魔法使いの言葉、ネズミの言葉
チナの朝は──忙しい。
彼女より先に起き出しているアルバのところへ、最初にキスを届けにいくところから始めなければならない。
操縦室だ。
「おはよう、あなた」
「おはようさん」
憮然とした顔が返ってくるのは、昨夜のプァンスたちのことが原因だろうか。
夫は、チナより遥かに繊細だ。そう彼女は思っている。
いろいろなものを、気にしすぎるのだ。
夫への挨拶が終わると、厨房にこもる。
宇宙での調理の材料は、基本的にパウダーフーズである。あらゆるものを粉にして、それをブロック単位に固めてあるのだ。
長期保管、備蓄、そして量や種類を豊富に用意できる点から、優秀と言われている。
宙船のシェフは、それをいかにおいしく再構築するかが仕事だ。化結レンジを使えば、限りなくオリジナルに近い形に化学結合できる。
ふふふ。
チナは、化結レンジが魔法のように、分子結合していくのをドアごしに見るのが大好きだ。レンジに入れる前に、いろいろミックスするのも楽しい。
上手にミックスできれば、すみやかに、そして美しく一品完成する。出来上がるの結合を想定して、いかにおいしく作るかがシェフの腕の見せ所だった。
その魔法のレンジが、なんとここには四基も搭載されていた。船の規模を考えると、絶対に厨房設備だけは特注だと分かる。
乗り込んで最初に厨房の設備と、積み込まれるパウダーフーズの量と種類を見た時、チナは思った。
たくさん食べるのね、と。
ただ。
不思議なこともあった。
これと同じ光景を、いつか見た気がするのだ。
既視感と言えば、簡単に片付けられるようなこと。だが、それは一度だけのことではなかった。
船に乗り込んできた男に、アルバが「妻はどこか」と聞いた時、自然にトランクに目がいったのは、偶然ではないと思っている。
どうしてかしら。
次々と朝食を完成させながら、チナはぼんやりと思った。
私、プァンスを知ってるみたい。
「ごーはーんー」
聞こえてきた大きな声に、くすっとチナは笑った。
王子様のお目覚めのようだ。
さっそく出来た分から、テーブルの方へと運ぶ。
「おはよう、プァンス。サンド」
最初のお皿は、全部プァンスの前。
「おは…もごっ…んぐっ」
挨拶も途中で、少女は食べ物を口の中に押し込み始めた。そんな彼女を、じっとサンドが見ている。
表情は変わらないが、愛しい匂いのする横顔だ。複雑な理由があるのだろうが、信頼と愛と絶望が、チナには見えていた。
アルバがこれを聞いたら、「ちょっと待て、最後のはなんだ!」とツッコんできそうだ。
そう考えると、ますますおかしくなる。そんなツッコミをされても、そう感じるとしか言いようがなかった。
ただ。
プァンスは、王子様だ。王子様の仕事は、お姫様を絶望から救い上げて、幸せな結末へ連れて行くこと。
だから、いま絶望のマントがひるがえっていても、チナは全然気にしていなかった。
※
食事が中盤まで進んだら、サンドの分も並べていく。彼に近づくと、不思議な香りを感じて、チナはすぅっと息を吸う。
それが何の匂いか、少し気になる。香水というより、本当に微かな微かな体臭といったほうがいいか。
アルバの耳と目が最高なら、チナは鼻と舌が最高なのだ。
なんだろう。
舐めてみたいなぁ。
人の旦那を捕まえて、チナはすごいことを考えていた。自分の本能に従うとするのなら、それは──おいしそうな匂い、に通じているのだ。
「なに? サンドがどうかしたの?」
口の周りをいっぱい汚したプァンスが、チナを見ている。彼女に、食事をやめさせてしまったようだ。
「んー…すごいおいしそうな匂いがするの」
なにかしらー。
チナは、素直に言葉にした。別に、隠すことでもなかったのだ。
それに、プァンスが「ああ」という顔をした。
「あったりまえだよ、サンドもあたしのご飯だもん」
