青年時代10
「そんなの聞いていません!!」
珍しいセシルの怒った声が公邸に響き渡ったのは、俺がセレメンティーへ帰る日の朝のことだった。
俺が、セシルはセレメンティーには連れて帰らないと告げたところ、何故か怒りだした。
セシルを連れて帰らない理由は勿論あるのだが……人目があるところでは話せないな。
「こっちへ」
セシルを連れて、この二週間、自分の部屋として使っていた部屋に入る。その際、人払いも忘れない。
「どうして私を連れて帰ってくれないんですか!?」
二人きりになって、改めて詰め寄ってくるセシル。すごい怒りようだ。
「危険だからだ」
とりあえず、そこから説明を始めるか。
「危険って……何がですか!?」
「まずは、声を抑えてくれ。人に聞かれるわけにはいかない話だ」
説明より前に、人に聞かれないように声を潜めて貰わないといけない。セシルの怒りは収まったとは言えないようだが、とりあえず、渋々頷いてくれた。
その頭を撫でながら、
「父上と母上が殺された日のことは、どれくらい覚えている?……フィリーとして」
その言葉で、思っていたより深刻な理由らしいと感じたのか、セシル――フィリーの目から怒りの色が急速に消えていった。
「お父様とお母様が叔父様に殺されたことまでしか……」
そう言えば、途中でフィリーは気絶していたような気もする。
「じゃあ、その後のことを話そうか。時間はないから、要点だけをな」
フィリーが頷くのを見て、俺は説明を始めた。
ブルードは俺たち二人も殺そうとしたこと。
しかし、聖剣によってそれは防がれたこと。
俺が聖剣でブルードを斬り殺したこと。
そして、女神のこと。
最後に、聖剣が神殺しの武器であること。
俺たちの一族が聖剣に捧げられるべき生贄であることは伏せた。だが、それでも十分面倒な事態であることはフィリーも理解してくれたらしい。
「だから、私を危険から遠ざけるためにカリオス公国に残していくおつもりなのですね?」
説明を聞いて、しばらくして、フィリーはそう確認してきた。
「そうだ。誰も知らないが、今でも女神は頻繁に屋敷を訪れている。神殺しの武器と女神。この2つが揃っているような場所がどれだけ危険か……。そんな場所にお前を置いておくわけにはいかない」
危険の意味が多少違っている説明ではあるが、危険であることには変わりない。……一番フィリーにとって危険なのは、俺かも知れないが。
兎に角、その説明でフィリーは黙り込んだ。
納得してくれたのだといいのだが……しかし、
「やはりダメです。私も一緒に戻ります」
「だから、それはダメだと、危険だと言っているだろう?」
「では、お兄様は危険ではないのですか?」
「……俺は自分くらいは守れるくらいは強くなった」
フィリーの目に宿る強い光に圧され、返答が少し遅れてしまった。
「だとしても、絶対ではないでしょう?それを……私に手も足も出せないところから心配していろとおっしゃるつもりですか?」
「それを言えば、お前と一緒に戻ったときの俺の心配はどうなる?」
「どういう危険があるのかは分かりかねますが、本気で何かしでかすつもりの人間がいるなら、カリオス公国に残っていても私の身が安全だとは言えません」
それは……否定しない。できない。ただ、それでも少しは安全だと思うのだ。
だが、
「それなら、お兄様の側にいたいのです」
それを言ったら、俺もそうだ。だが……
俺が答えあぐねていると、フィリーは更に追い打ちをかけてきた。
「それに私は……お兄様の妹であると同時に……その……お兄様のモノでもありますから……」
途中から目を逸らし、真っ赤になってもじもじするフィリーはとてつもなく愛らしかった。
というか、イヤじゃなかったのか?あれ。
何かが間違えてる気がして、一瞬呆然とする。
「それとも、もう、私には飽きてしまわれましたか?」
……いやいや、それは何か違う。んだが?
