青年時代2
ジリリリリリリ……
閉館のベルが鳴り響く。
「もう、そんな時間か」
いつものように、神話を調べていた俺は、ベルを聞いて今の時間を知った。
どうも、思ったより持ってきた神話を読むのに時間がかかっていたらしい。読みづらい字が多かったのが原因だろう。内容は……いつも通り外れだった。
どうせ、この辺の本を読む人間もいないだろうと、用意してはいたが普段は使わない栞を勝手に挟み、本を棚に戻しに行く。
本を借り出せたら楽なのだが、この辺の本は全て持ち出し禁止なのでそうも行かない。……ついでに一般人立ち入り禁止で、下っ端貴族程度は入れて貰えないような区画だったりする。公爵である俺には関係ないが。
「また、明日だな」
栞を挟んだページを確認すると、あとちょっとで読み終わるところだったが、さすがに閉館時間は守らなくてはならない。
この区画の入り口は人目につきにくいところにあるので、誰かに出入りするところを目撃されることはまず無いのだが、図書館自体への出入りはそうも行かない。あんまり変な時間に出入りしているのを目撃され、そこからあれこれ噂話がたったりすると、護衛無しでやってくるのが厳しくなるかも知れない。
本を棚に戻し、出口へ向かおうとした俺はふと何かの気配を感じた。
瞬時に、隠し持っていた剣に手を伸ばし(図書館への武器の持ち込みは禁止されている)、気配の元を探る。
あまりに何も起きないまま図書館に通い続けていて、すっかり油断していたが、誰かにばれれば、例えば身代金目的の誘拐などは十分あり得る。
気配はさっき本を戻した棚の方からしていた。正確には更にその奥の、光が十分届いていないあたりからか。
殺気や害意の類は感じないが……仕事だと割り切っている暗殺者などには、淡々と仕事をこなすあまり、殺意も害意も無くしてしまった者もいると聞く。油断は出来ない。
そう思う一方で、そこまで行ってしまっている暗殺者の類なら、こうも気配を漏らすことなど無いだろうとも思う。
とりあえず、まず決断しなくてはならないことは1つ。
気配の元を確かめるか。
逃げるか。
どっちの選択肢を選ぶかだ。
……悩むだけ無駄だな。
俺の性格からして、逃げるなどと性に合わない。この程度で逃げていたら、復讐など到底出来はすまい。
そう決め、俺はすり足で、しかし音を立てないように、気配の元へと近づき始める。
もっとも、相手の狙いが俺だというなら、そんな動きもお見通しだろうが、相手の腕次第では、こっちの動きを掴めていない可能性もある。
どっちにしても、わざわざこっちの動きを教えてやる必要など無いのだ。
さっきの棚が見える位置にまで移動し、棚の奥を視認する。
……何もいないな?
もっとも、棚の影や通路を曲がったところに何かいる可能性は高い。気配はしっかりと感じるのだから。
さて、どの棚の通路から奥へと向かうか。
棚が切れてすぐの所に気配の主がいて、襲われました、では洒落にならない。少なくとも剣の間合いよりは距離をとっておくべきだろう。
気配が動かないことを確認しつつ、一度離れた棚の前へと移動し、そこから奥へと潜り込む。ここからなら、棚の間から出ても、気配の主の元まで少し距離があるから不意打ちを食らう心配はだいぶ減るはずだ。
…………?
棚の影からそーっと気配の方を覗いたが……いまいち何も見えない。暗いのは暗いのだが……人影くらいは確認できるだけの明るさはある、はずなのだが?
