色とりどりの色眼鏡
マナーやルール、生活習慣などはある種の民族の風習と言えるだろう。
そしてそれらの見え方も千差万別だ。
エスカレーター。都会ではこういうマナーがある。
急ぐ人のために片側を開けて立つ、というものだ。
これの発祥は第二次大戦中のイギリスである。混雑緩和を目的として周知された。
とはいえ、手摺を片側しか掴まずに乗ることは推奨されるものではなく、
緊急停止時にバランスを崩すかもしれないし、その上片側を人が歩くとなれば、転倒の危険性も増すだろう。
このマナーは幾つかの星間国家で紹介された。
以下は帝国日報文書版のコラムの一部である。かなり批判的であった。
“天皇陛下のお膝元である東京都におけるこの因習は、日本人、特に関東に住む
日本人の未熟性とそれ故の馬鹿げた勘違いの象徴と言えるだろう。彼らはそれ
が危険行為であるとも知らず、しかも自分をマナーを守る良い人間であると考
えている。無知蒙昧にして傲慢、正しく『都会人』の特徴によく当てはまる。
なぜこうなるのか、それは都会人が日頃から複合材料製の建物に住み、舗装さ
れた地面を踏み、人工食材しか食べないからである。彼らは土に触れる喜びを
知らず、作物を育てないため慈愛の心を持たず、天皇陛下の存在のありがたみ
を感じる心を失っている。これこそが都市化の弊害である。 ”
そもそもガウラ帝国にエスカレーターがあるのかどうか別として、
最終的に関係がなさそうな部分に着地している。
まあ、最後の部分が言いたくてこの記事を書いたのだろうが、
実際に危険行為ではあるし、これは私の偏見だが、確かに自分を良い人だと思ってそうな……いやよそう。
こういう視点から見るというのは彼らが、言うなれば農村志向、といった社会であるからだろう。
都市部がそもそも過密にならないため、こういったマナーが生まれないのだ。
彼らには奇異に見えただろう。
“鉄道の貨車を思い浮かべてもらいたい。資材が沢山詰まっているはずだ。しか
しそれら全てが人間だったらどうだろう?この悍ましい光景は日本の東京で見
ることが出来る。日本語で『マンインデンシャ』と呼ばれるものである。この
奇特な風習は数十年続いており、改善される見込みはない。そもそも改善する
ものではないのである。これは関東の文化だ。彼らはこうして精神的に自分を
追い詰めることで『カロウシ』――働き過ぎて死ぬこと――や『ノミカイ』―
―好きでもない人と酒を飲むこと――のストレスに耐えるための訓練を行って
いる。そして、男女不平等社会である地球では、日本も例外ではなく女性が危
険に晒される。その為に『チカン』――他者の身体を性的な意図を持って触る
こと――によって予行演習を行うのである。チカンは関東の戦士たちの文化で
あるのだ。これが世に言う関東軍である。こうして精神面の振り落としが日頃
から行われ、自殺者も多く出してしまうが、屈強なる戦士を育てるためには必
要な犠牲なのである。将来、日本兵が宇宙の傭兵業界を席巻する日も近いだろ
う。我らガウラ帝国と横並びに歩く日もそう遠くはない。 ”
満員電車と痴漢に対する評論である。かなり頓珍漢な事が書かれている酷い記事だ。
飲み会の件を見るに多分酔っ払いかなんかから話を聞いてしまったのかもしれない。
しかも着地点が傭兵産業。確かに満員電車は戦場にいるよりもストレスが強いという話も聞くが、
おそらく傭兵産業に参加するのは、まあ難しいんじゃないかな……!?
