第3話 亜人の少女 前編
◇◇◇
それは二年前。
ブレットはギルドの男性職員に誘われ、接待酒場へ向かっていた。
連れ立って歩いている男の名はジギン。猿の獣人でノリの軽い男だ。
「まさかブレットさんがついてきてくれるとは思ってなかったっスよ」
ギルドマスターとしてサンドリア王国からやってきて一年。特に誘われることもなかったので、ブレットは職員と食事に出かけることすらなかった。
そんなブレットを彼らしいテンションで誘ってみたら「おう、行くか」とあっさり返ってきたのが意外だったらしい。
「別に言われなかったから行かなかっただけだ。人と飲む酒は嫌いじゃない」
かつては仲間たちと飲んで騒ぐなんてしょっちゅうだった。ただ、その仲間たちと離れてからは自分から誘うようなこともなくなった。
「へぇー。サンドリアではあったんスか?」
「まぁ、女に誘われることが多かったな。だからこっちの最初がお前で助かった。女の相手は面倒だ」
ジギンの問いに眉間を摘んでうんざりしたように答える。
「え! モテモテじゃないっスか! で、ヤったんスか?!」
まだ酒場にも着いていないというのに飲んでいるかのような彼の直球な質問にもブレットは動じない。
「かなり相手は選んだな。結婚しようとする奴とか俺の女面するような奴はお断りだからな。翌日も普通に仕事ができる頭のいいやつだけだ」
ブレットの答えにジギンは「ヒュー」と口を鳴らす。
そんな時だった。
「なにやら騒がしいな」
「あっ、あそこ高級娼館じゃないっスか?」
目的地までの道の途中で人だかりができていた。ジギンは目線の上に手を翳してその奥を覗き込んで見えた店を口にする。
「なにがあった?」
人だかりの一番外側にいた男に声を掛けてみる。
「いやな、そこの店の娼婦が貴族の息子を傷付けたんだとよ」
「それでその貴族が外でキレてんだよ」
その男と一緒にいた男が続けて状況を伝える。
「なるほど。そいつは面倒くさそうだな。ジギン、お前行くか?」
「いやいや、貴族の相手なんてできんのブレットさんくらいでしょ!?」
対応をジギンに投げようとするが、ジギンは両手をブレットに向けて振って腰を引く。
「お、なんとかしてくれんのか!?」
すると、ジギンの言葉を聞いた近くの連中がブレットの前の道を開ける。
「やれやれ……」
引けなくなったブレットは後頭部を掻きながらその中心へ歩を進める。
そこでは両膝を突いて黙って座り込む少女とそれに向かって怒鳴りつけている貴族らしき身なりの男、そしてそれをなんとか宥めようとしている従業員の男が叫んでいた。
ブレットはその中の少女の右肩を見て、
「隷属紋……奴隷か」
と呟いた。
その右肩には◯の中に★を逆さにした刺青のような黒い紋様があった。これはブレットの言った隷属紋というその者が奴隷であることの証だ。
「だから咥えさせるのは危ないと言ったでしょう!」
「知るか! 咥えられない娼婦なんか雇いやがって!」
「コイツはそういうやつじゃないんです!」
どうやら押し問答が続いているようだ。
というか、傷付いたのは息子ではなくムスコのようだ。
「あー、お前さん達、道が塞がっちまってる。落ち着かないか?」
「なんだお前は! 俺はオーガニクス男爵の息子だぞ! わかったら下がってろ!」
ブレットが仲裁に入ろうとするが、聞く耳を持たない。
「下級貴族の息子なんて偉くもなんともないじゃないっスか」
なぜか付いてきていたジギンが火に油を注ぐ。
「な、ん、だ、と?」
その挑発に今にも飛び出してそうなくらい顔を真っ赤にする。
「だってどう考えても討伐ギルドのブレットさんのが格上でしょ」
さっき貴族と聞いて腰が引けていたとは思えないほどいつものジギンだ。
「ブ、ブレットって……あの……?」
男爵の息子が恐る恐るブレットに視線を送る。
「そ。そのブレットさんっス」
