1.本日雨天につき
雨が人を殺すだなんて知らなかった。
知っていたら、こんな目に遭わずに済んだだろうか?
いや、たとえ知っていたとしても俺にはどうすることもできなかったに違いない。
人が自然の力に抗うことなどできない。考えてみれば当たり前のことだった。
俺はその日、自らの命でもってそのことを証明してみせたのだ。
十月も半ばに差し掛かっていたその日、俺たちの町に嵐がやって来た。
台風十何号だかなんだかが日本列島を縦断しているらしかった。俺が暮らしていたのは、都会から少し離れたところに位置する四方を自然に囲まれた町だった。
そういう土地だからなのか、この町が受ける台風の被害は都市部よりもずっと大きなものだった。この前も近くの河川が増水し、とても小さいものではあったけれど、俺の家にある家庭菜園に植えられた作物にも被害が出た。
台風のおかげで高校が休みになったその日、俺がやっていたことといえば、テレビゲームだった。
アクション系、武器でもって大型モンスターを討伐するやつ。
インターネット通信が実装されてからは自宅からでも友達と遊べるようになり、益々外出する機会が減った。
「ーーッ、そうじゃないってば! 今のはブレスの予備動作だったじゃん。ホント、野良は使えないんだから……」
真っ暗な部屋のベッドの中。唯一の明かりは、液晶画面から放たれる目に悪そうな光のみ。
ヘッドホンで耳を塞いで、音量は大き目に。そんな環境で、高速で指を動かしながら画面の向こう側にいるどこかの誰かさんのプレイに文句をつける。
そんなことにばかり夢中になっていたもんだから、さっきこんな天気の中家までやって来た誰かさんのことも無視したし、テレビの台風情報も、仕事先の両親からの連絡にも、市役所の避難勧告の放送すらも、全く気がつかなかった。
昼というにはもう遅い時間帯、昼食を摂ることもせずにダラダラとゲームを続けていたときのこと。
「マジか。このタイミングで通信切断とか、それはないでしょ!
勢いよく身体を起こして、ゲーム機をベッドに放り投げる。折角いいところまで行ったのに、通信エラーのせいでそれも全部水の泡。テンションガタ落ちだ。
「あーあ、やり直しかぁ……」
ため息を吐いて、そんなことをぼやきながら立ち上がる。
ゲームをするなら、与えられたクエストは一度でクリアする方が絶対に面白い。同じ内容をやり直すなんて面倒くさいし、何より新鮮味がない。
「やる気なくした。別のゲームでも……あれ、どこに置いたかな?」
部屋のどこかに仕舞っておいたはずのゲームチップを探しているときのこと、それは起きた。
突然、家全体が大きく揺さぶられる。それから、辺りに地鳴りが響き渡る。
「地震? 結構、大きいな」
自然災害とか、そういうのはよして欲しい。苦手なんだよ。
俺は未だに鳴り止まない地鳴りに不安を覚え、勉強机に置いてあった携帯電話を手に取った。
着信履歴の通知を無視して、気象情報をググりにかかる。
その間も地鳴りが響く。揺れは殆どないというのに、音だけがやたらと大きい。
しかも、徐々に音量が増してきている。何かがこちらに向かって近づいてきているような、そんな感じ。
「怪獣映画じゃあるまいし、一体何があったんだ?」
留め金を外して窓を開ける。
その途端に、飛沫のような雨が部屋に入り込んできた。風も強い。両腕で顔をガードして、薄目を開けるのがやっとだった。
雨は嫌いだ。特に嵐は大嫌いだ。けどこんな状況じゃ、周囲の様子を警戒しないわけにもいかない。
打ちつけるような雨水に顔をしかめながら、辺りを見回す。明確な異常が見当たらなければ、すぐさま窓を閉めてゲームの続きをするつもりだった。
――だけど、目の前に広がる光景はどう見ても異常だった。
雨で霞んだ景色の先に、茶色く濁った大波のようなものが見えた。
それがこっちに迫って来ていた。
「――あ?」
土や石ころや流木を含んだ、アレのことを巷では何と言うんだっけ?
確か、土石流、と言うのではなかったっけ?
そういえばさっき、俺の家の前までやって来た誰かは、しきりに何か叫んでいなかったか?
というか、今日に限って自宅の電話が引っ切り無しに鳴っていたのは、俺の安否確認だったのではないか?
そうなのだとしたら、
「ははっ、なんてこった……」
無意識に乾いた笑いが口から零れる。
町中の人々が逃げ出すほどの危機。それが今まさに、こっちに向かてきている。そこまで思考が辿り着いたとき、俺はようやく事態の深刻さを理解した。
なんてバカなんだ。そんなことに、今の今まで気づかなかっただなんて。
今すぐここから逃げろ。
本能が警鐘鳴らし、そんな言葉が脳内を駆け巡る。
けれど、それまでだった。
今更逃げることなんて不可能だ。遅かったのだ。
だって、もう濁流は目の前まで迫って来ている。今さら何をすることもできやしない。
それに何よりも、恐怖に慄いてしまった俺は、あの濁流から片時も目が離せなかったのだ。
だからーー
「ああ、これは無理ゲーだ。詰んだ」
ーー俺はあっさりと、自分の命を諦めた。
何の抵抗もせずに、死を受け入れたのだ。
これは本物の人生で、ゲームとは違っていて、やり直すことなんてできやしない。
そんなことは誰だって知っている。俺だって、リアルとゲームの区別ぐらいはできている。
けど、どうしようもなかったんだ。
だって、俺はまだ高校生だ。将来の夢なんてない。ただ漠然と、どこかの大学にでも進学できればいいかな、なんて考えてる能無しの子供だ。
彼女だっていない。誰かに将来を期待されているということも、特にない。
俺の人生にはまだ、本気で諦めたくないことなんて何一つなかったのだ。
だから手放すことができた。
無意味な程果てしなく広がる未来とか、可能性とかいう曖昧でしかないものに、まったく価値を見出せていなかった。そんなものは、この先いくらでも考えていける時間があるんだって思っていたから。
それに俺は、自分が濁流に飲み込まれるその瞬間まで、人の命に突然の終わりが訪れるだなんて信じちゃいなかったんだ。
そんな悲しい結末は世界のどこかの誰かさんが勝手に経験するもので。
ここで意識が途切れても、また同じように朝が来ると、そう信じていたんだから。
でも、その瞬間が俺の最期だった。俺は、篠宮澪司の人生はその日を境に音もなく途切れて、この世界から外れてしまった。
批評・誤字脱字誤用・文章の基礎自体に問題アリ等ありましたらお願いします。