一方で、ルベリー共和国は上述のマナーについては好意的な評価をしていた。
“日本人の思いやりには感服する。技術や社会の発展は即ち精神の発展とはなら
ない。ある時、自動階段の片側を空けて立っている者を見た。私が問いかける
と、急ぐ人のために空けているのだという。ルベリーでは見ない光景だ。誰し
も転倒で死にたくはないのである。だが彼らは、ただの思いやりで死の縁に立
っているのだ。なんという博愛精神、他者を慈しむ心であろうか!ルベリーに
これほどの人間が一体どれほどいるだろうか! ”
これはルベリー共和国の『宇宙のケダモノ誌』という冊子の記事の一部である。
宇宙人のことは嫌いだが気にはなるようで、結構広く読まれているようだ。
そんなルベリーでこれほど高評価をされるのは珍しいことだ。
というのも、エウケストラナ人の身体構造に起因する。
彼らの脚は地球の馬と同じく重要な部位であり、骨折すれば心不全などのリスクに繋がる。
医療技術の進歩で即死亡、ということは殆どなくなったが、死んだほうがマシな状況になることも少なくない。
骨折やそれに繋がる転倒や事故などに本能的に恐怖を感じており、
エスカレーターでの転倒を顧みない日本人の優しさに感涙しているのだろう。
つまるところ、ちょっとした意識のすれ違いみたいなものだ。
逆に危険行為だと批判すべきところな気がしないでもないが、宇宙人なので考えてもしょうがない。
“サラリーマン出退勤時の息抜き、痴漢。それは東京に存在する。しかしこれら
はある種の、乗客と鉄道会社双方の合意によって成り立つ奇妙な風習であった
。過密車両の維持は鉄道会社の至上命題である。なぜ関東がこの奇妙な風習を
維持するのかは不明である。関東の人間はこの過密車両の中で異性や子供の身
体に触り、日々のストレスを解消する。そして環境を用意した鉄道会社に報い
る為毎朝同じ車両に乗り、金を落とすのである。もちろん、公然と行えば犯罪
である。しかし、この状態は数十年以上維持し続けられているのである。星間
国家からしてみれば、信じ難い明らかに異常な状態であるにも関わらず、抗議
の声は小さくむしろ正当化する声さえも聞こえてくる。我々に理解することは
難しいが、つまりはそういう文化なのだ。 ”
これはミユ社の発行する『異邦詳細』という雑誌での満員電車評の記事の一部だ。
おそらくは相当批判的な文章である、そんな文化無いよ!
そりゃ金持っとるミユ社からしてみれば何の対策もしてないように見えるし、
だとすればそういう文化なのだろうと思われるのも仕方がないのかもしれない。
でも土地の都合とか路線の都合とかお金の都合とか色々あるし……。
彼らにとって改善とは工程をすっ飛ばしてでもやるもので、やらないのは理由があるかそういう文化である。
無能と悪意を少し混同してしまう彼らの思想が透けて見える文章であった。
地方にも目を向けてみよう、町内会や隣組など、いわゆる『田舎の相互監視』は、
軍事国家からは国民の結束と防諜を強化すると評価され、
そうでもない国家では息苦しいと難色を示されたり、珍風習として紹介されている。
“医師を追い出すというのはやり過ぎであろうが、優れた防諜として、特に占
領下においては機能する可能性があり、調査が必要である。 ”
“あまりにも馬鹿げた制度だ、住民の相互監視ではなく、国家による監視が必
要である。市民は欲にあまりにも弱く、組織として腐敗するのは目に見えて
いる。国土中が腐敗することになってしまう。 ”
“制度として解体されたにも関わらず、このような風習がそのまま残るという
のも面白い話である。とはいえ、日常では息が詰まるだろう、非常事態にこ
そ真価を発揮するものであるので、これからも続くことを祈ろう。 ”
それぞれ、ガウラ帝国、ピール首長国、マウデン家の評価である。
これらの雑誌や記事は宇宙港内の売店で購入することが出来るので、
気になる人は是非買って読んでみるといい。
社会問題とされているものが評価され、マナーとされるものがこき下ろされる、
我々と同じく、彼らも彼らの目でしか物事を見ることが出来ないのであるので、
単なる風習か、因習であるのかを決めるのは見る者の色眼鏡なのだろう。




