青年時代1
「縁談、か」
グラスティ公爵家の執務室で、俺は一枚の手紙を手に、悩んでいた。
手紙の内容が問題である。
『フィリー公爵家令嬢を妻に迎えたい』
要約すれば、その一言に尽きる。
差出人はカリオス公国のグラカード・エム・カリオス。王子様である。
カリオス公国は早くに神を失った人々によって作られた国だ。そのせいか、神々の争いからは距離を置いていた。それは同時に、神々の代理戦争からも距離を置くことにつながり、結果、周囲の国と戦争状態にない珍しい国家として知られていた。
無論、セレメンティー王国とも友好的な関係を築いており、両国の貴族階級もちょくちょく互いを行き来している。
さて、手紙に寄れば、グラカード王子はこの間城で開かれていた舞踏会に参加しており、そこでフィリーを見初めたとのこと。
……大問題である。
いや、美しい姫が隣国の王子に見初められてというのは、普通ならラブロマンス系の王道パターンなのだろうが……
……繰り返す。大問題である。
何しろ、あの舞踏会当日は、フィリーは体調を崩して寝込んでいたのだ。
つまり、フィリーは舞踏会には出席していない。
何度も見舞いに行った挙げ句、侍女達に「邪魔です」と追い払われた俺が言うのだから間違いない。
しかし、フィリーは舞踏会に参加したことになっている。
どういう事か。
……セシルが代わりに行ったからなんだよな。
14歳になったフィリーとセシルは、相変わらず見た目では区別がつかないほどにそっくりだった。フィリーの兄である俺ですら、油断すると間違いかねない。ただ、話をしてみればすぐにどちらか区別がつけられるのだが。
とにかく、件の舞踏会には、セシルが代わりに行ってきたのだ。
セシルから詳しい話を聞いていなかったが、グラカード王子はフィリーの身代わりで舞踏会に参加したセシルを見初めたと言うことになる。
これがセレメンティーの貴族や王族相手ならどうとでも誤魔化せたし、最悪全部をぶちまけてごめんなさいで済むのだが……さすがに隣国の友好国の王子相手となると……
せめて、セシルが立派な貴族だったら事実を打ち明ける手もあったのだが、血筋は見事な平民だ。それも無理。
「うーむ」
……まあ、悩んだところですぐに答えが出るようなものではない。
幸い、グラカード王子もそこまでがっついてはいないのか、返事をするまで多少の猶予がある。
俺は手紙を引き出しにしまい、問題を先送りすることに決定した。
何しろ、公爵としてやらねばならない仕事が山のようにある。
領地の管理に加えて、配下の軍の面倒も見なくてはならないし、今いる屋敷の使用人の働き具合もチェックしなくてはならない。
気の置けない部下にも苦労して貰っているが……非常に大変だ。今更ながら、こんな大変なことをきっちりこなしていた父に敬服する。
ちなみに、学校の類には最早行っていない。フィリーは貴族学校に行っているのだが、学校になど行っていたら公爵としての仕事が全く出来なくなる俺は、代わりに家庭教師を雇って勉強を教えて貰っている。ついでにセシルも勉強させ、最低限の教養は身につけて貰っている。
「さて、今日の書類は……と」
机の上に山と積まれた書類から、俺の承認を待っているだけの案件を取り出し、問題ないと思ったものには片っ端からサインしていく。
手元の紅茶が切れると、ベルを鳴らしてマクシミリアンに新しい紅茶を入れさせる。ついでに目を通した書類を押しつけ、或いは不明な点がある案件については説明のために責任者を呼び出させる。
「さっぱり終わりそうにないんだが……おかしくないか?」
紅茶を入れてくれているマクシミリアンに訊ねると、
「慣れでしょうね。慣れれば、どうでもいい案件にはさっさと見切りをつけられるようになるそうですから、ずいぶんはかどるようになると思いますよ」
とのこと。
確かに、机の上に山と積まれている案件のうち、半分以上はどうでもいいものだった。公爵家に仕える人間には、自分で判断を下せない輩が少なからずいるらしい。
「役に立たない連中は、首にするか給料減らすか。何のために雇っているのか分からないのでは困るし」
そうぼやくと、書類の山を整理していたマクシミリアンは、
「ムチだけではいけません。役立たずに罰を与えるなら、役に立った者には報酬を与えなくては、士気が下がるだけです」
