自死
梅田大丸の事件を強く意識しています。そこそこの内容を書いたつもりなので、年齢や精神状態によってブラウザバックを推奨します。また、私が彼女の行動をこう理解したというだけで、実際の彼女がどう思っていたのか、何をしていたのか全く存じ上げていなければ、彼女が警察官と何を話していたのかも知りません。
私は可愛い。綺麗だ。美しい。
ここ最近、世間は連休だ。今日は天気もいい。当然都市部は物凄く混雑している。通りを行き交う人々。
でも、その中の誰一人として私を見やしない。こんなにも可愛いのに。誰も私の可愛さを理解してくれない。
歩道橋を歩く。下を通る車の音が耳に障る。広告付きのトラックに描かれた女の自信満々な表情に無性にイラついた。なんてくだらないのだろう。
くだらないことはくだらないが、それを差し引いても今の私は機嫌がいい。馬鹿馬鹿しいと毛嫌いしていたインターネット上のトレンド。たまたま気分が乗った時に見た、女子高生が電車に撥ねられる映像を思い出す。彼女は自殺の様子を一部始終見ず知らずの他人に見せつけていた。自殺の背景なんかどうでもいい。多くの人がそれに熱狂したことが頭から離れない。
だが、私は彼女もまだまだ甘いと思うんだ。どうせなら、観客の反応も楽しまなければエンターテイナーではない。彼女の散り際は確かに美しかったが、私ならもっと上手くやる。誰よりも綺麗に天国へ行ける。
そう思うと居てもたっても居られなくて、本当のエンターテインメントを世界中に見せてやろうと思った。連休のど真ん中、観光地の最高に賑わう日、太陽に近い場所で、私は何よりも輝いてみせる。
せっかくなので昔の服を着てみた。きっかけをくれた天国の彼女に見せつけてやろう。私という誰よりも可愛い人間の、一番美しい姿を、同じスタイルの服装で。
うきうきした気分でビルに入る。コスメショップやブランドの店を通り過ぎていく。そんな時、一体のマネキンに目を惹かれた。
表情はないながらも堂々たる立ち振る舞いの彼女は、黒のレースのブラとショーツのみを身にまとっていた。なんとなく、顔の割に自信ありげなその姿勢が気に入って、近くにあった同じ品を手に取り、試着室に入った。
一度全ての服を脱ぎ、持った下着に付け替える。思った以上に私に似合う。下はスカートだし、下着もせっかくだからキメていこう。早めに気がついてよかった。
下着に付いているタグを切り、改めて服を着直す。学生服のスカートと、黒の下着のアンバランスが愛おしい。私の可愛さを存分に引き立ててくれる。
付けていた下着を壁に掛け、試着室から外を覗く。店員は別の客に自慢の服を売り込んでいる。私を見ていないのは腹立たしいが、こちらのことなど見ていないようなのでそのまま試着室を出る。なんだか勝手に気分が上がる。店員が私の下着に気が付くまでがタイムリミットか。大人の女に秘密は良く似合う。少し頬が緩むのを感じながら、エレベータの方へと向かった。
エレベータに入り、迷わず屋上のボタンを押す。家族連れが乗ってきた。五歳くらいだろうか、娘が父親に甘えている。デレデレとした顔の父親。そんな娘より、私の方が余程可愛いのに、なんだか可哀想な男だ。乗っていた気分が少し削がれてしまった。
屋上に着き、外に出る。ここもやはり混雑しているが、人の視線は皆別々だ。各々好きな物を見ている。誰も私を見やしない。
嫌な気持ちばかり募る。連休を選んだのは失敗だったか。ほんの少しばかりの後悔を覚えたが、無駄に明るい頭上の太陽を見て、少し落ち着いた。今日やれば、きっと私は一番明るいあの恒星よりも目立つ。今に見てろ、と太陽を睨み付けた。