「そうでないなら、一生お側にいさせて下さい……」
俺の手を両手で柔らかく包んで、うるうると見つめてくるフィリーのお願い。
「……あ、うん、分かった。……?」
ちょっとした混乱状態にあった俺は、うっかりフィリーの言葉に頷いてしまった。
ハッと気がついたときには既に遅い。
フィリーの顔はすっかり明るさを取り戻していて、
「それじゃ、みんなにはそう伝えてきますね!」
と、セシルの顔に戻って部屋を出て行った。
それから、マクシミリアンには用意してもらった別荘は結局使わないことを告げ、ローレルを後にした。セシルも一緒に帰ると告げたとき、マクシミリアンの表情が明るくなったような気がしたのは、やはり何か感づいていたのだろう。
そして、セレメンティーへの帰りの旅路は何事もなく、三日ちょっとでカリオス~セレメンティーの国境に辿り着いた。
「何事だ?」
国境を越えようというところで、馬車が止まった。それもかなり長い時間止まっていたので、疑問に思った俺は窓から顔を出した。
国境を越える際は、通行者の身元の確認や荷物の検査など、幾つもの手続きがあるのですんなり通れるわけではない。
ただし、王族や上級貴族は、予め連絡が入っていてすんなり通れることが普通なので、公爵である俺などが足止めを喰らうのは、何かあったとしか考えられない。
「分かりません。何かあったのだと思いますが、訊いてきてみます」
馬車の横にいたマクシミリアンが、乗っていた馬を駆って検問所へと駆けていく。
「何があったんでしょう……?」
不安そうなセシル。
だが、俺はもしかしたらとある可能性に思い当たっていた。無論、あまり良くない予想なので、口に出すのは憚られたのだが……すぐに答えを持ってマクシミリアンが帰ってきた。
「どうだった?」
俺がそう訊く前に、マクシミリアンは馬車の窓に顔を寄せ、小声で、
「グランス皇国が再び攻めてきたようです。そのため、セレメンティーからの出国者が増えたり、セレメンティーへの入国を躊躇する人間が増えたりして、検問が混み合っているんです」
その返事に、俺は短いため息をついた。予想通りだったからだ。
「分かった。検問に俺たちを優先的に通すように伝えてきてくれ。急いで戻らないと行けないからな」
「既にそのように伝えてあります。間もなく役人達がやってくるかと」
さすがに、父の代から我が家に仕えているだけあって、いい仕事をする。
「分かった。では、馬車の誘導などは任せる」
俺はそう告げると、顔を引っ込めた。何が起きているのかは知っておく必要があるが、細々したことまでやる必要は無い。
「殿下……」
不安そうなセシルの頭を撫で、しばらく待っていると、役人が来たらしい。馬車の外であれこれ話し声がしたかと思うと、すぐに馬車が動き出した。
不平不満の声が聞こえてきたような気もするが、余程酷い侮辱でもない限り、セレメンティーやカリオスでは不平不満を漏らす程度のことは容認される。庶民の不平不満を力で抑え込むのは愚かな行為でしかないからだ。器を小さく見られるというのもある。
ただ、さすがに実力行使で喧嘩を売られると、そうはいかないのだが……幸い、貴族相手に堂々と喧嘩を売るような者はさすがにいなかったらしい。馬車はすぐに検問所を越えた。
「マクシミリアン」
検問所を十分離れ、街道の人も減ってきたことを見越し、俺は窓から顔を出した。
「何でしょう?」
「荷物を積んでいる馬車を後から追いかけさせることにすれば、どのくらい早く王都に着く?」
俺たちの隊列は、俺とセシルが乗っている馬車を含む数台の馬車と、二十頭以上の馬に乗った護衛達からなっている。当然、それだけあれば足の速い馬車遅い馬車、速い馬と遅い馬、いろいろいる。そして、馬が馬車より遅いのは考えにくいので、隊列の速度は遅い馬車に制限されているはずなのだ。
加えて、俺たちが乗っている馬車は賊に襲われるなどしたときには優先的に逃げる必要があるため、もっとも速度が出せる構造になっている。ならば、従者や荷物の馬車を置き去りにして、俺たちだけならば、もっとスピードが出せるはずのだ。
そんな俺の考えを理解したのか、それとも単に主人に質問をするのが不躾だと思ったのか――いや、それはないな――、
「一日近く早く着けるかと」
……どれだけ、他の馬車との性能差があるんだ。自分で利用している馬車とは言え、呆れ返る。というか、それすら知らなかった俺自身を戒めるべきなのか?
