国王時代4
どれほどの時間、俺は呆然としていたのだろうか。
絨毯の上にはいくつものシミが出来ていた。
俺は部屋に備え付けられていたタオルで顔を拭くと、セシルが着ていた服をクローゼットの奥へと隠すように押し込む。
聖剣を片手に、屋敷を後にする。……屋敷の者たちには、セシルは王宮に連れて帰る事にしたと、先に馬車に乗せたのだと告げておいた。幸い、既に夜も遅い。屋敷の者たちも大半が寝静まっており、セシルの姿を見た者がいなかった事については、多少首をかしげられるだけで済んだ。
王宮に戻った俺は、すぐに侍従長を呼ばせる。
「はい、何かご用でしょうか」
深夜に叩き起こされたにも関わらず、不満げな様子を見せずにやってきた侍従長に、
「ローディを明日の早朝から拘束しろ。ただし、乱暴には扱うな。2週間経ったら、グラスティ公爵邸に戻せ」
こんな異常な命令の理由は訊かない方がいいと判断したのだろう。
「かしこまりました」
侍従長はそれだけ言うと、すぐに部屋から下がっていった。
それを見送り、部屋付きの侍従の何か言いたげな様子は無視して、城を出る準備をさせる。
グラスティ公爵邸の使用人達が何かに気づいて、余計な事をしでかしてくれる前に、計画を進めなくてはならない。そのためにも、明日の朝には国境の砦に着いておきたかった。
質素な服に着替えると、聖剣を持ち、厩舎へと向かう。
残っていた中から適当な馬を選び出し、城の裏門へと向かうと、そこには宰相が待っていた。
「ご武運を」
それ以上言うべき言葉を持たなかった宰相に、俺は頷きを一つ返し、砦へと馬を走らせた。
王都から砦までは100km以上ある。当然、そんな距離を走り続ける事が出来る馬などいない。だが、この日のために、王宮から砦までの途中の宿場にはそれぞれ馬を用意しておいた。
その甲斐あって、途中何度か馬を交換しながらも、よく朝早くには砦に着いた。
予定より少し遅れたものの、砦の城門を警備していた兵士に、先に来ているはずの将軍ホルステッドへの取り次ぎを頼むと、数分と経たずに将軍はやってきた。
すぐに将軍の部屋へと場所を移し、状況の確認を行う。
「予定通り、囮部隊はグランス皇国へと侵攻しました。皇国軍の食いつきも予想通りです」
そう報告してくる将軍に、
「どの程度食いついた?」
「国境付近の皇国軍は最低限の警備を残し、ほぼそちらへ向かったとの事です。他の皇国軍は断定は出来ませんが、ある程度は動いた形跡があるとの事です」
その報告を聞き、俺はしばし考える。
すぐに砦を発つべきか、もう一日くらい様子を見るべきか……
いや、考えるまでも無いだろう。
「昼頃に砦を出る事にする。準備は終わっているな?」
「はい」
「俺はそれまで一眠りする。俺の使う鎧と剣も用意しておいてくれ」「はい」
将軍がそう返事をするのも待たず、俺は部屋にあったソファに身体を埋めた。
それに驚いた将軍が、
「へ、陛下。ベッドなら用意されていますので、お休みになられるのでしたらそちらに……」
「構わない。それに、ここの方が便利そうだ。……後でいいから毛布だけ持ってきてくれればそれでいい」
俺はそう言うと、速やかに悪夢の世界へと旅立った。見る夢が悪夢だと分かっていても、今は寝る必要があった。
案の定、悪夢に苛まれ、十分に休む事が出来なかった俺は、それでも予定通り、昼頃にはグランス皇国の皇都まで一気に攻め込むための精鋭部隊を引き連れ、砦を出た。
囮が功を奏したのか、薄くなった皇国側の防衛戦の隙間をかいくぐり、出来る限り森の中を移動しながら、ひたすらに皇都を目指す。国境から皇都までは120km以上。馬を走らせ続けれることができれば2時間ほどで着く計算だが、それで馬がへばったり脱落する兵士が増えては意味がない。
幸い、通常なら千単位で部隊を動かすはずなのだが、今回は200人に満たない小規模な編成という事もあり、皇国軍の索敵にかかる事もなく、皇都ゼフィロスに辿り着いた。
「意外に呆気なくここまで来れましたね」
この森を出れば、皇都までは目と鼻の先である。そんな場所で、俺と将軍は部隊の疲れを取らせるべく、休憩を取っていた。
「少人数だったからな」
将軍に対し、俺は短くそう答える。
少人数故の利点は、敵に発見されにくくなる事だけではない。移動する速さもだ。まともに軍を率いてここまで来ていれば、戦闘がなかったとしても、一週間近くかかっていたはずだ。
時刻は夕方も近い。太陽も随分と傾いてしまっていた。
暗くなってしまうと、地の利をもつ相手をさらに有利にしてしまう。
馬も兵士も最低限の休憩を取れたと判断した俺は、
「行くぞ」
進軍を命じた。
