カボチャの馬車とシンデレラ
「よーし、出港するか」
アルバは、指をぽきぽきと鳴らした。
不精髭をじょりっと撫で、操縦パネルにごつい指を走らせる。全身が、船の振動を感知していた。
絶好調なのは、自分の鼻先に伝わる震えで分かるのだ。
「うりゃおりぃぁあああーっ!」
イカレたテンションの奇声を発しながら、船を港からすべり出させる。
そんな漢臭いシートに、細い指がかかった。
「あなた……」
出港時にも関わらず、ふらふらウロつく奇行は、彼女以外にいない。
妻のチナだ。
テンションを上げすぎて、馬鹿になった嗅覚に、ふわりと甘い匂いがすべりこんでくる。
「あなた……おやつよ」
皿にのせられた果物のパイが出てくる。
「おうっ、うまそうだな!」
好物に、反射でよだれを出しながらも、アルバはパネルに両手を張りつかせたまま。
「だが、ちょーいと待ってくれよ、スィートハニー。こいつが、あんよを始めたばかりでね」
隣の副操縦席を、顎で差す。
座って待っててくれ、という合図だ。
「そう……なの」
今食べてもらえないことに、少しがっかりしたような彼女は、ぺたんと席に座った。
アルバは、ほっとする。加速を始めるところで、歩き回られたら危険だからだ。
普通なら、ちゃんと側に座らせて出港するのだが、今回はちょっと勝手が違った。
「お客にも、そいつを出したのか?」
妻を、ちらりと横目で見る。
きれいにまとめ上げられた黒髪に、知的な眼鏡。黙って立っているチナを見たら、人はきっと教師か秘書とでも思うだろう。
「ええ……50個はあったわ」
聞くだけで胸焼けしそうな数に、アルバは苦笑した。燃料の心配より、食料の心配をしていくことになりそうだ、と。
この船には、お客を乗せていた。
いや、船そのものも向こうの持ち物なのだから、アルバはただのお抱え操縦士というべきか。
「そんなに……食うのか?」
ようやく、宙港の管制を離れ、船の操縦が落ち着いた頃。片手をパネルから離して、アルバはパイをひっつかんだ。うかうかしてると、自分用までなくなってしまいそうな気がした。
一瞬、間が空いて。
「……もう、全部食べ終わってるかも」
にこっ。
チナは、眼鏡の向こうの目を細めた。作り甲斐があって、どうにもご機嫌のようだ。
チナは、シェフだった。
腕はよかったが、メンタルな部分で仕事を続けられなくなり、当時恋人だった運び屋のアルバを手伝い始めたのだ。
そして、アルバは――メシのうまい運び屋、なる肩書きを手に入れたのである。
そんな彼に、仕事の依頼が来た。アルバとチナの二人セットで指名が来た依頼だった。
風変わりで、破格で――危険な依頼。
残念ながらアルバは、その三つが大好物だった。
妻がいるのに、危険な仕事なんて。人は、そう非難するかもしれない。
だが、アルバの考え方は逆だった。
死ぬなら、絶対一緒に死んでやる!
