女王と旅の男
「お前さんが主役だろ?」
バーの隅っこで、一人グラスを傾けている女に、彼は声をかけた。
派手なオレンジの短い髪に、きりりとした眉、大き目の唇。どこをどう見ても、気の強そうな女だ。
「あ? いいんだよ…あいつら、人を肴に酒が飲みたいだけなんだから」
しかし、その気の強さもナリを潜めたように、彼女はため息をついた。
視線の先には、同じ服装のメンツ。といっても、ここは宙母の中なので、ほとんどが同じ軍服の人間なのだが。
「明日死ぬかもしれないってのに…気楽なもんだぜ」
想像より、醒めた雰囲気の声。
「撃墜王…いや、撃墜女王の肩書きをもらったのに…全然めでたくなさそうだな」
隣の席に勝手に座りながら、女王の憂鬱に片足をかける。
すると。
まるで、変な生き物を見るような目で、こっちを見た。勝手に座ったことに対してか、はたまた聞いた言葉にか。
「めでたいわけないだろ…変な伝説勝手に作られて、激戦区に送り出されるんだぞ。生きて帰ったら、次はもっとすごい激戦区だ」
年は二十歳すぎくらい。
しかし、いつからその年齢なのかは分からない。おそらく、肉体年齢のベストで成長を止められているはずだ。
軍人に限らず、金さえ積めば簡単な手術で終わる。優秀な軍人については、軍が全て手配してくれるのだ。そして彼女は、申し分のない、十分優秀な軍人だった。
累積撃墜数103。
そして、彼女は「撃墜王」の称号を手に入れた。
「何で軍人になったんだ?」
そんな自分の栄誉を、まったくもって面倒そうに扱う彼女に──少し興味を覚えた。
これまで見た撃墜王たちと、随分毛色が違う。性別を除くとしても。
「なりたくてなってねぇよ。高等学科卒業する時に、行くあての決まってない人間は、無条件で軍に放り込まれたんだよ…あたしらの時代は」
ガンっと、彼女はグラスを机に置いた。
音より、彼は反射的に年齢を考えていた。その悪法が、実際に施行されたのは、たった二年間。人権派がしゃしゃり出てきて、すぐに廃案にされてしまったのだ。
廃案にされたのは、いまから三年前のことだった。
となると。
せいぜい23歳。ほぼ、見た目どおりの年齢、ということになる。
入隊して、約5年で撃墜王か。
それは、軍が宣伝に使いたがるはずだ。
納得して、苦笑した。本人は、それを全部ご存知なのだ。はすっぱなしゃべり方をするが、人間としての頭はいいようである。
「ところでさ…」
彼女の目が、うさんくさいもの見る目に変わった。焦点を合わせるかのように、少し目を細める。
「あんた……誰?」
傑作な質問に、つい大声で笑ってしまった。
「すまん…お前さんが疑問に思う通り、単なる通りすがりだ…ここに撃墜女王がいるって聞いてね」
笑いをおさえようとしながら、何とかそう言う。
この宙母を、ベースにする人間ではない。ヤボ用で立ち寄っただけだ。
「ああ、そうなんだ…だから何にも知らねーんだな」
だが、見ず知らずの人間だと分かったら、逆に彼女はほっとしたように見えた。
「現場を知ってる人間なら、逆にあたしには近づいてこねぇもんな」
ぼそぼそっと。
暗く沈む、風貌に似合わない声。
そういえば。
彼女の称号の祝いなのに、騒いでいる連中は全然彼女に近づいてこない。同じ部署だからこそ、こうして席は設けるが、そこには確かに微妙な距離感があった。
なるほどね。
彼は、「それ」を理解した。
「怖くないよ」
にこっと。
彼女に笑って見せたら──目をひんむかれた。
※
「変人変人変人」
背後から、三度早口でまくしたてられて、彼は笑った。そんなことを言いながらも、彼女はついてきている。
飲み直そうと誘ったら、少し考えた後に「いいぜ」と答えたのだ。
多分。
言葉通り、彼が変人であるから、ついてくる気になったのだろう。常識人の中では、彼女はとても窮屈そうだったから。
「名前!」
先を歩く彼に、すぱっと一言飛んでくる。
「ん?」
振り返ると。
「あんたの名前は?」
名無しのままでは、落ち着かないのか。
