作家と編集
毎日投稿第4弾です。
よろしくおねがいします。
「叙述トリックがしたい」
わたしは言った。
叙述トリックとは、主にミステリ小説などで使いわれる手法の一つで、一部の事柄や描写をあえて伏せることで読者に事実を誤認させるテクニックのことである。
「やめてくれよ」
編集者の男が言った。
なにもそんなに頭ごなしに否定してくることはないだろう。
わたしは彼に、叙述トリックのおもしろさについて語った。
叙述トリックのおもしろさには、伏せていた情報を公開することによって誤解が解け、それまで読んでいた文章の意味が一変するように感じる、あの感覚だと思う。
心地よい叙述トリックにはいくつか条件がある。まず物語としての整合性がしっかりとれていること、明かされるタイミングまで読者に気づかれないこと、それから、改めて読み返した時に気づけるようなちょっとしたヒントが用意されており、読者が「なぜ気づかなかったんだ」と思うような、納得感があることだ。
これらが揃っていると「うわ! やられた!」という感覚とともに、頭の中のパズルのピースが正しく組み立てられていくような感覚に陥り、読者はすごく楽しいのだ。
いわゆるどんでん返しというやつである。
話しているうちに楽しくなってきた。やはり叙述トリックをやりたい。
「もういい、もうやめてくれ」
「なんでそんなこと言うんだよ。やりたいんだからやらせてくれよ。おもしろいだろ」
わたしが言った。
どんでん返しが達成されているのを見ると、なんか作者の頭がよさそうに見えるのだ。わたしは頭がよいと思われたかった。
「やめてくれ、頼むから」
「うーん……まぁたしかにうまくいくとは限らないけど……」
実際、叙述トリックを成立させるのはけっこうむずかしい。
その物語が叙述トリックであるということを読者に悟られると、読者が穿った目でそれを見るようになるのだ。
とくに「叙述トリック」という言葉が既に世の中に広まってる現代では、叙述トリックを成立させるのは難しいとされている。
オレオレ詐欺の手口を知っている老人に堂々とオレオレ詐欺をするような難しさである。
また、叙述トリックの物語は「叙述トリックである」ということ自体がトリックのネタバレへとつながり、驚きが半減する可能性もある。
「衝撃の結末!」だとか「驚きの仕掛けが!」だとか予告に書かれていると、それだけで読者が先入観をもってしまう。
また、その作者が一度叙述トリックを仕掛けると、次から読者が「また叙述トリックなのではないか」と身構えるようになり、次回作が難しくなるとも言われている。
諸刃の剣でもあるのだ。
「でも、叙述だってわかっててもけっこう楽しいと思うけどね」
わたしが言った。
叙述トリックなどで、ネタがすでにわかっていても見方次第で楽しめるということもある。
どんな展開なのか事前に知っていても、それを楽しめれば楽しめるものなのだ。
同じ映画を何度も観るのもよい、わたしはけっこうそういう楽しみ方ができるタイプだった。
『こういう叙述トリックが流行しているのか、なるほど』などと、さらにメタ的な楽しみ方もできるし、知っているからこそ、改めての考察もできる。
しかしそれらは、一部の酔狂な人間たちの自己満足であり、本来の楽しみ方からは逸れているようにも感じる。
やはり最初の一回目、何も知らない状態で読みはじめて、一生懸命考えて不正解でも「そういうことか! やられた!」と楽しむこと。それが叙述トリックの本来の楽しみだと思う。
しかしそのような楽しみは、インターネットが発達し、様々な情報に溢れた現代ではけっこう難しい。けっきょく、人間の感情や思考というのは基本的に今その人が持っている情報からの予測で成り立っており、絶えず揺らぎながら変化している。おもしろいかどうかも、読者側の好みや社会的な文脈、その時のテンションにかなり左右されてしまうのだ。
しかし、しかしだ。それらを考えた上で、それでもその作品がよい、おもしろい。不朽の名作である。と評価される作品というものも存在する。存在するはずである。
時代の流れや、読者のテンションに左右されず、多くの人をその世界へ引きずり込むような「なにか」がある作品。
それがいかに奇跡的なことなのか。
我々は今一度考え直す必要があるかもしれない。
だがまぁ、そんなことはもうみんな知っていて、それでもなんやかんやとネットでガヤガヤと言っているのが現代なのかもしれない。
話が逸れてしまった。
叙述トリックの話だった。
「あー……じょじゅちゅとりっくなぁ……」
わたしは噛んだ。
また話は逸れるが、「叙述トリック」という単語は口にすると非常に噛みやすい。
「……なぁ、こんなことはもうやめてくれよ……頼むから……いったい俺がなにをしたって言うんだ……」
編集者の男が言った。
「うるさい!」
わたしは怒って、椅子に縛りつけた編集者の男を蹴りつけ、倒れたところを足で踏みつけた。
男はうめき声を上げる。
「や、やめてくれ……こんなことはもう……」
男は泣きながらわたしを見ていた。
その情けない姿をみて、わたしはため息を吐いた。
「まぁいいや。叙述トリックのことは今度別の編集者の人と話すことにするよ。君とはここでお別れだ。もうアリバイも作ってて、今わたしはカナダにいることになっているんだ。証拠を残さなければ、そもそも容疑者にすら入らない。叙述トリックに限らず、先入観を持つ人間は騙しやすくて助かる」
そう言って、わたしは男の首を切り落とした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。