空の色
青、赤、黄に黒。そして白。世界の上半分の色は、大抵この5色で表現されることが多い。でも、単にその言葉だけで空を表現するというのは、あまりに残念すぎるのではないか……。常々そう思えてならない。
刻一刻と変わる世界の半分の色に、意識を向けている人は一体どれだけいるだろう?皆、変わり映えのしない日々を当たり前のように暮らして、上司がどうとか、彼氏がどうとか、親がどうとか、今日の晩ご飯どうしようとか、まるで壊れた蓄音機のように毎日同じ事を言っているわけだが、空というものは、地球が出来てから46億年の間、たったの1度も、同じ顔を見せたことは無いのだ。変わらない毎日に退屈を覚えているのに、移ろいゆく世界の色を短い言葉だけで片付けて目を向けないというのは、滑稽だと思う。
例えば、雲一つ無い空だって、毎回同じ色というわけじゃない。温度が違えば空気の密度も違って、水滴や塵の量も変わってくる。流れる風も、漂う匂いも、空から降り注ぐあのうるさい太陽の光すらも、秒単位以下の時間でめまぐるしく変わっているのだ。
そんなことを言っても、多分、誰にも理解されないし、証拠を出すことも出来ないだろう。実際に以前、"空の色が撮れない"とカメラメーカーにクレームを入れたら、門前払いされたことがある。そのくらい、空の色と変化には敏感で、変人だという自覚はあるつもりだ。
今では苦笑してしまうような黒歴史の一つだが、あのときは本気で泣きたくなった。空の色と撮った色が全然違うのに"お前の感覚がおかしい"と言われたあの絶望感……。私はあの時からカメラで空を撮るのをやめた。
だから今は、目で見える空の色を、心の中だけに焼き付けている。何度か空を絵で描こうともしたが、それもカメラと同じ理由で頓挫した。
どうして、この目に見える空の色は、絵画や写真で見る色と全然違うのか……。世界の半分を覆い尽くす宝石のような空の美しさを、誰にも伝えられずに、ただ1人眺めていることしか出来ないのか……。カメラで空を撮ることをやめてしばらく経つが、しかし今の私は、この感覚を誰にも理解されなくても良いのではないかと思っている。
なぜなら——あの空の美しさを誰にも理解されないこの間だけは、眼前に広がる世界の半分が、私1人だけの宝石箱だからだ。