プロローグ1
その日、人間界の上位世界にある天界は混乱に襲われていた。
「時空壁、急速に消失していきます!」
「修復、間に合いません!張りなおした先から周りの『穴』に飲み込まれていきます!」
「なんとしてでも食い止めろ!そうでなければ人間界と繋がってしまうぞ。そうすればもう終わりだ!」
その様子はまさに阿鼻叫喚。悲壮な報告が空間を駆け抜け、怒号が空気を揺らす。それらを発する人は全員が脂汗を流していた。少しでもここで気を抜けばそれでおしまい。もう後はないという気持ちが彼らの現在の行動理由であり、原動力だった。
「神よ、このままでは…」
頭に人間が言うところの天使の輪、背中には純白の一対の翼を持った、いわゆる『天使』という存在が、天界を統べる神に報告とも嘆きともとれる言葉を発した。本人の心情を現しているのだろうか、その羽は通常なら凛と引き締まっているのだが、今は触れればそのまま折れてしまいそうなほど弱弱しくなっている。
「分かっておる。そう心配するな。そのためのワシという存在だ。」
天使に神と呼ばれたその存在―白髪で真っ白なひげを生やし、これまた真っ白なローブを着た老人―が落ち着いた様子で部下の天使に声をかける。その万人が見れば全員が神とわかるような威厳を発した老人はゆっくりと立ち上がり、その場にいる他の天使たちに呼びかける。手を止めてはすべてが終わってしまう状況であるから顔こそろくにむけられないが、その場にいる全員が老人に注目していることは明白であった。
「これよりワシの力で『穴』を閉じる。全員、備えよ!」
そう言うやいなや、神と呼ばれた老人が一目でそれとわかる神聖なオーラをはなった。先ほどから『穴』を塞ぐために使われていたエネルギーとは比べ物にならないそれは、部下の天使たちがどうあがいても塞ぐことができなかった『穴』をみるみるうちに塞ぎ始めた。
「おお!『穴』が!」
「すばらしい!やはり神は偉大な存在であられた!」
ほんの数分前とは違い、歓喜がその空間を包む。これで全てが終わる。最悪の事態は防がれたのだという思いがその場にいる全員の心に沸き起こった。
そうしている間にも、『穴』はふさがり、このまますべてが終わるかと思った。しかし、
「くっ…初めに空いた部分の修復が思うようにいかん。やはり一番長く人間界に触れていたせいか、歪みが…。」
「神よ、がんばってください。我ら全員が支えます。
全員、神の支援に当たれ。神がここまでやってくださっているのだ。我らも力とならんでどうする!」
その声でその場にいた全員がそれぞれの役割を果たすために真剣な表情に戻る。あるものは力の効率化を、またあるものは神の力の余波で再び壁が壊れないように調整を。
とにかく全員がそれぞれに出来うる限りの力で神を支えた。だが、現実は無情だった。
「だめです!閉じきる前に巻き込まれる人間がいます!このままじゃ…」
「いかん、急げ!人間が巻き込まれたら時空の狭間へ行ってしまう。なんとしてでも防ぐのだ!」
神の傍らに立つ天使が怒号でその声に答える。それでも、結果は変わらない。
「だめです!巻き込まれました!」
「急いで保護しろ!早くしないと存在自体が消え去ってしまう!」
迅速な対応のおかげか、すぐに巻き込まれたという人間は保護空間に囲まれ、存在の消滅は避けられた。皮肉なのは、巻き込まれた直後に『穴』がふさがったことだろうか。
「ふむ…巻き込んでしまったのう…。可哀想なことをした。早急に彼の人間にわびねばならん。」
神の落ち着いた、しかしどこか悲しげな声がすべてが終わったその空間に響いた。だれも神のその発言に異を唱えるものはいなかった。
「そうですね…せめてその人間のその後を私たちが責任を持って償い、埋め合わせをしなければなりませんね…。できるだけその人間の要望を叶えることにしてはいかがでしょう。」
「そうじゃな。それが一番かもしれん。」
「ではそのように。おい!デリル!貴様にはその身を以ってしっかりと責任を取ってもらうぞ!」
神の傍らに立っていた天使がそういうと、デリルと呼ばれたその天使は、ビクッ!と身体を震わせ、青白い顔をしたままその顔を絶望にゆがめた。
こうして、一人の人間が人間界から消えた。