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2.夜の目覚め

 あつい。


 熱い。


 左半身がやけに熱い。


 何で熱い?


 意識が戻ったときにまず感じたのが、熱さだった。

 パチパチと、何かが弾ける音がする。

 時折風が吹いて、目の前で橙色の光が揺らめく。


「ここは……外、なのか?」


 目を開けて見れば、辺りは闇色に染まっていた。

 宙を舞う蛍のような光と、そのもっとずっと遠くに広がる満点の星空。

 その空を丸く切り取ってしまっている、背の高い木々の集まり。

 そして横たわっている俺の隣では、焚き火が赤々と燃えていた。


「一体全体どうなってるんだ?」


 頭がくらくらする。

 それに少し気持ちが悪い。


 お酒でも飲まされたのか?


 そう思ってよろよろと身体を起こしてみると、そこにはただ、見慣れない景色が広がっているだけだった。


「ーーーーえっと、はい?」


 背の高いキノコに、虹色に光る半透明の蝶、見たことのない花々。

 いつの間にか無人島に流れ着いてました、完、なんてどころの話じゃない。

 そもそもここ、地球圏ですか。


 幻想的な風景の美しさに浸っている余裕なんてなかった。

 そんなことよりもまず、現状を把握しなくちゃならない。


「現……状……? 現状、ってなんだよ」


 頭を整理して、ようやく思い出した。


「そもそも俺、あのとき死んでないか?」


 その言葉を口にした途端、重かったり尖ったりした物が身体のあちこちを押し潰す感覚が脳裏に蘇って、立ちくらみがした。

 ああそうだ。俺は、あのとき土砂に飲まれて死んだ。

 確実に死んだ。

 しかし、今はどうだろう。

 自分の身体をあちこち弄ってみても、どこにもおかしな箇所は見当たらない。

 身体は細身でなよなよしいままだし、触った感じだと顔の形も変わっちゃいない。

 幸い頭髪も普段通り、茶色くてふさふさだ。

 五体満足、心身共に異常なし。

 無事生きている。


「これが、噂に聞く天国なのか? にしてはなんというか、随分イメージと違っているような……」


「天国、ではないと思いますよ」


「っ!?」


 突然声が聞こえてきて、俺はその場から思いっきり飛び退いた。

 警戒しつつ、声のした方を見てみれば、そこには女の子が立っていた。

 彼女はどこかの、恐らくは日本の学生服と思われるものを着ていて、背まで伸びた黒髪を紐で結わえている。

 大きな瞳が印象的な女の子だった。


「あ、あの、落ち着いて下さい。驚かせるつもりはなかったんです! ごめんなさい!」


 慌てて頭を下げる彼女を見て、俺はほっと息を吐き出す。

 危険そうな人じゃなくて安心した。


「だ、大丈夫です。突然だったんで驚いただけなんで」


 そう言って、とりあえず愛想笑いをしておいた。

 第一印象は大事だからな、うん。


「えっと、顔が引きつってますけど、どこか具合が悪いところでも?」


「い、いや特に問題はないですよ! 超元気です、マジで、本当に」


 だ、第一印象は大事だからな、うん。

 ここでか弱そうなアピールをしておけば後々気遣ってくれるかもしれない。

 そ、そういう作戦だ。


「わたし治癒魔術を心得ていますから、もし辛かったら我慢せずに診せて下さいね」


 そう言ってにっこりと微笑んでくるあなたは、女神様か何かですかね。

 この清楚な雰囲気の美少女に治癒魔術を施してもらえるなら、俺も少しぐらい怪我しちゃうおうかしら……って、


「治癒……魔術?」


 いけない、ゲームのやり過ぎで耳がおかしくなってる。

 と言っても、どうやったら別の言葉をそんなRPG的な単語と聞き間違えるのかは分からないけれど。


「はい。わたし、聖女スキルっていうのを持っていて、その中に治癒魔術の知識も含まれているのでーー」


「ちょっと待って! タイム、タイムアウト取らせて!」


 両手でTの字を作って、女の子の話しを遮る。

 聞き間違いじゃない?

 スキルとか、魔術とか、この娘まさか本気でそういうのを使えるって信じてるわけじゃないよな。


「突然だけど君、中二病って、知ってる?」


「はい、もちろん。中学二年生の頃に掛かりやすい病気ですよね?

 えと、それは解毒魔術でどうにかできるんでしょうか?」


 いや、本当の病気ってわけじゃないから。


「オーケー、君の眼が邪気に侵されていないことはよく分かった」


 この様子だと、今の話が痛い女の子の妄想であるということはなさそうだ。

 どうやらこの女の子は、本気で魔術が使えるらしい。

 とするとおかしくなってしまったのは、俺の頭かこの世界か、そういうことになるな。

 俺がその答えを導き出したとき、茂みの中から大きな音がした。


「今度はなんだ?」


 その茂みから距離を取って、咄嗟に身構える。

 この幻想めいた風景に加えて魔術と来たら、お次は魔物辺りが出てきそうなもんだけど。

 流石にそれはあり得ないよね。


「安心して下さい。多分、皆が帰って来たんだと思いますよ」


「み、皆?」


「やだなぁ、皆は皆じゃないですか」


 そう言ってくすくすと笑う女の子の姿は大そう可愛いんだけど、だから皆って誰だよ。

 この女の子の仲間か何か?


