1話 老賢者、転生を決意する
「氷紋爆<ダイヤモンドノヴァ>!」
俺の放つ魔法が巨竜を飲み込んだ。
巨竜の手足が氷り、大地に縫い付けられていく。
それだけじゃない。
その巨体も翼も、全てが氷に閉ざされる。
やがて、全身が氷漬けになり……
巨竜はその生命活動を停止した。
「おぉっ!」
後ろで様子を見守っていた国の兵士達が歓声をあげた。
その中の一人、隊長が駆け寄ってくる。
「さすが、賢者様です! たった一体で国を滅ぼすとさえ言われていた巨竜を、まさか、一発の魔法で倒してしまうなんて!」
「いや、俺の力なんて大したことないさ」
「ご謙遜を。賢者様は、我が国で最強の……いいえ。世界で最強の力を持っているに違いありません!」
「最強……か」
その言葉に、俺は自嘲めいた笑みを浮かべた。
それに気づく者は、誰もいない……
――――――――――
巨竜の討伐を終えた俺は、兵士達に見送られて、自宅に戻った。
「……今年で俺も90歳か」
鏡を見ると、しわくちゃの顔が映る。
この歳になると、立っているだけでも辛い。
ソファーに座り、背もたれに寄りかかる。
柔らかいソファーが、骨と皮だけの体を優しく受け止めてくれた。
さすが、最高級品のソファー。
座り心地は抜群だ。
他にも、この部屋にある家具や調度品は、全て一級品だ。
一つ売り払うだけで、平凡な家族が一ヶ月は暮らしていけるだけの金が手に入るだろう。
そんな豪華な部屋に住んでいるのだけど……
俺の顔色は晴れない。
「ふう」
ため息をこぼしながら、改めて鏡を見る。
「賢者……か」
俺は、人々からそう呼ばれている。
そう呼ばれるようになった理由は色々とあるのだけど……
一番の理由は、魔王を倒したことだろう。
かつて……
魔王が復活して、世界が滅びの危機に瀕した。
魔法の研究を積み重ねて、己を徹底的に鍛え上げていた俺は、魔王に戦いを挑んだ。
世界を救うという使命感も多少はあったのだけど……
それだけじゃなくて、己の力を試してみたいという、子供じみた思いが戦う理由の大半を占めていた。
とても人には言えない理由だ。
若さゆえの過ちと見逃してほしい。
それはともかく。
戦いを挑んだ結果……
俺は魔王を倒すことに成功した。
以来、人々からの称賛を浴びるようになって……
そして、『賢者』と呼ばれるようになった。
戦う動機がやや不純ではあるものの……
俺の手で、世界に平和をもたらすことができた。
人々が笑顔になった。
そのことは誇らしく、うれしく思った。
ただ……
それでハッピーエンド、というわけにはいかなかった。
魔王を倒したことで、脅威は去ったように見えたが……
違った。
まだ脅威は残っていたのだ。
魔神。
魔王以上の力を持つ、最凶最悪の存在だ。
今は世界の果てに封印されているけれど……
一度目覚めたら、世界を災厄の炎で包み込むだろう。
世界は仮初の平和を手に入れただけで、未だ、滅びの危機に瀕していたのだ。
ちなみに……人々は、まだ魔神のことは知らない。
俺だけが魔神の存在に気がついた。
そして俺は、魔神のことは公表していない。
そんな存在がいると知れば、絶対にパニックが起きるからだ。
なので、俺の胸の内だけに留めておいた。
故に。
真実を知る俺が、なんとかしないといけないのだけど……
「魔神を倒さないといけない、そうしないと世界が滅びてしまう……でも、魔神の力は圧倒的だ。今の俺では、魔神を倒すことはできない……」
一度、封印の地へ赴いたことがある。
そして……魔神の力を思い知らされた。
封印されてもなお、圧倒的な魔力が溢れ出していた。
その魔力を浴びた魔物が進化して、魔王並の力を得ていた。
それくらいに強力で、圧倒的な力を感じた。
本能で悟った。
今の俺では、魔神に勝つことはできない……と。
「人類最強と言われている俺が勝てないということになると……もう、終わりだ。魔神が復活したら、そこで人類は滅びるしかない」
幸いというべきか……
魔神に施された封印は常識を遥かに超えた強固なものだった。
そうそう簡単に封印が解けることはないだろう。
おそらく、あと千年は保つと思う。
人類は、あと千年の間、繁栄することができる。
あるいは……
それだけの時間的猶予があれば、再び、封印を展開することができるかもしれない。
どちらにしろ、俺には関係のないことだ。
90歳になったこの身は、もう長くない。
どれだけの力を持っていたとしても、時間に逆らうことはできない。
そう遠くないうちにこの世を去ることになるだろう。
魔神のことは、一部の者に真実を伝えて、後を任せればいい。
……任せればいいのだけど。
「途中で投げ出すようなことはしたくないな」
世界を救うとか、そういう大層な使命感じゃない。
ただ単に、俺の性格の問題なのだ。
そう……俺は、負けず嫌いなのだ。
俺よりも強い力を持つ魔神がいる。
そいつに勝利することができないまま、俺はこの世を去る。
つまらない男のプライドかもしれないが……
そんなこと、逃げるみたいで悔しいじゃないか。
魔神に勝ち、己の力を証明したいと思う。
結局のところ、俺はそういう人間なのだ。
世界を救うという使命感よりも、ただただ己の力を示したいという、自己顕示欲で動いている。
でも、仕方ないだろう?
こんな風に育ってしまったのだから、今更、この性格を変えることはできない。
まあ、そんなに悪いことではないと思う。
この性格のおかげで、圧倒的な差を見せつけられながらも、なおも、魔神に挑もうという気概が湧いてくるのだから。
それに……
なんだかんだで、世界が滅びるところなんて見たくないからな。
今のところ、それを覆す方法はない。
運命というべきなのかもしれない。
でも、そんな世界を俺は否定する!
「俺は最強なんかじゃない。まだまだ弱い。だから、もっともっと強くなるために、さらなる修行をしなければいけない。しかし、今の俺には時間がない……」
人間は研鑽を積み、さらなる高みへ登ることができる存在だ。
修行をすれば、その分だけ強くなることができるが……
俺は、もう90歳だ。
時間が残されていない。
だから……まずは、時間を取り戻すことにした。
「転生して、来世に賭ける!」
魔法の力を使い、生まれ変わり……
もう一度、人生を歩き直すのだ。
そうすることで、さらなる力を手に入れて……
そして、次こそ、魔神を倒してみせる!
それくらいに強くなってみせる!
「突然、消えるとなると、残された人に申し訳なく思うが……すまないな。後のことは任せた。俺がいなくても、この平和な時代ならなんとかなるだろう」
俺は立ち上がり、残される人々に向けての書き置きを残した。
それから、部屋の中央に移動する。
すでに、特殊な染料で魔法陣を描いてある。
あとは魔力を注ぐだけで、転生魔法が起動する。
「準備はいいか?」
自身に問いかける。
答えは……イエスだ。
「さあ、行くぞ。新しい旅立ちの始まりだ」
21時にもう一度更新します