殿下、地球に来る:殿下、帰路につく
部屋に戻ると美味しそうな匂いが漂ってきた。
テーブルには豪華な食事が並んでいる。明らかに予約したコースの値段で出てくる料理ではない。
二人とも明らかにこれまでとは違う雰囲気を漂わすこの料理に目を丸くしていた(元々丸くて可愛いおめめだが)。
さて、食事も半ばといったところだ。殿下は魚介類に舌鼓を打ち、絶賛していた。
「この星の魚も中々の味だ。それにこの『醤油』とやらは少し塩辛い気もするが結構良いな」
誰に話しかけているでもなく、一人でベラベラと喋っている。
そこまで褒めていただけるなら連れてきた甲斐があったというものだ。後で従業員に伝えておこう。
一方でメロードの方はと言うと、顔を青くして黙りこくっていた。
殿下の前で緊張もしていた様子なのでこうなるのも致し方ないだろう。
大丈夫か、と聞いてみると「もちろん」と返ってくる。
明らかに大丈夫そうではないので様子を見ていると、うぷ、とか、うぐぐ、とかの呻き声が聞こえて来るので慌てて部屋のシンクまで連れて行った。
そうするとやはり、彼は嘔吐した。「いやすまない、こんなはずでは」
気丈に振る舞うのがなんとも、いつもの背中が小さく見えたので、優しく擦ってやる。
「うぐっ、本当に、こんなはずじゃなかったんだがな……」
こんなことをするのは、変というか、らしくないのだが、きっと私も酔っているんだろう。
なんというか、彼を後ろから急に抱きしめた。
一瞬彼はビクついたが「ああ、ありがとう、楽になった」と言って私の腕を解き、こちらに向き直る。
急に抱き着いて申し訳ない、と伝えると彼は言う。
「君が誰にでもこういう事をする訳じゃないっていうのは、私にはわかる」
真っ直ぐと私の目を見つめていた、これは無論その通りで、つまりはそういう事なのだが、なんだか変な空気になっちゃったな。
彼の心臓の音が聞こえてくるかのようで、もちろん私の心臓も高鳴っているのだが。
変な話、異星人同士という事があるのだから、それってどうなのか、多分そう悪い事ではないのかもしれないのは、その通りだ。
なんだか妙な心地で、自分で自分が何を考えているのやら、多分酔っているからだろう。
彼の手が、私の手を握る。見た目はフワフワだが、触ると筋肉質で、掌にはプニプニと柔らかい肉球がある。
手を握り返したところで、ドタドタと足音が近づいてくる。
一体何事か、と確認する間もなく、青い顔をした殿下が慌ててシンクに顔を突っ込み、そのまま胃の中身を吐き出す。
これには酔いも、すっかり冷めてしまった。
さて翌朝、朝風呂済ませて身支度を整えている。
殿下は何も覚えてない様子で「昨日の晩御飯何食べたっけ、覚えておきたかった……」と肩を落としていた。
私とメロードは覚えている。しかしそれ故になんだかよそよそしくなっていた。
「さあ、温泉街とやらを出歩こうじゃないか」
三人浴衣で街を散策する、やはり時期ではないからか人は少なかった。
しかし好都合と言えば好都合、待ち時間もなければ異星人だからと奇異の目で見られることもない。
心ゆくまで楽しめるだろう。
「お、あれはなんだ?」と殿下が指差すのは如何にもな蒸し器を店頭に飾っている、多分温泉饅頭だろう。
店員のおばちゃんは目を丸くして「あら~、異星人の方なんて初めて見たよ」と言った。
人数分のお金を渡して、饅頭を受け取るとその場で頬張った。
「うんうん、いけるよなぁ」と殿下。メロードも満足そうである。私としては普通のよくある饅頭だな、と思ったが、いつもより少し美味しく感じた。
その調子で一軒一軒、店を見て回った。殿下は雑貨やお菓子を大量に買い込み、両手に紙袋を下げている。
「ちょっと買い過ぎたかな」と呟いた、ちょっとどころではないと私は思うのだが。
何故かどこの観光地にも存在するハチミツ屋から出ると、ひと際騒がしい集団と出くわした。
中国人観光客である、多分間違いない。この宇宙時代でも意外と彼らは日本へ観光にやって来ているみたいだ。
