいのはこの娘じゃなくて、お姉さんが?
え、連れてきた? 予め示し合わせてました、みたいな。
どういうこと?
僕がこの娘を助けたのは偶然であって、事前に示し合わせるなんて無理ですよね?
ぽかんと口を開けて呆然としていると、教室のドアが力任せに開かれた。
僕の前にいた女の子は、いつの間にか横に移動していて、教室の中から伸びてきた手は真っ直ぐ僕を掴んだ。その力は凄まじく、中へ引きずり込まれる僕の体は、勢い余って宙を浮いていた。
落下するまでの間、走馬燈の様にあの噂を思い出していた。
旧棟の鬼神。怪力で引きずり込む。そして撲殺。
完全に血の気が引いた。