7.盗賊との戦い
辺りは喧騒に包まれていた。
クロコアイト渓谷を越えた先に広がる、暗い森の中。
普段なら隠れるにはもってこいの場所なんだろうが、今の彼らにはそんなことはどうでもいいようだった。
考えてみれば、また森だ。
最近狼と闘ったばかりだというのに。
あのときとは違って今は、どこにも仲間はいない。皆、もういない。
けれど、救わなくちゃいけない人は、すぐそこにいる。
ずっと結界を張って、どうにか身を守り続けている。
まだ智恵理は、身体まで穢されたわけではないようだ。
それが俺にとっての唯一の救いだった。
「ほらほらほらぁ! あと何回叩けば壊れちゃうかなぁ? もうすぐ手が届いちゃうぞ、ぎゃはははははっ!!」
おぞましい表情を浮かべた小柄な男が、杖から魔法を発して結界を破ろうとしている。
あれが破られたら、智恵理は守りを失う。
きっと瞬時に障壁を張り替えることは不可能だろう。
彼女の心は既に、絶望の底にあるようだから。
「いや……。お家に帰して……お父さん、お母さん、今まで迷惑をかけてごめんなさい。わたしがもっと元気だったら、あなたたちは……」
「テメェ、リゲズ! 追い詰めすぎだアホたれがぁ! 俺は、抵抗する女が欲しいってんだよ!!」
「あん? ボクは心をズタズタにしてからの方がいいと思うけれどね!」
「笑いながら抜かすなゲス野郎」
下品な笑みを浮かべた集団。
その中でも一際強そうな二人。
俺だけで倒せるか?
いや、そんなことはもういいんだ。
どのみち倒す以外にに方法はない。
「嫌だよ。助けてよ。こんなところで、死にたくない……」
ダメだ。今飛び出したら奇襲できない。
もっと警戒心が薄れてから、ここぞというときにやるんだ。
「ばっかじゃないの! さっきの男は死んだ! どうせ残りのやつも竜に殺されたよ!! もう君だけだ。君だけなんだ。助けが来るなんてあり得ない! だから大人しく言うことをーー」
そう言ってリゲズと呼ばれた魔術師の男が魔法を放った。
すると遂に、結界にヒビが入る。
もう、我慢の限界だった。
「シルフィ、やれ」
『分かったわ』
精霊の少女が、辺りに烈風を巻き起こす。
空気の刃が奴らを捉え、辺りは血の海に染まる。
そうなると思っていた。
しかし、
「あっぶないなぁ!」
魔術師が振るった杖から、炎の壁が表れる。
それが、烈風を阻んでしまった。
「そんな!?」
『風への対抗魔術、しかも強力なやつよ! 今のあたしじゃ太刀打ちできない』
奇襲は失敗した。
俺の姿が盗賊の残党たちの前に晒される。
精霊は使えない。あの魔術師がいる限り、風の魔法は意味を為さない。
あと出来ることがあるとすれば、吏人の槍で戦うことぐらいだ。
「あれ? あれあれぇ? なんで生きてんの? というか、なんで一人で助けになんか来ちゃったの!? ぎゃははははっ!!
とんだ馬鹿がいたもんだ!」
「るせえぞリゲズ! テメェら、さっさとその餓鬼を捕らえろ。そいつの目の前で、この女を穢してやる」
「黙れよ穢い男ども。邪魔なんだよ」
俺はシルフィに命じて、連続で風魔法を発射させる。
「だからさぁ、効かないって言ってるだろ!! 学習能力のない猿めが!!」
分かっているさ。
だから、魔術師のお前を防御に集中させたんだ。
攻められたらもう勝ち目はない。
槍術スキルなんて持ってもいない俺が、魔術師相手に勝てるはずがないのだ。
「あぁぁああーー!!」
迫ってくる盗賊を槍で突こうとする。
けれど、逆に剣で弾かれる。
衝撃が腕に伝わって、槍が地面に落ちる。
「ほら、どうした拾えよ」
「煩い! 煩い! 煩いんだよ!!」
槍で薙いでも、振り回しても、連続で突いても叶わない。
届かない。
俺自身がどれだけ無力なのか、今更思い知った。
それでもやめない。
生きている限り逆転のチャンスがあるなら俺は、こいつらが油断しているうちにどうにかして智恵理を助けるんだ。
「あぁぁああーー!!」
「もう、逃げて下さい……わたしがこの人たちに穢される前に。これ以上はわたし、耐えられそうにないです」
「黙ってろよ! 智恵理の意見なんて知らない! 俺が、生きていてもらわなきゃ、そのままの姿じゃなきゃ困るから助けに来たんだよ!!」
「ぎゃはははははひひひひひっ!! 面白い! こいつ面白いよ!!」
「んどくせなぁ。どけ」
盗賊のリーダーが立ち上がって、迫ってくる。
二メートルはありそうな大きな体が立ち塞がる。
「殺す! 絶対にお前らだけは殺す!」