 そんなことを話しているうちに茂みが揺さぶられる音は大きくなっていった。

 そして遂に、掻き分けられた草の間から、巨大な猪の顔が飛び出してきた。

 しかも、口には反り返った牙、頭に大きな角を生やしたやつが。


「ちょ、ま、魔物!!」


 びっくりしてその場に尻餅をつく。

 というか、今は転んでいる場合じゃない!

 このままじゃ女の子諸共刺し殺されーー


「あーれ? ちーちゃん、そいつ誰?」


「へ? あれ? も、もしかして、新しい人!?」


「ひ、ひと……」


 猪の背後から男の姿が見えた辺りで、俺は再び意識を失った。


 ✳︎


「ったく、男がちょっとおかしな猪見た程度で気絶すんなよなぁ」


 その言葉に周りのやつらがざわめく。


「仕方ないだろ、初見だったんだよ……」


 そんな中で俺は、一人恥ずかしい思いをしながら猪汁を頬張る。

 さっきこいつらが狩ってきた食料を、おすそ分けしてもらったのだ。

 確かこの猪の名前は、トライデント・ボア、というらしい。

 仰々しい名前のくせに、大して強くはないんだとか。


「まあ、誰でも最初はそうなるもんよね。リヒトだって、マッシュマンに腰ぬかしてた時期があったでしょう?」


 対面に座るスタイルのいい女子からフォローが入る。


「マヤだって似たようなもんだろ。騎士蟻(ナイト・アント)見て悲鳴上げてた」


 この集団のリーダー格と思われる男子、狭山(さやま)吏人(りひと)が顔を赤くしながら仕返ししていた。

 どうやら、嫌な思い出を蒸し返されたらしい。


「ばっ、お、乙女は虫が嫌いなのよ!」


「結局どっちもどっちじゃないっすか」


 サル顔っぽいやつが、二人にツッコミを入れる。

 低身長なせいで余計サルに見えるのは内緒だ。


「どうです、篠宮くん。これがわたしの仲間です」


 そして、僕に向かってにっこりと笑いかけてくるのが、櫻井智(さくらい)恵理(ちえり)

 この場所で最初に出会った女の子。

 俺をこの集団と引き合わせ、うまく関係を取り持ってくれた。

 きっと、この異世界で誰よりも優しい女の子だ。


 そう、ここは異世界だ。

 俺たちが生きていた場所とは全く関係のない別世界。

 俺はそこに突き落とされた。

 その事実を知ったのは、俺がこいつらに混じって焚き火を囲む前のことだった。


 ✳︎


 掻い摘んで説明すると、ここは報われない子供達のために用意された地獄、なのだそうだ。


 今ここにいる俺たちは皆、現実世界で一度死んでいる。

 俺だけでなく、皆が、だ。

 しかも皆、天寿を全う出来ず、自分の意志にそぐわない非業の死を遂げたのだそうだ。

 つまりここは、そんな子供達がもう一度人生を歩むために送られる世界なのだ。

 しかし誰がそんなことを言い出したのか、どうしてここに送られてくるのか、それについては皆今一つ分かっていないようだった。


 では、なぜここが地獄なのか?