マナー、モラルは良くなりトラブルも減ったが、それでも騒がしいのばかりはあまり改善していない。
彼らは私たちを見つけると、スマートフォンを取り出して写真を撮り始めた。
「ちょいとお前さん方、気持ちはわかるが失礼じゃないかね」と殿下は詰め寄る。
「うわ!中国語わかるの!?」と一人の男性が驚いた。意外と翻訳機は知らない人も多い。
しかし言葉が通じるとわかっても、彼らはスマートフォンを下げたりはしない、それどころか動画も撮り始めた。
最近はここまでの中国人は消滅したと思っていたが、まだ生き残りが存在したようだ。
「よさないか、君たち」メロードも注意(おそらく『警告』だろうが)を始める。
だが彼らは聞いていない。聞く気も無さそうだ。殿下は呆れた様子でメロードに囁く。
それに頷くとメロードは右手を掲げた、その瞬間、中国人らのスマートフォンが宙に浮き、メロードの右手の上(掌とかではなく本当に真上!)に集まる。
スマートフォンを取り上げられた連中は大いに驚いた、私も、驚いた。
確かに、超能力兵とは言っていたが、まさかこんな絵に描いたような存在とは思ってもみなかった。
メロードが右手を握ると、囚われの身のスマートフォンたちは木端微塵に砕け散ってしまう。
「さて、観光を続けようか」と殿下は唖然としている中国人らを尻目に歩き始めた。メロードもそれに続く。
私は、少しやり過ぎたのでは、と不安に思ったが、宇宙人の倫理観は時々ぶっ飛んでいる場合があるので、命があっただけマシかもしれない(今現在宇宙人による殺人は報告されていないが)。
尤も、超能力を持ってる宇宙人相手に賠償請求などする気も起きまい。黙っていよう、うん、それで警察が来たら謝ろう。
かくして温泉街を堪能した一行は帰路についていた。
客席で殿下はぐっすりと眠っている。時折、耳をピクリと動かしていた。
私たち二人は起きていたが、やはり昨晩の事があったので気まずい雰囲気だった。
「昨日は、酔ってたんだ、申し訳ない」と彼は言う。
私は少し意地悪をしてやろうと、酔っていたら誰にでもああするのか、と聞いてみる。
すると焦った様子で「そんな事はない、そんな、君だけだ」と言い放つものだから、私の顔は熱くなるばかりだ。
思えば知り合ってから結構な時間が経つ。私は彼を頼りにしてきたし、懇意にしてきたつもりだ(いや、セクハラばかりだったかもしれない)。
ふと気が付いたが、そういえば昨日、彼が気に入った漫画、というものが獣人と少女の恋を綴った物語であることを思い出す。
それを思うと、なんていじらしいのだろう、彼なりのアピールだったのか、自身の境遇と重ね合わせたのか。
彼の気持ちに、応えてあげたい、応えなくては、との想いがだんだん強くなっていく。
私が彼に喋りかけようと口を開いたその時、殿下が目を覚まし「ああ、まだ着いてないのか」と呟く。
「まだまだ時間がかかるかと」とメロードは答えた。そうして、解散までその事について話す事はなかった。
これでいいのだと思う。少なくとも、今日のところはこれで。
後日聞いた話では、殿下は満足したとの事だ。
だからといってご褒美をもらえたり給料が上がったりはなかったのだが、最近の入国者はどうもガウラ人が多い。
「皇太子殿下が来られたのでしょう!?」「殿下はどこを回られたのですか!?」
との問い合わせが殺到しているので、なぜ増えたかは明白だ。
それからもう一つ変わったことと言えば、地球滞在時の注意書きに追加があった事だ。
『地球人はひと際高い毒物耐性を持っています。地球上での食事や酒類などの嗜好品利用の際は十分にご注意ください。』
私は、へぇー、とは思いつつ、心当たりがあった。
あの時吐くまでに酔っ払っていた二人は私より少し多いぐらいの酒しか飲んでいなかったからだ(人間に比べてやや細身というのもあるだろう)。
これから来る旅行者は十分に注意して欲しい。
しかしメロードには、また機会があれば、今度は吐かない程度に(そしてちょっと軽率になるまでに)飲んで欲しいものだ。




