女王の敵
少し、敵の話をしよう。
ジョウ達が戦っている相手は、IVというあだ名で呼ばれている。
正式名称「インヴィジブル」。その名の通り──「見えざる者」だった。
二十年前のある日、人間の入植していた星が、ひとつあっけなく全滅した。
当初、伝染病などが考えられ、無人探査機を送ったところ、明らかに攻撃の痕跡が全土に渡っていた。
しかし、人間以外の存在をあらゆる索敵を駆使しても、確認することは出来なかった。
その星を、足がかりに。
近くの入植星が、次々と同じ結果をたどり始める。だが、どうしても痕跡を見つけられない。
そこで、ようやく人間は気づいたのだ。
敵は、見えない何かなのだ、と。
人間の目は、光の反射でしか物が見えない。
ということは、光の屈折率が、人間の常識を超える存在がいたとしたら──それは、見えないのだ。
挙句、既存のあらゆるレーダーもセンサーも感知できない。
この宇宙時代に、ゴーストや神の怒りだと騒がれたが、ゴーストや神が爆撃をするものか──軍人は、誰よりも現実的だった。
科学者の尻を引っぱたき、リアリストたちは、見えざるものを見、感知するための装置の開発に着手した。
そして。
開発が、ようやく試用段階に入った頃。
人間の勢力は、当初の50%に落ちていた。半数の星が、アイヴィーどもに踏みにじられていたのだ。
その装置が出来るまで、撤退を続けていた人間は、ようやく装置の生産をラインに乗せ、反撃を開始したのである。
戦闘員は、みな目まで覆うヘルメットをかぶり、装置を介してアイヴィーや、その攻撃を感知するのだ。
間抜けな戦いだ。
ジョウは、アイヴィーとの戦闘をそう思っていた。傍目から見たら、人間は何もない空間と戦っているのだ。
これが、喜劇と言わずしてなんなのか。
そして。
どこまで反撃すれば、この戦争が終わるかなんて──誰にも分からなかった。相手があきらめて撤収するまで、戦うしかないのだ。
見えないものは、音も発しない。おそらく、音の概念も違うのだろう。
そこはまだ、装置が開発されていない。視覚の補助が、最優先だったからだ。
交渉も、終戦も、戦後処理も。
人間側には、現時点で何の手立てもないのだ。
防衛ラインを押し戻し、頼むから早くあきらめてくれと祈るしかない──喜劇の戦争。
そんな見えないものを撃墜して、ジョウは「撃墜女王」となった。
機体が感知して、自動でカウントしているのだが、ジョウにとっては笑い話と大差なかった。見えないのに倒した、なんて。
ただ。
間違いなく相手は存在していて、一歩間違えれば、喜劇がいとも簡単に悲劇にとって変わることだけは確かだった。
まあ、ありがたいのは。
ジョウは、時々それを思う。
撃墜したところで、一切の罪悪感など感じないところだ。
それと。
人間同士の争いが、なくなったこと。
外敵が現れ、人間の種そのものが危険にさらされた時、人とはこんなにも団結できるものなのか。
人間同士で争ってる暇がなくなった、と言った方が正しいか。その点だけは、人間はアイヴィーに感謝していいだろう。
陸戦と空戦が出るということは、今度の任務は、アイヴィーが占領た星に降下して、奪還に向けた足がかりを作ること。
電撃急襲のため、一番槍にもっとも適した実力者たちが選ばれている、ということか。
その道を通って、後から大部隊が入ってくる、という流れだろう。
「おーい」
向かいの席から呼びかけられて、ジョウはハッとした。
行儀悪く、フォークで人の料理を指すケイ。
「冷めるぞ」
彼の目が半開きなのは、ジョウの心がここになかったせいか。
「ああ」
答えて、自分の料理にフォークを突き刺しながらも、彼女は胸がいっぱいになっていくのを感じた。
ふぅ。
「なぁ」
料理を口元まで運べないまま、彼を呼んでみる。
「この後、時間あるなら、ちょっとあたしの部屋に寄らないか? あ、ドアの前まで、な」
変な誤解を受けないように、ジョウは最後の点をきっちり言葉にした。
彼は──変人だし軽いが、悪いやつではない。
そして、おそらく今日を境に、もう二度と会えない。
そんな男に。
自己満足だと分かっていても、何か渡したくなったのだ。
家族以外の、誰か一人にくらい──自分の生きた証を持っていてほしかった。
※
「ちょっと、そこで待っててくれ」
部屋の前。
そう言いおくと、ジョウは自室へと入った。
たいした持ち物はない。家族の写真が飾ってある以外は、本当に殺風景な部屋だ。
棚を開け、何か渡すにふさわしいものがないかと、急いで探す。
正装時用の化粧品、わずかのアクセサリー。
その中から、ケイはネックレスを引っ張り出した。
母親が、くれたもののひとつ。
細い鎖なので、男の首には似合わないだろうが、邪魔になるようなものではないから、受け取ってくれそうだ。
「待たせ……」
ドアを出て廊下に戻ると、ケイが男と話をしていた。
知り合いだろうか。
「あ、では、失礼します」
男は、ケイとジョウにスチャっと敬礼すると、去っていった。明らかなる、上官に対する態度だ。
だが、男の二人を見る目は「ジョウにとって、かゆくなるようなもの」を含んでいた気がした。
それを、首を震わせて振り払う。
「知り合いか?」
ジョウと同じ、パイロット所属の男だった。しかし、向こうはごく最近配属されたようなペーペーに近いはずだ。そんなほぼ新人と知り合い、というのも奇妙に思えた。
「……」
ケイは、言葉では答えず、苦笑で返した。
「あ、そうだ…これ」
右手に握ったものを、ジョウは突き出す。そこまできて、何という理由をつけるかを、忘れている自分に気づいた。男にネックレスを渡す、自然な理由が思いつかない。
「なんだ?」
大きな手を出すケイに、しまったなと思いながらも、握っているものを落とした。
シャリ。
落ちる、鎖。
それを目で追ったケイは、次に顔を上げて彼女を見る。
「あ、いや、別にたいした意味はないぜ……結構いいものみたいだから、気に入った女にでもやってくれよ」
準備の悪い自分の頭に悪態をつきながら、ジョウは笑ってごまかそうとした。
瞬間。
ジョウの右手は、掴まれていた。
え?
