国王時代3
セシルが無事に出産を終え、俺の計画はいよいよ大きく動き出そうとしていた。
宰相や将軍達と何度も秘密裏に話し合いを行い、グランス皇国への侵攻作戦の手順を確認する。
作戦の概要はこうだ。
まずは、いくつかの部隊を小分けにして、国境付近に移動させる。この動きはグランス皇国側には知られてはならないので、国内にいる密偵は全員の所在を既に把握しており、こちらの買収に応じなかった密偵については、行動に移る前に全て処分する。
次にグランス皇国に侵攻する部隊を国境の砦にまで移動させる。これは国境付近の防衛部隊の入れ替えが近々ある予定になっているので、侵攻部隊を次の防衛部隊に偽装して送り込むことになっている。
これだけならば、外見上は定期的に行われている事なので、皇国を必要以上に刺激する事もない。というか、既にそれに対する皇国側の反応はほとんど見られないくらいに、皇国側も慣れてしまっている。
実際には侵攻部隊は防衛の任務に就くことはない。砦で十分な補給を受けた後、王都に戻るそれまでの防衛部隊の振りをして国境の砦を離れ、一気にグランス皇国へと侵攻する。
その少し前に、予め砦から離れた国境付近に潜ませておいた部隊を持って、皇国へと侵攻。これは完全に囮なので、皇国軍の主力をある程度引きつけたら、さっさと撤退する手筈になっている。
そうして、砦から出立した本命の侵攻軍は、高い機動力を持って一気にグランス皇国の皇都ゼフィロスに攻め入る。
皇国軍が打って出てきた場合は、俺を含めた一部の精鋭部隊が敵兵力を回り込む形で皇城に侵入。主要な王族の首を落とす。籠城を選んだ場合には、侵攻部隊の全兵力を持って皇城に突入。後は同じだ。
勿論、この案は最後の皇城に侵入する……という段階で無理があると指摘された。城門を破るのにはそれなりの兵力と時間が必要だというわけだ。
だが、非常識な切れ味を誇る聖剣ドットムートの前ではその常識は通じない。城門だろうが城壁だろうが、斬って入り口を作ってしまえばいい。
実際に城の中庭で切れ味を実演して見せた後は、将軍達も納得するしかなかった。残った問題は、俺自身が直接行かざるを得ないという点だが……聖剣の加護があるだのなんだのと無理矢理納得させた気がする。
ちなみに、作戦の概要は女神セラスティアも承知している。グランス皇国での大量虐殺を望んでいるような発言もあったが、王族を処刑し、国民を改宗させれば済む話だと納得して貰った。セラスティアとしても、民を失い惨めに彷徨う女神レイフェルという図はそれなりに気に入ったらしく、意外と簡単だった。
そして、今日。グランス皇国への侵攻作戦の開始を命じてから一ヶ月。
俺は、ある事を為すために、ここに来ていた。
グラスティ公爵邸。
ここで、それを為せば、完全に後戻りは出来なくなる。
そのつもりで今までやってきたはずだし、何度も何度もその光景を頭の中に思い浮かべ、その覚悟も決めている。……はずだ。
いつも通りに、屋敷の門を潜り、玄関ホールを抜ける。
今日に限っては、一度俺の部屋に立ち寄り、ある荷物を置いてからセシルの部屋へと足を運んだ。
「あ、陛下……」
赤子をあやしていたセシルが、ソファから立ち上がろうとするのを片手で止める。
「変わりはないか?」
そう言いながら、俺がセシルの正面のソファに腰を下ろすと、セシルの部屋付きのメイドが素早く紅茶を用意する。王宮に残しているローディのことを思い出したが……いや、どうでもいいことか。
「はい。おかげでクレスタも元気にしています」
セシルが口にした赤子の名前に、一瞬動揺しかけて、何とか抑え込む。
我が子の名を呼ぶ資格など、その我が子の命を奪うつもりの俺にはない。
「そうか。乳母もよくやってくれているんだな」
「はい。でも、おかげで私よりサラのほうに懐いてしまって……少し妬けますね」
「そうか」
だが、それなら多少セシルと引き離したところで、そちらは問題無いだろう。
