旅する傷心猫
「宇宙を旅すれば何か変わるかと思ってたけど、何も変わらなかった」
そう語るのはカラカルのような猫の人種サーヴァール人の若い女性であった。
彼女は私がご機嫌にも散歩をしているところ、河川敷で佇んでいるのを見つけた。
「嫌な事ばかり目につく」
彼女に声をかけ、隣に座り込み話を聞いてみる。
100を超える文明を旅して来たが、良い思いは一度もしたことがないという。
いや、あるのかもしれないが、それよりも遥かに、嫌な部分を見てきたのだ。
彼女は、当然あまり詳しくは話してくれなかったが複雑な幼少期を過ごしていたようである。
「悲恋の話は嫌い。幼馴染の男の子が火事で焼け死んだのを思い出すから」
こうして会ったのも何かの縁と、力になれないかと話を聞いてみたがこれはかなり荷が重い!
やめときゃよかったと後悔しつつも、気にはなる話でもある。
「そんなこともあってさ、私は嫌な事にばかり敏感なんだ。慣れようとしてるけどうまくいかない」
とはいえ慣れるべきものでもない。不幸なことなんて無い方がいい。
「そうだよね。不幸や苦難は人生のスパイスだとか言う人がいるけど、最初から最後まで楽しい人生のほうが絶対にいいに決まっている」
苦難続きの人生なんてうんざりだ、と彼女は言う。
物語であれば希望が待っていたりするものだが、自分の人生だとそうはいかない。
楽しい旅の思い出について聞いてみると、意外な答えが帰ってきた。
「ルベリー共和国。あそこは酷かった!」
それはすごく良くわかる。あの国はホントひどい。
「逆に潔いぐらいだよ。でも不思議と危険な目には遭っていない。一番の友好国であるはずのガウラの大使館がガッチガチに警備されてたけどね」
そうなの!?大使館だから警備はそりゃしてるとは思うけど。
「ある意味では楽しかったかな。なんというか、サッパリした差別?」
彼らは異邦人に対する悪意を隠そうともしない。それでよく外交関係が成り立つものだ。
私が自分を民俗学者と思い込むことで心のダメージを軽減していた話をすると、彼女は大笑いした。
「それ最高!確かにいい手段だ。私はそういう時は自分を高貴な人と思い込んでいるよ。オホホ、下賤の民の攻撃などしゃらくせーですわよ」
彼女は戯けてみせた、私も大笑いした。
逆に、あまり聞きたくはなかったのだが嫌な話も聞かせてくれた。
「嫌だったのは、実のところ、在外サーヴァール人の集落だね」
意外なことだが、異郷の同胞の方が冷たいというのである。
「大半の集落はまともなんだけどさ。特に辺境と大都市。極端なところは酷いものだよ……」
異種族なら初めから警戒するが、同胞なら無意識的にも気が緩んでしまう。そこに付け込まれるのだという。
「辺境じゃ無理矢理婚姻させられそうになったりね。多分僻地過ぎて新しい血が入ってこないからなんだろうけど」
なんというか、孤立した集落にありがちな感じである。
「都会は単純に治安が悪いし、ほら、国によっては旅行者なんて実質、法外人だから、ね……」
あまり詳しくは言いたくはなさそうだったので、それ以上は聞かなかった。
「そんな泣きそうな顔しないで。これよりも酷いことは何度かあったから」
いよいよ涙が溢れそうである。彼女に今後いい事しか起こらないよう祈るしかない。
「例えば、謎の調査船に捕まって改造手術を施されそうになったとか」
そっちの方が酷い判定なんだ。いや、確かに酷いけど。涙引っ込んじゃったよ。
「なんとか脳を改造される前に乗組員をボコボコにして脱出したけど」
あ、よかった……のか?なんか仮面をつけたバイク乗りが思い浮かぶ感じだ。
「ホント、人生って嫌なことばっかりだよね。嫌なことなんて現実だけでいい」
強く頷くばかりである……いや、私はどちらかといえば幸福な人間であると自負はしているが。
「だから私暗い話は嫌い。そんなの全部焼いちゃえばいいし、書いてる人もみんな穴に埋めて殺したほうがいいんじゃない?」
ふ、焚書坑儒……。急に怖いこと言わないで?宇宙人すぐそういうこと言う。
彼女と色々話していると、すっかり空が赤く染まってしまった。
「一日中付き合ってくれて、ありがと。私、誰かに聞いてほしかったのかもね」
こちらこそ、貴重な話を聞けたものである。
今日の話を書き留めて誰かに見せてもいいかと聞くと、快諾してくれた。
「色んな人に読ませてあげて。特に暗い話書いてるやつ穴に埋めるところとか。一番伝えたいのそこだから」
そこなんだ……まあ、彼女の人生を思えば、気持ちはわからないでもない。単なる八つ当たりだけど。
「もう会うことはないかもしれないけどさ、あなたに会えてよかった。日本で一番の思い出だよ。一生忘れないからあなたも一生忘れないでね」
そう言うと、彼女は立ち上がり軽快な足取りで去っていった。気分が晴れたようでよかったよかった。
なんだか軽いような重いような不思議な人物であったが、ただ一つ言えるのは、私はこの日を生涯忘れないであろうという事、である。




