一発の魚雷
1942年4月12日
インド洋
その魚雷は命中したその艦とその祖国の運命を変えてしまったのかも知れない。
インド洋作戦を終え、意気揚々と帰投途中であった南雲機動部隊。その最後尾に護衛の朧、秋雲と共に航行していた第五航空戦隊の空母翔鶴、瑞鶴。その翔鶴に向けて魚雷が放たれた。
放ったのは日本の機動部隊がインド洋にいるのを知った米太平洋艦隊が送り込んだ潜水艦トートグ。そのトートグは翔鶴の左舷に向け4本の魚雷を放った。
翔鶴の護衛である二隻の駆逐艦はその発射に即座に―奇跡的というべきだがこの時魚雷を即座に発見したのは性能の低さで知られた日本製ソーナーであった。―対応した。
まず魚雷と翔鶴の間に朧が割り込んだ。だが、大型艦用にセットされた魚雷は彼女の艦底を通りすぎた。その次に動いた秋雲は彼女が装備する爆雷を魚雷の進路にばら撒いた。この爆雷は4本のうち2本を破壊した。だがそれまでであった。残る2本は翔鶴へ向かった。
無論、翔鶴も即座に対応していた。彼女の艦長城島大佐は「面舵一杯!」の号令をかけ、回避運動を行なった。だがそれは間に合わず―彼の回避運動が間違っていた訳ではない。ただ距離が近いだけであった。―この2本は彼女に命中した。
1本は彼女の重油タンクに命中した。これは彼女の強固な水中防御が幸いし黒い尾を引くのみであった。
しかし残る1本、これが彼女の運命を変えた。この一本は、偶然としかいいようがないのだが、彼女の脚と言えるスクリュー軸の一本を、爆圧で文字通り折った。
水柱を上げ速力を落とした翔鶴。それをみた二隻の駆逐艦長。彼らは即座に復讐に向け動いた。
彼らの艦の水測員は翔鶴を傷つけた犯人を―トートグを捕らえ続けていた。
彼らは後に同僚達からあまりにも過剰と言われるほどの爆雷をトートグに叩き込み、爆沈させた。
翔鶴はこの損傷により速力を21ノットまで落としていた。
つまり翔鶴の空母としての機能は―航空機を発艦させるための速力を得られないため―失われたも同然であった。
このため翔鶴は瑞鶴や護衛の二隻と共に本土へ帰投、修理を施されることになった。
だがこの損傷の報告を受けた連合艦隊司令部、特に山本五十六は慌てた。
彼が進めていた対米早期講和に向けた作戦の一つ、MO作戦を行なうのに支障が出たからだ。
もっとも変わりはすぐに―山本の期待に沿う人物が―出たのであったが。
ツイッターにて自分の好きな艦艇が生き残るにはどこをいじるべきか?というツイートをしてこの作品を書き始めました。
私は故佐藤大輔氏の作品のファンなのでそのリスペクトが無意識に出ているかも(無意識だけとは言っていない)知れません。
出来れば、完結まで書きたいと思います。では、また。