ムスコさんの顔が完全に引き攣る。
「さて、落ち着いたところで提案があるんだが、聞かないか?」
「な、なんでしょう?」
やっと静かになったので、ブレットが本題に入ると彼は怯えた目を向けた。
「怪我は治してやるし、なんならしばらく元気にしてやる。おまけに金は俺が出すから別の女でスッキリさせて今回は水に流してくれねぇか?」
これだけ上げてやればいいだろうとありったけの好条件を突きつけるブレット。もちろん本人は至って真面目に問題を解決しようとしている。
「いっ、いえ、傷さえ治ればそれで十分です!」
あまりに謙虚になった男にブレットは意外そうな顔をする。
「そうか? 迷惑かけてるみたいだから遠慮しなくていいんだぞ?」
「大丈夫です! 治療を……治療をお願いします!」
その反応にブレットは「そんなに痛かったのか」と勝手に納得する。
「なら……」
チラッとシェンに視線を送ると、パタパタと羽ばたいて肩に乗る。
「【回復】」
息子のムスコ辺りがキラキラと輝き出す。
「おおぅ……」
変な声出すなよ……と思いつつも治療はすぐに終わり、彼はそそくさと去っていった。
「ありがとうございました」
人だかりも去って、口論していた男が頭を下げてくる。
「気にするな。俺がここを通りたかっただけだ。それより……」
ブレットが礼を受け入れ、言いかけると、男はサッと視線を逸らす。
「あんたがここのオーナーか?」
「そ、そうです」
彼は単なる従業員ではなかったらしい。
「ここは高級店だろう。なんでわざわざ奴隷なんて買ったんだ? 高級店で奴隷を付けられて喜ぶ男なんていないだろう」
安い店ならばともかく、だ。
「そ、それがこの子は珍しい亜人でして……」
「亜人だと?」
亜人……それは人ならざる者。見た目は人と同じだが、何かしら人と異なる特徴を持つ。
「はい……この子はヴァンパイア族なのですが、サキュバス族とのハーフでもあるのです」
「そういうことか」
その説明でブレットは納得がいった。
ヴァンパイア族とは血を食糧とし、そのために鋭く長い犬歯を持つ。このオーナーが咥えさせるのは危ないと言ったのはそういうことだろう。
それに対してサキュバス族は男の精を食糧とし、それを吸い出すための特殊な能力を持つ。それはえもいわれぬ快感を引き出すらしい。オーナーがこの子を買った理由はこちらの能力を期待してのことだった。
しかし、本来サキュバス族は主に人や獣人と交わり必ずサキュバス族の女を産む。
オーナーが珍しいと言ったのは、亜人と交わっているということと、その相手の特徴も残していることだ。
元々魔物に近いと言われているせいで亜人の地位は低く、その両方の血を引くことから彼女が奴隷に堕ちたのだろうとブレットは予想する。
「だが、これでわかっただろう? こいつに色街は向かない」
「そうですね……でも……」
言い淀む理由もわかる。高い金を払ったのだろう。
役に立たないから解放、とはいかない。それに奴隷商も信用に関わるのですぐに戻ってくるのを受け入れるとは考えにくい。よくて端金で買い叩かれるくらいだろう。
せめて元手くらいは取り返させてから、というのがオーナーの本音なのだ。
「わかった。俺が買い取ろう」
「え!?」
「ちょっ! ブレットさん!?」
突然のブレットの提案に理解が追いつかないオーナーとジギンであった。
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと長くなってしまったので分けました。
次回後編に続きます。
ちなみに豆知識。
エモいの語源は【emotional】で【えもいわれぬ】ではありません。
実はこれを書いてるとき偶然知りました。(知らなかった)
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