俺が突き出した槍は、柄の途中からリーダーの大きな手に掴み取られてしまう。
「そんなノロくて弱っちい攻撃で、誰を殺すってんだ? ああん?」
「があああああああーー!!」
槍を離して、素手で殴りにかかる。
しかし、その選択が誤りだった。
俺の喧嘩なれしていない拳はあっさりと躱された。
そして返しの攻撃で、大振りのダガーナイフが、俺の脇腹を貫いたのだ。
「あ……、あぁ……」
「だせえ男がいたもんだな、おい。興醒めもいいとこだ」
服の隙間から流れ出す赤黒い血液。
それが全て自分のものであると知ったときには既に、俺は膝から崩れ落ちてしまっていた。
『ご主人!?』
「はーぁ、楽しかったぁ。じゃあ、ヤろうか。死ぬ直前に好きな女が蹂躙されるのを拝めるだなんて、いい死に様じゃないか」
男たちが、結界へと近づいていく。
ある者は涎を垂らしながら。またある者は下半身を露出させながら、最後の砦を壊しにかかる。
俺はそれを見ていることしか出来ない。
動くことが出来ない。
「澪司くん、わたしのせいで……澪司くん……」
智恵理の声に応えられない。
意識がもう、途切れそうだ。
そのとき思い出したのは、生前の記憶だった。
それは走馬灯なんかじゃない。
以前の、死ぬ直前の記憶。
台風だった。
物凄く強い雨と風。あれのせいで、俺はこんな世界に落とされた。
もし今あれだけの水があれば、この流れ出た血液と同じ量を補うこともできるだろうに。
あれだけの水があれば、火の壁だって直ぐに消せただろうに。
けれど俺の手元には風しかない。
俺の精霊は……。せい、れい?
そうだ。
水だ。水がいる。
きっと水の精霊だっているはずだ。
使える精霊が一体だなんて誰が決めた。
あの書物にだって書いてあったじゃないか。
ーー四大の力を、その性質を知らぬ者は、霊を支配する力持たぬーー
四大。四つの力。四つの元素。風、水、火、土、その四つの力が俺に宿っているとするなら。
今、水が必要だ。
前でも先でもなくたった今、俺が死ぬ前に、水の精霊が必要なんだ。
なんだっていい。思いつく限りの知識を並べて、思い出すんだ。
水を司る精霊の名前を。
俺がここに喚ぶべき力の正体、その名前は。
「……ウン……ディーネ」
その瞬間、このファンタジーな世界には不似合いな、電子音が頭の中に鳴り響いた。
【スキルが更新されました】
他人には絶対に聞こえない声。
きっと今の声の主こそが、人々に知識を授けるという、この世界の伝承の中の存在、『天上の女神』だ。
俺の頭の中にあった知識が、瞬く間に書き換えられていく。
それは、元から俺がその知識を知っていたかのように、何の違和感もなく。
ーー水の精霊を呼び出す詠唱が、俺の頭の中にはハッキリと思い浮かんでいた。
奇跡に理由は求めない。突然の出来事に戸惑わない。
目の前の事実を信じて、ただ、死ぬ瞬間まで諦めない。
俺は迷わず、その呪文を唱えた。
「我が下に……っ、出で、蛇行、しろっーー水の精、ウンディーネ……」
口にした直後、意識が持っていかれそうな程の脱力感が襲った。
それでも耐える。
ここで耐えなきゃ、意味がないんだ。
「さあ、その正体を露わにし、けりを、つけてくれ」
変化が起きた。
森を覆っていた霧が、一瞬にして晴れたのだ。
いや、正確には晴れたんじゃない。
霧全てが、目の前にいる液体上の女に姿を変えたのだ。
『御主人様、よくぞ召喚して下さいました。どうぞ私めにご命令を』
礼儀正しいとか堅苦しいとか、そういうのはどうでも良かった。
今は、戦えるだけでありがたい。
「頼む……早く、あの女の子を助けてくれ……」
『ご命令とあらば』
「ん? なになに、どういうこと!? なんで死に損ないのお前が、何で水の精霊を従えてるわけ!? どうなんてんだよ、おい!!」
『沈黙なさい、小煩い虫ケラ』
「ーー!? ーーーーーー!!」
湧き出た大量の水が、リゲズの身体を包み込み、窒素させる。
やつは今身動きが出来ない。
いずれ溺死するだろう。
今が、最後のチャンスだ。
「リゲズ、テメェ……。何してんだ野郎ども!! あの餓鬼にとどめをさせ! 茶番は終いだ!!」
殺到してくる盗賊たち。
けど、もう怖くない。
「隕星の……如く、煌めけーーシルフィ」
『安心して。今度は全部蹴散らすわ』
風の砲弾が飛ぶ。
そしてそこから、幾千の刃が飛んで散る。
全てを切り裂き、喰らい尽くす風の魔法。
対抗手段がないなら、お前らはこの力に逆らえない。
そうだろう?