あっけらかーんと、彼女がそれを説明してくれる。
「なるほど~…それでおいしそうなのねぇ」
謎が解けて、チナは手を打ちながら厨房へと戻ったのだった。
すっきりしたわー。
※
「待て、チナ」
操縦席に座ったままのアルバにご飯を届けにきたら、引き止められた。
「なぁに、あなた?」
食べているところを、眺めててもいいのかしら。うふふっと微笑みながら、チナは副操縦席に座った。
「いま、なんつった?」
肉にフォークを突き立てながらも、夫の目は彼女に釘付けだ。
「いま? って…ええと」
何か、気軽な雑談をしていた気がするが、気軽過ぎてすぐに思い出せない。
「いま、『私、あの人たちと会ったことあるかも』って、言ったよな」
夫に復唱されて、ようやくつながった。そうそう、そういう雑談をしていたのだ。
「ええ、そんな気がするわ……だって、いろいろ知ってる気がするもの」
彼らを感じたり、話を聞くごとに、チナの隙間のパズルが埋まっていく気がするのだ。
レンジ4基の厨房、トランクの少女、サンドリヨン、雷のお菓子。
難しい顔をしているアルバは、どうもそれを歓迎していない気がした。
「でも…会ったのは夢の中かもしれないわよ」
うふふっと、チナは笑った。
子供の頃から、チナは不思議な感覚といっぱい出会ってきたので、もしそうだったとしても、まったく問題はない。
それに、どんな不可解なことがあっても、アルバは絶対にチナを離したりしないと知っている。その感覚は、彼女をどれほど幸せにしたことだろう。
「いま、軍のラインから、ちょいちょい情報を抜いてるんだが…」
アルバは、計器に目をやった。
そういえば。
この船が軍港から出るとき、ラインを一本、軍とつないでおくとかなんとか、サンドとアルバが話していたような。
まだ、彼らの正体(?)に、アルバは興味があるのだろうか。道理で、今日はここにずっと閉じこもっているはずだ。
探偵ごっこを、しているのだろう。
彼らの正体なら、プァンスとサンドリヨンと、ちゃんと教えてあげたのにと、チナは首を傾げながら考えていた。
「オレの推理が確かなら…」
肉をかみちぎる、ワイルドな歯。うっとりと、チナがその食べっぷりにみとれようとした時。
「多分…あいつらは…『パペット』だ」
食べ物を口に入れながら、夫はそう言った。
パペット。
チナは、頭の中でその言葉を繰り返してみた。
しっくりこない。
「変な名前ね……でも、プァンスとサンドでいいんじゃない? 気に入ってくれてるみたいだし」
チナは、首を傾げながら意見を言ってみた。
「そうっ……じゃねぇぇぇ!」
肉を噛みながら、髪をかきむしるアルバ。
食事中に、髪を触るのはちょっと。
そう言いかけたが、聞いてくれる状態ではないようだ。
うーん。
チナは、困ってしまった。
彼らがパペットであるという事実が、どうにもアルバをいじめている。
「あのプァンスが、あのパペットなんだぞ!」
そう言われた瞬間。
あ。
チナの頭の中に、パズルがまたひとつはめこまれた。
これと、まったく同じやりとりを、したことがあったのだ。
しかも。
アルバと。
チナは嬉しくなった。
この、既視感は自分一人のものでも、夢のものでもないと分かったからだ。
「あなた、あなた!」
チナは嬉しくなって、夫に抱きついた。
ガシャンガシャンと、彼の持つ皿の上でフォークが踊って激しい音を立てたが、上手に落とさないでいてくれる。さすがは、彼女の夫である。
「わっ、たっ! なんだ、チナ!」
突然の感激の抱擁に、アルバはびっくりしている。
「あなたもよ、アルバ。あなたも、プァンスとサンドを知ってるのよ!」
チナが、彼らに会ったことがあるのではない。
二人で会ったのだ。
「だから、パペットだって言ってんだろ」
しかし。
アルバは、まったく見当はずれなことを、最後まで言い続けたのだった。