さて、どうしたものか。
まさか本当に幽霊、の類でもあるまい。もっとも、そうだとしたら今の俺には手に負えない。
そんな風に悩んでいると、
「君を害するつもりはない……こちらに来たまえ」
そんな声をかけられた。
俺以外に誰かいるのか!?と考えても、他に人がいるとも思えない。
そして、改めて気配の方に目をやって……軽い驚愕に囚われる。
いつの間にか気配は人の姿をとっていた。
「ふむ。誰を指名しているのか分かっていないのか?」
あごに手を当てて、首を捻ったその影は、
「公爵、君のことだ。こちらに来たまえ」
誤解しようもなく指名されてしまった。
「俺に何の用だ?」
無論、呼ばれたからといってのこのこ出ていくほどお人好しでもバカでもない。
ただ、武器を構えるのに物陰に隠れている……というのは些か不便な気がしたので、棚の影から出て、その人影へ向き直りはした。
「くっくっく……」
そんな俺の様子を見て、影は笑った。
ただ、その細部は全く分からない。顔も、服も、何もかもだ。
ただ、輪郭だけが見える。
幻のようにしか思えないが……
「幻ではないとも。そして幻だとも。私はここにいるし、しかしここにはいない」
心の中を読まれた……のか、単に狂人の類なのか……。いまいち判断しかねるが……
「そう、心は読めるとも。しかし、私は狂ってはいない。いや、君たちの基準で言うならば狂っているのかも知れないね」
どうやら、油断できない相手のようだ。しかし、心を読まれるとなると……出来れば、
「敵にはしたくないだろう?それでいい。賢明だ。実に賢明な判断だ。私も君の敵になりに来たのではない。君を害しに来たのではないのだからね」
……信用できそうには全く思えないが、俺に対する害意はないというのは本当なのだろう。次の瞬間にどうなっているかは知らないが、害意があったならこんなのんびり話すことなど出来ていないだろうから。
「それで、お前は何者だ?」
今度は考えをそのまま口に出す。やはり、こちらの考えを読まれながら会話――それが会話かどうか別として――するのは気分は良くない。
「ふむ。名前を聞きたいのかね?それとも私がどういう存在なのかを知りたいのかね?」
意地悪く影が笑った……ような気がする。
「両方だ」
「はっはっは!それはまた意味のないことだ!名前など他との区別のためについているだけに過ぎない。それを他と区別できるだけの知識がないなら、それの名前だけを知っても何の意味もないと言うのに!」
「つまり、答える気がないと?」
苛立ちを押さえながら訊くと、
「如何にも如何にも。どうせ、私は神話にも歴史にも名前も存在も記されていない影……。今ここで、君が見ている私が全てで、これから見せる私が全てなのだ!」
いちいち回りくどい勿体ぶった言い方だが、確かにそれでは名前など聞いたところで意味はない。だが、
「では、もう一度訊く。俺に何の用だ?」
「ふむ。それに対する解答は確かに意味を為す。君に対する私という存在を意義付けるのにもっとも有意義な質問である」
「答える気はあるのか?」
「答えようとも答えまいとも、これから君に告げる、教える、君の知らない事実が、その答えとなるだろう」
……どうやら、俺に何か伝えたいことがあるらしい。が、この話し方は何とかならないのか。
そう考えたのが通じたのかどうか、
「君が持つドットムートの聖剣とは何だと思うね?」
!!!!!!
何故、その名を知っている!?
「ほほう、やはり気になるか。気にならない方がおかしいか。気になって当然という訳か」
「お前……何を知っている!?」
剣を抜き、力尽くでもこいつから知っている全てを聞き出す。拒否など認めない!
「ふむ?力尽くというのは無駄だと思うが……少々気が短すぎはすまいか?なるほどなるほど、これが呪いというヤツか」
意味不明なことをほざいている影に向かって、一気に距離を詰め剣を突きつけ……!?
「そのようななまくらでは私に迫ることなど決して永劫に叶うことなく不可能だ。無意味なことは止めたまえ」
なんだこいつは!?
気配は壁に映る影そのものだった。剣を突きつけるべき実体が無い。
「まぁ、よい。ドットムートの聖剣を作ったのは何者か。ドットムートの一族を作ったのは何者か。教えてやろう。
お前の叔父を唆したのは何者か。そいつは今どこにいるのか。教えてやろう。
そして、ドットムートの聖剣とは結局なんなのか。それもまた教えてやろう」
目の前でその影が揺らめき、渦巻く。
いつしか影の中には光が生まれ、その光の乱舞を見ていると……