さすがに、皇都近くで身を隠す場所もない部隊はすぐに発見された。
ただ、それでもあまりの規模の小ささに、相手も本当に敵軍なのかどうか判断に迷ったのだろう。皇都を取り囲む城壁の上から敵襲を知らせるラッパが鳴ったのは、俺達が城門まであと1kmと迫ってからの事だった。
敵襲を告げるラッパが鳴ると、すぐさま城門が降り始める。
先頭を馬で駆けている俺や将軍、他十数名の兵士達は城門が降りきる前に中に駆け込めそうだったが、勿論そんな事はしない。たかだか十数人ではいくら何でも多勢に無勢であっという間にやられてしまう。
城門の手前で一度止まり、馬に乗った兵士達が全員追いついてくるのを待って、俺は馬から下りた。
周囲を兵士達に固めさせ、城門の前に立つ。
手には聖剣ドットムート。
それを静かに構え、そして幾度か振るう。それだけだった。
俺が馬に跨る頃には、地響きのような音が周囲に鳴り響き始めていた。
それはすぐにばらばらに切り裂かれ、残骸として地面に転がっているだけとなった元城門の鉄塊という結果で現れる。
「このまま一気に攻め落とすぞ!!!」
手に持った聖剣を大きく掲げ、俺はそう号令を発した。
俺に付き従ってきていた兵士達は、あまりの光景に言葉を失っていたが、予め心の準備はしておくようにと言い聞かされていた事もあり、俺の号令ですぐに我を取り戻す。そして、鬨の声を上げる時間も惜しいかのように、皇都へとなだれ込んでいった。
一方、皇都の防衛兵達は、鉄壁の守りであるはずの城門がいとも簡単に破られたその光景に、未だ理解が追いついていなかった。敵である俺の号令を聞いて、何とかのろのろと動き始めたものの、そんな状態では俺達の侵入を食い止める役には立たない。
俺達は皇都の城門から続く道を、邪魔者もなく一気に駆け抜ける。
通りを歩いていた平民達が、蜘蛛の子を散らすように逃げていくだけで、立ち向かおうとする者など誰一人としていなかった。
予想通り、俺達が近くまで来ている事を察知できていなかった上に、あまりにも城門が早く破られてしまったため、まだ皇国軍は動き始めてすらいないのだろう。
さもなくば、城の中まで誘い込んで討ち取ろうという……罠かも知れない。
だが、気にする暇はない。
罠なら時間をかけて城に踏み込もうが、今すぐ踏み込もうが大差ないだろうし、罠でないなら余計な時間を皇国側に与える事は、自分たちの首を絞める結果にしかならない。
瞬く間に皇城の城門に辿り着いた俺達は、皇都の防壁にあった城門と同じように、皇城のそれもばらばらに切り裂き、一気に城へとなだれ込んだ。
目標は2つ。王と女神だ。
将軍達に女神の事は教えていない。しかし、王は傀儡に過ぎず、王族の誰かが王を操っている可能性を予め伝えてある。だからこそ王族は一人たりとも逃さないとも言ってあるので、問題はないだろう。
予め手に入れておいた皇城の見取り図に従い、謁見の間までは馬に乗ったまま突入する。
流石に皇城の中ともなると、近衛兵や警備に付いていた兵士達がぞろぞろ出てくるが、こちらも伊達に精鋭だけを選りすぐって連れてきたわけではない。
謁見の間に着く頃でもまだ、部下の人数は多少減っていたものの、ほとんどが大した怪我もなくついてきていた。
「やはり、ここにはいませんね」
まあ、攻め込まれているというのに呑気に謁見の間にいるようでは、危機感が欠如しているとしか言えないだろう。
「王を仕留めるのは任せた。俺は王を傀儡にしてる輩の元に向かう」
将軍が頷くのを確認すると、兵の半数を引き連れ、俺は皇城の東に聳えている塔へと向かった。皇太后はそこにいるらしいと、密偵達から報告が上がっていたからだ。
途中、どこからとも無くうようよ湧いて出る敵兵達を切り倒しながら、塔にはすぐに着いた。
女神がいるのかどうか……それは手にしていた聖剣が教えてくれた。俺の敵意に、殺気に呼応したのか、塔の中の女神の気配を確実に伝えてくる。
ならば、ここから先は人の領域ではない。
女神と神殺しの領域だ。
「おまえ達はここを死守しろ。すぐに戻る」
俺の正体を知っている兵士達は、その命令に動揺し拒絶する。だが、重ねて命令すると何とか首を縦に振った。
幸い、塔の中に兵士がいる気配はない。
塔の扉を切り裂いて中に入ると、そのまま聖剣が伝えてくる気配をたどって、階段を駆け上がった。
一歩一歩、女神の命を奪える事に、復讐を1つ遂げられる事に歓喜を覚え、時間を無駄にする事はしない。
そんな事をしている間に、女神に逃げられては意味がないではないか。
あっという間に最上階に達した俺は、女神の気配が色濃く感じられる部屋の扉を両断し、中へと足を踏み入れた。