どうでもいいのに。
彼は笑った。
「ケイでいいよ」
略称で答える。名前なんて、いろいろ邪魔なことが多い。
「女みてぇだな」
素直すぎる感想に、笑ってしまう。
「そういえば、女王の名前も、オレは知らないな」
すると。
彼女は、また目をむいた。それもそうだろう。この宙母では、彼女は有名人なのだから、今更誰かに名前を聞かれるなんて、思ってもみなかったに違いない。
「あ…あー…あー」
言いづらそうに、彼女が言葉をつかえさせる。
「…ジョウ」
何度も何度もうなって、ようやく最後に出てきた言葉。
なるほど。
言いたくないわけだ。
「いま……男みたいだって思っただろ」
即座に、ぎろっと睨まれる。
「めっそうもない」
そう否定したのに──パンチがとんできた。
※
「あんた、ここに何しに来たんだ?」
二軒目のバーのカウンターで、ジョウは聞いてくる。
ジョウ=ヒロイ。
通りすがりの上官らしき人間に、ヒロイ少尉と呼びかけられたのだ。
「ヤボ用だよ……大したことじゃない」
ごまかすワケでも何でもない。本当に、言葉通りだ。
「あんたも軍人だろ? 一般人が、ヤボ用で来られるところじゃないぞ」
ツッコミは、正確だった。
ここは、半要塞化した宙母。軍事、居住のスペース以外に、歓楽街まである。
宙母自身は、通常移動力が最低で、頑丈さをウリにしている。主にワープによる、艦隊の移送と拠点が中心だ。だが、どう言おうとも立派な軍事船なわけで、ジョウの言うとおり、許可のない一般人は入ることは不可能。
「詮索好きだなあ、女王は……」
うーんと唸ると、ジョウの方が戸惑った顔をした。
ケイの言葉が、ショックだったようだ。
ん?
そんなにひどい言葉は言ってないよなと、彼は首を傾げた。
「せ…詮索なんかする気はねぇよ……ちょっと気になっただけだ」
ふいっと、向こうを向いてしまう。
なるほど。
なんとなく、分かった気がする。
詮索、という言葉がいやだったのか。あまり、人に関わらないようにしてきたのだろう。
関わるには、戦時という環境は辛すぎる。知ったって、明日死ぬかもしれない。
その感情に、ケイは見覚えがあった。
「墓参りだよ…ちょうど、近くにこいつが来てるって聞いてな」
宙母には――墓地もあるのだ。ここを母船として死んだ軍人は、情報チップとして墓地に弔われるのだ。
遺族に一つ、宙母に一つ。ケイにとっては友人なので、墓参りをするには、どちらかを訪ねなければならないのだ。
「あー…むかつく墓だけど、墓参りって気持ちは分かるよ」
正直な唇。
情報チップの墓では、望めば死人と話が出来る。追加書き込みはされないので、呼び出す度に向こうにとっては初めての墓参りになるが。ただそれは、あくまでも生前の彼の人格のコピーに過ぎない。
だが、ケイは友人を呼び出さなかった。ただ、金属の小さなチップを眺めて、こっそり持ち込んだ酒を飲んだだけ。
「死とは死であるべきだ…か」
チップの開発者の言葉だ。チップだけではない。現在では当たり前のように行われる、肉体年齢を止める手術の原理を発見した人間でもあった。長年に渡って開発したにも関わらず、その技術が死の概念を覆すことに使われるのを望まなかったのだ。
「痛い死こそ…本物だろ? あたしは、チップなんかでごまかされたくねぇ」
何かを思い出したように、ジョウはグラスを持つ指を震わせる。
ぽんと、その背中を叩いた。
ごまかさない女だ。
まっすぐさは、美徳だが――それは平時の話。だから、自分が折れてしまわないように、敵を落とし、人を遠ざける。敵を落とせば、味方の犠牲が減る。減れば、周囲の人の死が、彼女を痛め付けない。
なるべくして。
彼女は、なるべくして――撃墜女王になったのだ。
「お前さん…いい女だな」
だから、ケイは素直に評価した。
瞬間。
警戒の目を向けられる。
「な……何が目的だ?」
その目と言葉の、余りの歪みっぷりに。
「ぶっははははは!」
思い切り、笑い伏してしまった。