そんな考えを頭の片隅に置いたまま、俺はしばしの間、セシルとの久しぶりの雑談に付き合う。セシルは楽しそうにしていたが、その時間は俺にとって、もはや拷問でしかなかった。
ふと、懐中時計を見た俺は、その状況から逃げ出したかった……のもあるが、次の予定を考えるとこれ以上雑談をしているわけにもいかないこともあり、
「そう言えば……」
と、話題を変える。
「しばらく、ほとんど部屋から出ていないのだろう?少し出てみないか?」
「そうですね」
俺の提案に、セシルは静かに頷くと、乳母のサラを呼び、赤ん坊を託した。
「この子の事、お願いしますね」
少し離れるだけだというのに、真剣に頼むセシルの様子に、乳母が苦笑していた様に見える。
そのことを俺が指摘すると、
「我が子がそれだけ大事ということです」
そう言ったセシルの顔は母親のそれを強く感じさせた。
そんなセシルを連れ、人目に付かないように俺は移動する。目的地は……俺の使っていた寝室だ。せめて、二人が眠る場所は同じにしておきたい。それくらいは願ってもいいだろう。
セシルはと言うと、俺の部屋に連れ込まれても特に訝しむ素振りも見せなかった。代わりに、俺に抱きつき、激しく唇を求めてくる。
俺もそれに応え、セシルと共にベッドへとなだれ込んだ。
事を終え、静かにベッドで眠っているセシル。そんな彼女を起こさないように、俺はそっと起き上がると、部屋に隠しておいた聖剣を手に取り、ベッドへと戻る。
そうして、音もなく聖剣を構え……静かに眠るセシルを……フィリーを見つめる。
出来れば、この目は閉じてしまいたい。耳も塞いでしまいたい。そうしなければ、狂ってしまうかも知れない。
だが、それを目に焼き付け、それを脳裏に刻みつける事がせめてもの……償いになるとは期待するべきではないか。
今から行うこれは単なる罪。
復讐のためと言っても、許される事のない罪。
……気がつくと、剣が少し下がってしまっていた。
改めて構えなおす。
せめて、何も感じない間に全てを終わらせる。
そう思って、剣を握る手に力を込め尚したときだった。
「……お兄様」
そう呼びかけられて、俺の動きは凍り付いた。
フィリーが起きてしまっている……
そんな俺の動揺に気づいていないかのように、フィリーは静かに言葉を紡ぐ。
「お父様とお母様の敵を取られるのですね……。そのために私の命が必要なのですね……」
その言葉を聞いた俺は、フィリーが全て知っていたのだと、今更ながらに理解する。
「いつから知っていた……?」
せめて、そのことだけは知りたい。聞いておきたい。
「……多分、最初から」
少しの間を置いて返ってきた返事はそれだった。
「夢であればいいと思っていました。でも、目覚めてお父様とお母様が亡くなったと聞かされたとき、全て真実なのだと……」
目を閉じたままそう話すフィリー。
「後は、お兄様を、お兄様だけを見ていたのですから、分かります。それでも、私は幸せでした……」
兄に犯されて、抱かれて、幸せだったというフィリーの告白。それは理解するしないより先に、俺の決意にひびを入れそうになる。だから、改めて剣を握る手に力を入れ……それでも、フィリーの言葉は最後まで聞かなくてはならない。
「だから、私はここでお兄様の手にかかって果てようとも……聖剣の生け贄にされようとも構いません。それでお兄様の復讐が果たされるのなら……。お兄様にとっての敵は私にとっても敵でもあるのですし。ただ、あの子だけは……」
ああ、気づいているのか。そこまで気づいているのか。
だが、その言葉だけは言わせるわけにはいかない。
その言葉を聞いてしまえば、この剣を突き出す事は出来なくなる。
「どうかあの子だけは……」
フィリーのその言葉が言い終わるのを待つことなく、
俺は聖剣をフィリーの心臓へと突き刺した。
次の瞬間、光も音もなく、聖剣に貫かれたフィリーの姿はかき消えた。
フィリーがいた痕跡は、もはやベッドの皺しか残っていない。
あまりにも呆気ない。
本当に、ただそれだけだった。