考えが逸れた。
「では、宿に泊まることを止めてしまえば?」
「明日の夕刻には着けるかも知れませんが、馬が持ちません」
馬がへばれば馬車はそれまでだ。さすがにそれは諦めるしかないか。
そう考えていると、マクシミリアンが別の提案をしてきた。
「護衛の馬を取り上げて、今馬車を引いている馬と交代で馬車を引かせれば、少しはいけるかも知れません」
なるほど。確かに何も引いていない馬なら、あまり疲れは溜まらない。そんな馬を予備に連れて行けば、何とかなるかも知れない。
「それでやってみてくれ」
「かしこまりました」
俺が顔を引っ込めると、
「宿は無しですか?」
戦争が再開されたと聞いて、不安そうなセシルにそう訊かれた。
「ああ。済まないが、湯浴みなども我慢して貰うことになるかも知れないな」
「そうですね。それより、皇国が攻めてきたというなら、また殿下も戦線へ?」
ちょっとがっかりしたようなセシルに、
「行くこともあるだろうな」
正直、あまり戦場は好きではないだけに、眉間にしわが寄った。気がする。
「だが、数年前の戦闘で俺が少し暴れすぎたからな。これ以上手柄を立てすぎると、王位継承権の問題に発展しかねないという話もある」
「殿下が次の国王に……?」
そういう話を知らなかったのか、セシルが目を丸くしていた。だが、
「俺としては面倒だから、願い下げなんだがな。兎に角、そういう事情だから、ぽんぽん前線に送られることは無いだろう」
「なら、良いのですけど……」
ホッとしたようなセシル。さっきからコロコロ表情が変わって、実に忙しそうだ。
その後、何人かの護衛の馬を予備の馬車馬にすることで話がまとまり、俺たちの馬車はスピードを上げ、翌々日の早朝にはセレメンティーの王都に到着していた。
王都に帰り着いた俺は、すぐに王宮に呼び出された。
まあ、戦争絡みの話なのだろう。それ以外に予定より早く帰った俺を急いで呼び出す理由など思いつかない。
そんなことを考えながら、謁見の間に通された俺は、そこで玉座に埋もれ、項垂れた国王陛下の姿を目にした。
はっきり言って、イヤな予感がする。
……言い直そう。イヤな予感しかしない。
父方の叔父に当たる国王陛下の性格はよく知っている。戦争が始まった程度で、こんなに打ち拉がれたようになるとは思えない。
何事かと訝しんでいると、玉座の右後ろに人影を1つ、見つけた。よく知っている顔だ。
女神、何故そこに立っている?
いや、それ以前に誰も気づいていないのか?
実際、誰も玉座の後ろに立っている女神に気づいた様子はない。
あそこまで艶然と微笑んでいる女神が見えているなら、何かしらの反応があってもおかしくないはずなのだが……
そんな疑問を抱えていると、玉座の下の段に立っていた宰相が、口を開いた。
「グラスティ公。よくぞ参られた。
さて、先日、グランス皇国が再び戦端を開いたのは既にお聞きになられていると思う。それにあたり、迎撃にアンソニー殿下が当たられた」
アンソニーは現国王の長子であり第一王位継承者である。
「されど……殿下は生きてお帰りになることが叶わなかった」
つまり、死んでしまったのか。
……死んでしまった?アンソニーが?
そこでやっと、状況が飲み込め、そして、宰相の次の言葉が予測できた。既に遅かったのだが。
「リスステル・ドラット・グラスティ公爵殿下。貴方が王位継承権第一位になられました」
宰相の言葉はどこか遠く響いた。