だから、二人セットの仕事なら、どんな危険な仕事でも、逆に本望だったのだ。
ダメなエゴイストなのは、百も承知。だが、誰よりも幸せなつもりだった。
「……ありゃ、ヤバそうだな」
そんな、エゴ男のアルバは、お客について感想を口にした。
彼らが出港した港は、軍用だったのだ。軍港を使用できる民間人など、聞いたこともない。
しかも、最優先扱いだ。
物資の搬入も、出港も、どれもVIP待遇と言っていい。
そんな船に、乗り込んできたのは、一人。
いや、一人──だった。
※
初対面の時──男は、二つの大きなトランクをさげていた。
「私と妻を、あるところへ運んでほしい」
それが、依頼内容。
アルバは男を見た。
この世界、外見の年齢はアテにならない。ある程度の若さで、成長を止める手術をする人間が多いからだ。
アルバやチナも、羽振りのいい時にその手術を終えていた。
灰をかぶったような、黒と灰のまだらの髪。そして同じような、まだらの目。
女なら、差し詰めあだなは、『シンデレラ(灰っかぶり姫)』か。
だが、そのどんな重力にも負けないような、しっかりした首を、アルバは見ていた。そこまでゴツイ印象のない、涼しげな顔だが、首だけがいろいろなものを裏切っている。
依頼内容はこうだ。
三日後。
この星の港から、指定する船で彼ら夫婦を運び、仕事が終わるまで待機、そして再びこの星へ連れて戻る。その間、良質の食事を保障してほしい。
話だけ聞くと、食堂船に毛の生えたようなもの。
しかし、行き先が問題だった。ついこの間、アイヴィー野郎どもに、ぶっつぶされたばかりの星だったのだ。
ニュースの全てが、ヒステリックに伝えた、突然の襲撃。
これが最前線の星ならば、何も珍しくはない。だが、そこは防衛線のはるか内側の星だったのだ。
G.B.の盛んな、人気のある星だった。
G.B.とは学生の間で特に盛んな低重力下でのスポーツである。あっという間に人気が広がり、宇宙中で多くのファンを獲得した。プレイヤーが女性だけ、というのがまた、男たちに別の興味を持たせ、女たちに憧れを抱かせた。来期からプロリーグも開幕する予定だった。
アルバだって、暇なときは食い入るようにG.B.を見ていた。少女たちが、鞠のように空間を跳ね回って戦うのを見るのは爽快で痛快だった。
「何しに、いくんだ?」
詮索は百も承知で、男に聞いてみた。
だが、それは行きたくないという意味の質問ではない。彼だって、あの襲撃事件は、ハラワタが煮えくり返る思いをしたのだ。
ただ、そこへ行くということは、まっとうな仕事とは思えなかった。
「……掃除だ」
答えは、たった一言。
聞いた瞬間、アルバは大笑いしていた。ジョークでもとんでもないし、本当ならもっととんでもないからだ。
「掃除、ね……そいつはおもしろそうだ」
おかげで、アルバも冗談半分で、引き受ける気になった。
交渉成立、の瞬間だ。アルバは、ニヤっと笑って手を差し出した。しかし、男は両手にトランクを持っていて、応えられないことに気づく。
苦笑しながら、アルバは手を引っ込めた。
そして。
聞いた。
「で、奥さんはどこにいるんだ?」
※
「で、奥さんはどこにいるんだ?」
出港間際、船に乗り込んできた男に、アルバはもう一度、妻の居場所を聞いた。契約では、二人を移送するという話だったのに、彼が一人で乗り込んできたからだ。
横のチナが、アルバのシャツを引っ張った。
「あなた……奥さん、あの中にいるんじゃないかしら」
最初に会った時もさげていたトランクを、妻が指差す。
「ハハハッ、お前なぁ…どこの世界に、妻をトランクにいれる人間が……」
ナイスジョークだと、アルバは笑いながら妻の意見に、うっちゃりをかました。
なのに。
男は、黙ってトランクをテーブルに乗せる。
カチャガチャ。
そして、複雑な操作で、それを開けるのだ。
「お、おい…」
中から、バラバラ死体でも出てくるんじゃないかと、アルバは反射的に身を引く。
しっかり、チナも連れて下がったが。
開かれたトランクの蓋。
中では──少女(?)が眠っていた。
短い短い金の髪。
性別も分からないような細い身体。
少女、と解釈をしたのは、彼が「妻」という言葉を使ったからだ。そうでなければ、アルバはきっと少年だと思っただろう。
その身体が膝を抱えた形で、クッション剤に囲まれて綺麗にトランクにおさまっていたわけだ。
アルバの頭に、『屈葬』という単語がよぎったが、忘れることにした。
「もうすぐ起きる…何か食べ物を頼む」
トランクの中から、彼女をそっと抱き上げて出す。男と比べれば、本当にその少女は小さく感じた。
「こんなに可愛らしいなら、きっと甘いものが大好きね」
うふふ。
チナは微笑んだ。
彼女はすぐに、備え付けの厨房設備へ向かおうとした。
「ああ……それから」
男が、何かを付け足そうとした時。
チナが、くるっと振り返った。
「たーくさん用意するわね」
妻は──時々、人の心を読める気がする。
そう、アルバは思った。