と思うまもなく、右手を軸に振り回されるように、ケイは反転していて。
目の前に、自室のドアがある状態だ。
そのまま。
握られた自分の右手が、操られるようにキーパッドに押し付けられる。
え!?
指紋を感知したパッドが、彼女の鼻先で、再びドアを開けた。
こんな不自然な、ドアの開け方をしたのは──生まれて初めてだ。
※
「おい!」
と、抗議しかけたジョウは、後ろから簡単に部屋の中に押し込まれた。まだ掴まれたままの右手が、今度は逆の向きの軸になった時。
ドアは──閉じた。
自分と、もう一人を飲み込んだまま。
狭く閉鎖された、しかし自分の部屋。
なのに。
たった一人、他人がいるだけで、何もかもが違うものに見えた。
当たり前みたいにあった物たちは、みんな息をひそめ、ぴりぴりした緊張感でジョウの頬を撫でる。
「な……に……してんだ」
上ずりそうになる声を、彼女はおさえようとした。
「オレね」
手を離しながらも、ケイの目は自分を射抜いている。
そこから、一歩も動かないように。
変人でヘラヘラした男が、大きな波の直前のように、ざぁっと引いたのが分かる。
「オレはね……遺品はもらわないよ」
瞳が、降りてくる。
優しさの引ききった瞳が。
「……っ!」
気づいたら。
唇を──貪られていた。
そうとしか、表現のしようがない。唇もその内側も、ケイは遠慮も容赦もなく貪り尽くす。
一体何が起きているのか。
その突然の豹変に、ジョウは動けずにいた。
だが、少なくとも彼女の行動が、この男の許されない何かを踏んだのは分かった。
嵐の間、ジョウはただ風雨に打たれるばかり。
だが。
ゆっくりと少しずつ。
ケイが冷静さを取り戻していくのが分かるほど、本当にゆっくりと、唇が優しいものに変わっていく。
それはそれで、ジョウを打ちのめした。
撫でるような、愛しむ口づけになってしまったからだ。
やめてくれ。
目頭が、熱くなる。
やめてくれ。優しくされたいわけじゃないんだ。
突き飛ばしたはずの手には──力が入っていなかった。逆に自分が、後方によろめいてしまう。
結果的には彼から離れられたが、ジョウは壁に背中を預けることとなった。
「それは……いらない」
震える首を、横に振って拒絶する。
「バカな女王だ……死神の方ばかり向いて」
なのに。
ケイは、目を細めて彼女を見ていた。
一歩。
近づいてくる。
もう、ジョウには壁しかないというのに。
そこに。
すぐそこに──立った。
自分以外の影が、自分を覆う。
「死神より……自分を見ろ。自分自身の命を」
大きな手が、ジョウの左胸に押し当てられる。
瞬間に、大きく跳ねた。自分の心臓が。
「まだ、死神が持っていくには……イキがいいぞ」
手のひらの鼓動を感じるように、ケイは目を伏せる。
そのまつげを見上げたら。
なお、ジョウの胸は足を速めた。
「大丈夫だ」
まぶたが、上がる。
「お前さんは…死なないよ」
薄く微笑みながら、彼は胸に置いた手を離した。
確かにあったぬくもりが、ジョウの命から離れていく。
あっと。
その温度の消失に、身体が震えそうになった。
ほんのわずかな、末端の温度に過ぎないそれは、ジョウに大きな喪失感を与えたのだ。
けれど。
手は、遠くまで行ってはしまわなかった。
彼女の頬に、場所を変えたのだ。
今度は──最初から優しい唇だった。