国王時代5
その部屋にいたのは一人の老女だった。
一瞬、見間違ったかと思ったほどに年老いた老女しかいなかった。
それがレイフェルと呼ばれる女神だと分かったのは、右手に持った聖剣が伝えてくる気配のおかげだった。それがなければ、女神がこの部屋にいると知っていても、それが女神だとは認識できなかったに違いない。
扉を破って部屋に踏み込んできた俺の様子に驚く事もなく、怯える事もなく、嫌悪を抱く事すらなく、老女は静かに微笑んでいた。
「おまえが女神、か?」
剣を突きつけながら、しかしため込んできた憎悪の爆発を抑えながら、歩を進める俺が訊く。
しかし、老女はそれに答える事はなかった。代わりに、
「やはり、こうなりましたか」
俺の方を見てはいるが、俺自身を決して見てはいないまま、そう呟く。
「……やはりとはどういうことだ?」
老女の元までの数歩の距離を詰め、老女に触れるか否かの寸前のところで突きつけた剣を止め、俺は訊く。
答えが得られるとは……期待しない方がいいだろう。
だが、老女は……女神は言葉を紡ぎ続ける。
「あの時、彼女の横やりさえ入っていなければ……。いえ、いずれにしても私にはもはや時間は残っていない。ならば、ああすることだけが唯一の方法……。例えそれが分の悪い賭だったとしても、静かに滅びを待つよりは……」
正直、老女が呟き続ける言葉は、すぐに理解できる物は殆ど無かった。しかし、それでもいくつかの事だけは理解できた。
例えば、目の前にいる女神はもう、長くはないらしいという事。神に終わりというモノがあるなどと想像した事はなかった。いや、神々同士での争いや俺が持っているドットムートの事を考えれば、終わりがある事自体は理解できる。ただ、自然死があると思っていなかった。
そして、終わりが、死が近づいたから、ブルードを唆し、あのような事をやらせたのだと。
ならば、それでいい。
やはり、この女神が俺の復讐の対象の一つであるなら、それでいい。
その女神はまだ何事かを呟き続けていたが、もうそれに耳を貸す必要はない。
小さな疑問など、押し流して、
俺は剣を大きく引き、
そして、憎悪を叩き付けるように、老女の胸を貫いた。
何の抵抗もなく、聖剣はその胸に吸い込まれていく。
女神は何の感慨もなく、それを見つめている。
そして、静かに目を閉じた。
俺は聖剣から莫大な力が老女の身体へと流れ込んでいくのを感じていた。しかしそれは急速に途絶え……老女の身体から、何かの――女神の気配が消え去るのを、聖剣が確かに感じていた。
それと同時に、グランス皇国を包み込んでいた何かも、揺らぐように消えていく。
ある事すら俺が気づいていなかったそれは、あるいは神の加護というヤツなのだろうか。
セレメンティー王国にもあるのかも知れない。
そんな事を考えながら、俺は老女の身体から静かに聖剣を抜こうとして、気づいた。
それが、あの時見た短剣へと戻っている事に。
つまり、これが生け贄を捧げられて得た力を全て失った状態なのだろう。
そうなると……いくらかの計画の修正が必要になりそうだった。
だが、そのことは後で考える事にする。
まずは女神が取り憑いていた――と考えた方が良さそうだ――老女の死体を、部屋に備えられていたベッドに運び、横たえる。
そして、塔を出た俺は、待っていた兵士達にここでの目的を果たした事を告げ、他の王族の捕縛、あるいは殺戮へと向かう。
その日、人知れず君臨し続けていた女神の加護を失い、グランス皇国は確かに滅んだ。
後から合流したホルステッドに聞いたところ、俺が女神を殺した頃に、彼らもまた王を追い詰めていたらしい。当然のように激しい抵抗を見せていた王だったが、急に一切の気力を失ったように動きを止めたという。何かの罠かと考え、警戒してすぐには動けなかった将軍だったが、あまりにも相手が動かない事に業を煮やし、部下に確認させたところ、既に事切れていたらしい。
他の王族も、直系やあるいは血が近い者はことごとく謎の死を遂げたらしく、そのことを知ったグランス皇国軍は、あっさりと戦意をなくしてしまった。
俺としてはこの国の領土が欲しかった訳でもないが、そのまま放置しておくと治安の問題が起きそうだった事もあり、ホルステッドに暫定統治を命じた。
俺は生き残っていたうちの半分の部下を率い、すぐにセレメンティー王国へと帰還。宰相に命じ、グランス皇国の統治に必要な人材を派遣させた。