 それは、たとえこの世界で生き直すことが出来たとしても、生き残れるとは限らないからだ。

 戦いなんて全く知らない俺たちが、突然凶暴な魔族が蔓延る世界に突き落とされるんだ。

 それに、運良く街の中で転生することが出来たとしても、ここには親もいないし家もない。

 ろくに仕事も出来やしない。

 だから、どんなに頑張っても浮浪児として貪欲に生きるか、商人に捕まえられて奴隷にされるのが運の尽きらしい。

 どう転んでも幸せな生活など待っていない。


 それだから、ここは俺らにとっての地獄なのだという。


 ✳︎


 夕食を終えた俺たちは、寝支度を終えると、各自寝袋のようなものに包まって横になった。

 これはさっきのサル顔のやつが持つ、クラフターとかいうスキルを用いて作ったらしい。

 クラフターというからには様々なものを作れるのだろう。

 まあ起用そうだもんな、あの猿。

 俺は、あの手の無駄にテンションが高い男子は苦手だから、今日はあまり話さなかったけれど。


 現実世界とは違いすぎる夜を過ごしたせいか、寝袋に入っても俺はうまく寝付けなかった。

 だからどうせなら、と仲間内で交互に行われる夜間の見張り番を買って出た。

 役に立つとは思えなかったけど、なかなか美味しい夕食を振舞ってもらっておきながら何もしないのは少し気が引けたのだ。

 それに、ここで積極的に協力姿勢をとっておいた方が、この集団と打ち解けるのも早まる気がした。

 見張り番をする際には、一番の実力者である吏人が付いて来てくれたのであまり不安になることはなかった。


「目が覚めた場所が俺らのベースキャンプだったなんて運が良かったよな、澪司は。生き返って直ぐに死亡なんてケースも、この世界じゃざらにあるんだぜ」


 吏人が少し嬉しそうな表情で言う。

 ショートの髪と引き締まった身体が特徴的なこの十八間近の爽やか系イケメンは、男子にも優しかった。

 こういうタイプがモテるんでしょうね。

 教室の奥で男友達とゲームしてる俺と違って。


「そういうの詳しいんだ。ってことはやっぱり、吏人はこの世界に来てから長いのか?」


 俺がそう尋ねると、吏人が難しそうな顔をする。


「まあ、な。このグループの中じゃ俺と、それからさっきのマヤってやつが経験的にも、実年齢的にも最年長だよ。と言っても、俺もあいつもここに来てからまだ一ヶ月程度だけど」


「でも、一ヶ月保ったってことだよね。凄いな……」


 たった一ヶ月でグループを纏める地位にまで至った吏人の統率力の高さと、カリスマ性に恐れ入った。

 それにしても、その口ぶりからするとこの世界には、


「他にもグループがあるのか?」


「ああ。最初俺たちは、国籍とかそういうのも関係なしに、もっと大きな集団で行動していたんだ。中には他国の言語が理解できるやつも少なからずいたんで、意思疎通にも目立った問題はなかった」


「今、そいつらは?」


「さあな。数週間前起きた事件以降、顔を合わせてないから」


「事件……」


「聞くか?」


吏人がそう言うのであれば、聞いておいて損はないだろう。

先輩の体験談は大事だから。

俺は無言で頷いて、吏人が語り始めるのを待った。


「今にしてみりゃ狂気じみた話だが、俺たちは一度、馬車で移動中の商業ギルドの連中を襲ったことがある」


「襲うって、それ……」


「ああ、この世界でも立派な犯罪だ。

 けど仕方がなかったんだ。金のない俺たちを、商人たちが助けてくれるはずがなかった。

 頼れる相手がいなかった。

 俺たちだけで生き残るためには色んな道具が必要だ。でも金がなかった。金がないなら、盗むしかない。だから俺たちは生き残るために、男子だけを集めて、盗賊の真似事をしたのさ。

 運が悪いことに、その集団には護衛のための傭兵が同行していてな。何人もの人間が返り討ちにあったよ」


 確かに地獄だ。

 こんな綺麗な風景はまやかしで、世界そのものはとても残酷だ。

 こいつらも、そしてこれからは俺も、生きるために罪を犯すかもしれない。仲間を見殺しにするかもしれない。

 騙して、奪って逃げ出すやつが現れるのかもしれない。

 生きるためには、犠牲を払う覚悟がいる。

 そんな場所に転生して、何が幸せだっていうんだ……


「道具を奪った代償に、その戦いで当時のリーダーが死んだ。統率者がいなくなったせいで、俺たちは次第に纏まりがなくなっていった。終いにゃ、どうにかして商人たちから奪った武器で、身内同士の争いが起きちまった。

 もうこのグループはお終いだと思ったよ。

 だから俺は、同じ生まれのやつらを、日本人を集めて、あの集団から逃げ出したんだ」


「そんなことが……なんか、ごめん。思い出させちゃって」


「んなことは気にしなくていいんだよ。そもそもあんな大勢で行動してたら、どうせいつか魔族にブチ殺されてただろうしな」


「そういうものかな……」


「そういうもんだ」


 お互いに無言の時間が過ぎていく。

 夜の静けさが、気まずさに拍車をかけているような気がした。

 耐えられずに俺が立ち上がろうとしたそのとき、なあ、と一言、吏人に引き止められた。


「篠宮澪司よ」


「どうしたんだよ、フルネームで。下の名前で呼び合おうって言ったのはそっちじゃないか」


「それもそうだな。じゃあ改めて、澪司、今日この世界に来たばかりのお前に覚えておいて欲しいことがあるんだ」


「覚えておいて欲しいこと。それって?」


「ああ。もし、魔物が襲って来たり、いろんな理由でこのグループが危険に晒されたときには、まず、自分が生き残ることだけを考えろ」


「えっと、でも」


 団体行動、チームプレー。

 生きるも死ぬも皆一緒で、互いに足を引っ張り合うだけの関係。

 それが仲間っていう言葉の定義のはずだ。

 なのに見捨てろと、吏人は言った。


「きっと、いざとなったら他人を思う余裕なんてない。けれどそれでも、今言ったことを徹底しろ。

 この世界では他人を優先したやつから真っ先にーー」


 死ぬ。


 その言葉が嫌に重く感じられた。

 あのときは、仕方ないと割り切れたはずなのに。

 今は何よりも、命を諦めることの方が怖かった。


 異世界に来たという実感はまだない。

 その事実にも、吏人の言葉にも、まだ納得はいっていない。


 けれどそれでも悲しいことに、このときを境に、俺の異世界を巡る旅は始まってしまったのだ。

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