「おわり、だ……」
「ハッ、んなわけねえだろ、餓鬼ごときが……」
死体の山から、あの大男が這い出してくる。
原型はとどめていない。
だというのにまだ、生きている。
「なんだって、そんな身体で……。しぶ、といな」
「ナイフで刺されて、魔法まで使った奴がよく言う……。くそっ、遂に貧乏クジ引いちまった。
こんな上玉、ただで手に入ること自体、怪しかったんだ……」
盗賊のリーダーがゆっくりと歩いてくる。
その手の中で、俺の血に染まったナイフが鈍い光を放っていた。
こっちも、魔術師を仕留めているウンディーネを動かすわけにはいかない。
だから今度こそ、俺の手で。
ふらふらと立ち上がって、槍を掴む。
一歩踏み出す度に、脇腹から血が流れ出る。気にしない。もう、その程度の苦痛なんて気にもならない。
「殺す前に、聞いてやる。テメェ、どこの、何もんだ?」
目がチカチカする。激しい耳鳴りまで聞こえてきた。ああ、もうダメそうだ。
けれど、こいつを殺すぐらいならきっと。
「殺す、前に……教えて、やる。俺は、出来損ないで、異邦人の、高校生だーー」
ずぶり、と、奴の腹に槍を突き刺した。
「ーーくそったれ」
リーチの差が、勝敗を決したのだ。
「ツいてねぇ。そりゃこっちの台詞だぜ、クソッタレが……」
半ば肉塊と化した盗賊のリーダーが、地に倒れ伏す。
これでようやく終わった。
智恵理を救うことが出来た。
もうじき俺にも、二度目の終わりがやってくる。
智恵理を生かして、俺は死ぬ。
吏人の言っていた通りだ。
他人を優先しようとした人間から死んでいく。
自分の力量も分からずに、人の命を守れると勘違いした結果がこれってわけだ。
でも、それでもいいじゃないか。
結果的に俺は、智恵理を守ることができた。
病室で治療も虚しく死んでいった彼女に与えられた二つ目の命を、繋ぎ止めることが出来た。
これから先、智恵理がどうなってしまうのかなんて分からない。
仲間全員分の人生を背負わせてしまったことを申し訳なく思う。
それでも、智恵理の命を救えて、
「良かった……」
✳︎
【取得条件達成:槍術スキルを獲得しました】
✳︎
「ーーーーい、ーーん」
…………。
……どうして、声が聞こえるんだろう。
「ーー下さい、ーーーーくん」
また、別の異世界にでも飛ばされたのか?
せっかく智恵理を助けて、自分の中で納得のいく死に方が出来たと思っていたのに。
「起きて。起きて下さい……」
聞きなれた声がする。
けど、どうしてだろう。
智恵理の声がするはずなんてないのに。
あのとき俺は、確かに死んだはずなのに。
「お願いだから……目を覚まして下さい! 澪司くん!!」
俺は、生きているのか?
ポツリ、ポツリと、温かい雫が顔に落ちてくる。
雨、にしては余りにも局所的だ。
そのことが変に感じて、俺は瞼を持ち上げた。
持ち上げることが出来た。
「なんで泣いてるの、智恵理」
「……うぅっ……ひっぐ……へ?」
俺の意識が戻っていることに気がついた智恵理が、瞳を大きく見開く。
みっともないぐらいにくしゃくしゃな顔のまま、彼女は放心状態になってしまう。
なんだよ、せっかくの再会だっていうのに。
もっと喜んでくれたっていいんだぞ?
なんてことを考えていたら、突然智恵理が俺の胸に飛び込んできた。
「わっ!? ちょっ、ちえーー!?」
突然のことで物理的にも、心理的にも衝撃を受けた。
復活早々心臓に悪いって。
「澪司くん……澪司くん!」
「あの、智恵理、お、落ち着いてくれ。というか離れて、涙と鼻水をーー」
離れろ、と言っているのに、智恵理は逆に肩に腕を回してくる。
これじゃあこの場をどう収めればいいのか分からない。
というかこいつ、髪の毛からいい匂いがするし、色々と柔らかいし、暖かいし……。
なんかもう、どうでもいいや。
「どうして、あんなことしたんですか!? 馬鹿なんですか!?」
「え?」
おかしいな。抱きしめられた側から罵声が飛んで来た。
もっと、甘い言葉を掛けられるもんだと思っていたんだけど。
「どうしてあんなになるまで戦うんですか!? どうしてそこまで、わたしを守ろうとするんですか!?