やがて、かねてから目を付けていた場所に辿り着いた。ここは床が周りより高く、簡単に柵を超えられる。駅前の通りからもよく見えるので、私が立つには絶好の場所だろう。
そうして、柵を超えて階層の縁に立つ。デザインを重視したこの場所は、微妙に歩きにくくて嫌になる。しかし、足元を見て息を呑んだ。
なんと素敵な光景だろうか。通りを往く人々も車も等しく小さい。働きアリのような大きさだ。ぜひ、女王たる私の美しさを際立ててもらおう。
ふと、見えない距離にいる人間の表情を感じた。確かに目が合った。目視した訳では無いが、驚きを感じる。やがて、通りにいる人間が皆こちらを見出す。その視線に酷く興奮した。確かに誰もが私を見始めた。
誰かがスマホを構える。それに釣られるようにして周りの人々も各々映像の保存を始める。老若男女、あらゆる機器、全てのものに備わる目という目が私を見つめていた。
どうやら騒ぎになり始めたようで、テラスの人々もこちらに集まってくる。警備員らしき人が必死に人払いをする。警察官が歩いてきて、なんだか喧しく言っているが、耳にする価値もない。今全人類が私にかけるべき言葉は賛美の言葉だ。もう一度ビルの外側に向き直る。
また目が合うのを感じる。何だか色々言っている人間もいるようだし、叫び掛けてくる者もいるが、きっと称賛の言葉だろう。そこで、ハッキリと視線に込められた感情が見えてきた。
多くは好奇心や共感の視線だ。お祭り気分もいる。あからさまに下着を覗きみようとする輩もいる。嘲笑や侮蔑は気にならない。誰も私より目立てない。私が何より輝いている。どれだけ眩しいと喚こうが、私の輝きは変わらない。
そこで、心配の目を見た。ほんのひと握りの人間が、私に何か暗いものを感じている。とんだ見当違いだ。私は何よりも明るい。
ここで気が付いた。皆違う感情を抱いているようで、見ているものは同じ。そして、その先に想像することも同じ。なんて一体感のあるステージなのだろう。彼等の心の声が聞こえる。
「この娘は飛び降りる」
誰も説得が成功するなんて思っていない。全ての感情がもう既に落ちるだけの人間に向いている。落ちたあとの人間に向いている。"落ちるまでの人間"は、ここにはいないことになっている。
「なるほど」
私は呟いた。みんなが私を見ているが、結局私は誰にも見られなかった。でもどこかで、私自身こうなると気付いていたのかもしれない。
さて、最後に何を叫ぼうか。何を残して飛べばいい。ここに来るまでに考えていたことはもう無駄だ。今この瞬間に、私は何を思う。
「これまでの私という人間は」
「これからも居続ける」
これまでの私の存在が証明されてしまった。ここから飛んだって消えるわけではないんだ。天国に行くのは今の私で、これまでの私はこことは違うどこかにいる。
子供のとき、鳥に憧れた。空という自由の象徴にいる。でも、私がここから飛べる空はビルに囲まれていて、鳥もこの地球から出られない。
身をそっと投げた。
空気の抵抗を感じる。頬が引き攣るのを感じる。両の手でバランスを取りながら、やがて風圧に意識を失う。最後に浮かんだ光景は、エレベータの中、愛娘に優しい目を向ける父親だった。
私の望みは。
気絶した脳内に、0.2秒前に砕け散った肉体の悲鳴が大音量で響いて、でもそれを自覚する私はいないまま、
ボロボロになった私の世界は、ただただ儚く崩れ去って行った。
御冥福をお祈り致します。私達が生きている世界が現実世界であるのなら、おそらく私達自身の意識次第でこの世の地獄ができてしまうのは間違いないでしょうが、今回の事件はまさにこの世の地獄を作ったと思います。何を思っても我々は彼女にはなれませんし、周りにいた他の人にもなれません。心を痛めた方がいらっしゃるなら、どうかご自分を責め過ぎないよう。