国王即位前1
国王の長子であるアンソニーが死に、俺が王位継承権第一位になってから4ヶ月が過ぎようとしていた。
公爵位は持ったままだったが、次期国王として、父方の叔父である現国王――ブルードの事もあり、叔父という言葉にはあまりいい印象がないな――について国王の仕事を学ぶというノルマが発生し、軍務については部下に丸投げの状態が続いていた。
軍と言えば、アンソニーが統括していた軍の代わりに、俺の統括している軍が王子――と言われてもピンとこないが――直属の第二軍として格上げされた。その際、あれこれ揉めたようだが、アンソニーを守りきれなかった負い目もあり、元第二軍は第三軍に格下げされていた。
「はあ~……」
グラスティ公爵邸に帰ってきた俺は、夕食もとらずに自室のソファに倒れ込んだ。
「食事はどうなさいますか?」
俺が脱ぎ捨てたコートを衣装棚に仕舞いながら、メイドが訊いてくる。
「ここで摂る。悪いが出来たら運んできてくれ」
かなりマナーが悪いが、食堂まで足を運ぶのも億劫だ。もっとも、週に何度もこんな事をしているせいか、屋敷の使用人たちも最近すっかり慣れてしまった。
しかし、
「そう言えば……」
厨房に向かおうとしていたメイドがドアのところで足を止めた。
「なんだ?」
「セシルが何かお話があると言ってました。呼びますか?」
何の話だか知らないが、セシルの話となれば、多少疲れていても聞かない選択肢はない。
「そうしてくれ。……食事もちゃんと持ってきてくれよ?」
うっかりすると、セシルの話が終わるまで食事が運び込まれない……なんて事もありそうだったので、一言付け加えておく。
「かしこまりました」
そうお辞儀をしてメイドが部屋を出て行くと、急に部屋が静かになった。
窓の外はすでに暗く、魔法の明かりで煌々と照らされている室内から、外の様子をうかがうことは出来ない。
「そろそろ、この屋敷ともお別れか……」
国王陛下の様子を思い出し、ふと呟く。
アンソニーが死んだ後の陛下の落ち込み様はひどかった。見ていられないほどだった。王妃が生きていればまだ慰め合うことも出来たのだろうが、アンソニーが幼い頃、病気で亡くなっている。
それでも、何とか義務感からか、宰相の助けを借りながらも国務は何とか遂行していた。だが、それだけだ。
そのせいで、俺が仕事を覚えてきたここ一月ほどは、陛下がこなすべき仕事の大半が俺の方に回されるようになっている。そのせいか、王宮ではまもなく陛下が退位されて、俺が王位に就くことになるんじゃないかと噂されている。そう、宰相から直接聞かされた。もっとも、陛下に近いその宰相は、その噂の内容は正しいのだとも教えてくれたが。
そんなわけで、陛下の許可を得た宰相は、内々に王位継承の準備を始めている。その準備の目処がつき次第、陛下の退位と俺の即位の日取りが発表されることになっている。
コンコン
物思いにふけっていた俺は、扉をノックする音で我に返った。
「入れ」
俺の許可を得て扉を開けたのは、セシルだった。名義上は使用人ながらも、俺の妹扱いされているので、たいてい誰か使用人が一人か二人くらいはついているんだが珍しく今日は一人だった。
――もっとも、俺がセシルを抱いているのはすでに使用人たちにばれている。ばれた時の使用人たちが俺を見る目は氷点下以下だった。あまりの居心地の悪さに一週間近く、王宮の方で寝泊まりしたくらいだ。
ただ、その間、セシルがあまりに寂しそうにしていたからか、使用人一同からとっとと戻ってくるように命令されてしまった。その後は、なんだかんだで容認されているようだが、居間でも時々居心地が悪くなるのは気のせいじゃないだろう。
ただ、フィリーにはさすがに内緒にしてもらっている。マクシミリアンたちも、わざわざ余計なことを教える必要はないと思っていたのか、これはあっさり了承された。
……気をつけないと、グラスティ公爵邸内の力関係がひっくり返りそうで怖い。
「あの、殿下、お時間は大丈夫ですか?」
後ろ手に扉を閉め、おそるおそるセシルが訊いてくる。
「ああ、大丈夫だ」
ソファから体を起こし、セシルにも隣に座るように促す。
「で、話って?」
隣に座ったセシルにもたれながら、話を促す。
「あ、はい。その……」
なにやら、話しにくい内容なのだろうか。となると、使用人たちには聞かせない方がいいのか?
「そろそろ食事が運ばれてくるはずだ。その後にした方がいいか?」
俺がそう言うと、セシルはどこかほっとしたように、
「あ、そ、そうですね。それでお願いします」
言葉が微妙におかしいが……気にすまい。
そのまま、微妙な沈黙が降りたが、それはすぐに別のノックで破られた。
「今日も仲がよろしいですね?」
なぜか食事を運んできたメイド長のローディが、俺たちの様子を見て、セシルには暖かい視線を、俺には冷たい視線を注いでくる。
「大好きですから」
俺の腕を取って、ちょっとだけ照れながらセシルが言い切る。それでローディの視線が少し和らいだ。
その間にも、ローディの後ろについてきていたメイドたちが次々と俺の夕食を並べていき、全てを並べ終わると、そそくさと部屋を出て行った。
……ローディを残して。
「おまえは戻らなくていいのか?」
不思議に思ってそう訊くと、
「もっと大事な話がありますから」
ちらりとセシルに目をやって、堂々と答えてきた。
俺にはその視線の意味が分からなかったが、セシルには分かったらしい。なにやら、赤くなっている。
「セシルの話と関係があるのか?」
何となくそう思って訊いてみると、
「ええ、その通りです。でも、そのご様子だと、まだ話を聞かれてないようですね?」
「そうだが……」
ローディ、なにやってんだこの野郎ってな視線はやめてくれ。怖いから。
と思っても、口には出せず。
「話しにくそうだったから、食事が運ばれた後でいいと言ったんだ」
代わりにそう答える。
「そうですか」
結構です。とか聞こえてきそうだったが、ローディからの視線の迫力が緩んだのだし、良しとする。
「セシル様。話しづらいのなら、私の方からお話ししますけど?」
テキパキ派のローディは既にセシルの話とやらの内容を知っているようだ。
「あの、えーと……私からお話しします」
ローディの言葉にちょっと慌てたセシルは、再び赤くなって、それからキョロキョロして、ちょっと俯いたかと思うと、キッと唇を引き締めた表情で俺を見上げて――なかなか忙しそうだ――、それから俺の耳元に顔を近づけてきた。
「あの……、……しちゃ……した」
何か言われたようだが、はっきり聞き取れない。
「聞こえなかった。もう一度言ってくれるか?」
俺のその言葉に、顔を離そうとしていたセシルはショックを受けたかのように固まると、もう一度真っ赤になって、
「……妊娠……しちゃいました……」
えーと。
妊娠ですか。
……妊娠、か。
つまり、子供が出来たと。
その言葉の意味が浸透するにつれ、俺は気分がどん底へ落ちていくのがはっきり分かった。
横では真っ赤になったセシルが、それでも嬉しそうに俺の方を見ている。
その頭を優しく撫でながら、俺は考えていた。
ああ、これで全ての駒がそろった。