わたし、なんかのために……」
智恵理は、俺が彼女を助けたことを怒っているのか?
彼女のために、俺が捨て身の行動を取って、危うく死にかけたから。
「智恵理は、あそこで死にたかったのか? 男たちに散々無茶苦茶にされて、飽きたら捨てられるか売られるかする。そんな、子供のオモチャみたいな結末がお望みだったって?」
言ってる側から吐き気がした。
二度と見たくもない奴らの顔が、勝手に頭の中で次々と浮かび上がってきたのだ。
欲望に溺れた醜い顔、苦痛に歪む表情、血走った目。そんなのばかり。
自分が殺した人間の顔を並べたスライドショーなんて、誰が観たいというんだ。
けど、一度思い出したら最後。どんなに忘れようとしても、奴らの顔が頭から離れない。
離れてくれないのだ。
「ちがっ! …………そう、です。澪司くんのあんな姿を見るぐらいだったら、わたしが酷い目にあった方がまだ良かった」
「なんだよ、それ」
俺の努力は、全て無駄だったっていうのか。
いや、そんなことはこの際どうでもいい。自己利益なんて今は求めやしない。
「生き残ったんだろ。だったら、それでいいじゃないかよ。
人のために自分が死ねばいいなんて、考えるなよ」
俺がそう言うと、智恵理が呆れたように笑う。
目は、全く笑っていなかったけど。
「澪司くんは優しいから、自分の言ってることが矛盾しているって分かってないんでしょうね」
「矛盾?」
「だって澪司くんがわたしにしたことは、それと全く同じでしょ?
誰かのために命を捨てようとしたのは、あなたの方ですよ」
「そうだな。だけど、危険な目に遭っている女の子を守ろうとして死ぬのと、マヌケな男のために女の子が自己犠牲を払うのとは訳が違うだろ」
「結果は同じですよ」
「それだけじゃないさ。俺と君じゃ、価値が違う。この世界で生き残る権利がどちらかに与えられるのだとすれば、それは智恵理の方なんだ」
何もない俺に価値があるとは思えない。
この世界に来て少しでも幸せになれた智恵理が生き残ることに意味があるんだ。
「やめて下さいよ、そういうの。欲しくないんですよ」
「人が平等なんてのは嘘っぱちだ。目の前にいる死にそうな他人を見捨ててでも、遠くで苦しむ家族のことを助けるように。どこかで、人は人を天秤に掛けてる。
俺は、皆に報いたかった。俺を助けてくれた皆を、同じように助けたかった。
生まれて初めて、そう思えた。だから、俺自身の命より、君らの命を優先した」
だけど、死んだ。
俺が見捨てた。口ではなんとでも言えた。けど、行動出来なかった。
「智恵理が最後の一人だった。……いや、違う。君がそう望むなら、本当は、他の仲間だって助けられた」
「だったら、どうしてそうしないんですか。なんで、わたしなんですか……」
「俺にとって智恵理が、一番大切だったから。だから俺は、他のどんな可能性を切り捨ててでも君を選んだんだ」
どうやら俺は、どこまでも煩悩に忠実な男みたいだ。
同性よりも異性を選び、その中でも自分の好ましい方を救う。
俺がやったのはそういうことだろ。
「わたしは、また……あの日と同じように……。他人に迷惑をかけて、犠牲にして、何の役にも立てなくて……」
智恵理の瞳から、再び大粒の涙が零れる。
彼女は、人に迷惑をかけてしまことを嫌い、恐れているようだった。
「何があったんだよ? 生前の智恵理に、一体何があったんだ?」
「それは……」
智恵理が俺から目を逸らす。
話したくないことを根掘り葉掘り聞くような人間ほど煩わしいやつはそういないだろう。
だけど、それでも知りたいんだ。
智恵理が、自分を犠牲にしようとする理由を。
これから、俺たち二人がどうすればいいのかを考えるためにも。
森は暗い。
そろそろ夜明けが近づいている頃みたいだが、日が昇るにはまだ時間がいるだろう。
幸い、この世界で俺たちがやるべきことなんてない。
急がなくてもいいんだ。
焚き火はない。
けど、二人でこうしていれば暖は取れるだろう。
この気温なら、凍えて死ぬなんてこともあるまい。
だから、
「きっと澪司くん、わたしのこと嫌いになります。助けたこと、後悔します」
俺は智恵理の過去を探ることにした。
「さあ、どうだか。そんなの、聞いてみないと分からないよ」