一理ある。
確かに、罰を与えるだけでは人間、やる気とか士気とかが下がるのは軍で確認済みだ。
「……まぁ、その辺の差配はマクシミリアン。お前に任せる」
「かしこまりました」
午後の公爵としての仕事が終わると、軽く食事をとって、一人で王立図書館へと向かう。無論、変装は欠かせない。曲がりなりにも王位継承権を持つ身だ。どこで誰に命を狙われているか分かったものではない。
にもかかわらず図書館へ通うのは、天気が悪い日や夜からどこかの貴族の家での宴なんかに招待されている日を除けば、3年くらい前から日課と言っていいくらいに続いている。
王立図書館は王都の真ん中にある王宮……そこから少し南東に行ったところに建てられている。下手な貴族の屋敷などより遙かに広く、巨大で、荘厳な石造りの建物だ。一説には王宮と同じ時期に建てられたという話もあるが、真相は誰にも分からなくなっている。
ただ1つ、上位の王位継承権を持つ者にだけ教えられている秘密があって、王宮からの抜け道の出口の1つが、この図書館には隠されている。無論、誰もそんなことは知らないし、今まで使われたこともないのだが。
最早顔パスになった入り口を通過し、図書館の奥、おとぎ話や神話の類の書物が収められている一画へと向かう。文字を読むには苦労しないが、明るいとは言い難い程度の明かりしかないその一画は、実に怪しげな、平たく言えば、光が届かない隅の方から学者の幽霊でも出てきそうな雰囲気がある。
日によっては、各国の歴史について書かれた書籍を漁ることもあるが、今日は神話を漁る。この辺は気分の問題だ。
「ふむ、これはまだ目を通してないな」
古ぼけた一冊を棚から取り出し、近くの机に腰を落ち着ける。人が来たことを感知して、机の上に置かれていたランタンの魔法の明かりが少しばかり強くなった。
「紙の状態は……悪くないな」
持ってきた本の拍子を、続いて最初の数ページを開いて紙の状態を確認する。
酷いときは、棚から取り出した時点でページがばらばらになってしまったり、紙と紙が張り付いていたり、虫に食われて文字もクソもなくなっていたりする。
それを考えると、今日の本は状態はいい。これなら、読むのも苦労しないだろう。
ちなみに、今日の本は神話だが、神話と言っても昔は神々が腐るほどいただけあって、神話も腐るほどある。あの神を主人公にしてみたり、この神を主人公にしてみたり。で、主役が変われば、書いてあることが変わったり、客観的には同じ事のはずなのに、解釈が全く違ったりで、バリエーションも非常に豊かだ。……小説の類を読んでるわけじゃないはずなんだが。
「……外れっぽいな」
3割ほども目を通した後、俺はそう判断した。この神話は目的とする情報は載っていない。
そもそも、俺が神話だの歴史だのを調べている理由は、俺の両親が死ななくてはいけない状況を作り上げた者が何者なのか、知るためだ。
なんでドットムートの聖剣なんてものが存在するのか。
ドットムートの聖剣を作ったのはどの神なのか。
叔父を唆したのは何者なのか。
分からなくては、この憎しみのやり場がない。
あれから4年が経ったが、憎しみは消えることも減衰することもなく、俺の心の中で暗い炎を燃やし続けている。
幸い、小さい頃からの顔なじみに囲まれている日常では、生活に差し障りが出るような事態には至っていない。だが、相手が分からない状態では、いつ知らない相手にこの憎しみをぶつけてしまうか分かったものではない。
……学校に行けない理由は実は忙しいからだけではないのだ。
ちなみに、護衛をつけない理由も似たようなものだ。神話や歴史を調べているときは、普段よりも暗い炎がよく燃えている。そこによく知らない護衛という人間がいたら、いらいらするとか落ち着かないなんてもんじゃない。
幸い、オリバー男爵に半端無く鍛えられ、国内屈指の実力と彼に認められているおかげで、護衛は割と簡単に外せたが。
余計なことをちらほら考えつつも、引っ張り出してきた本はしっかり最後まで目を通した。
別にポリシーとかいうのではない。
どこまで神話や歴史が正しく事実を伝えているかなど分からない。しかし、情報が多いに越したことはない。自分で取捨選択しながらも理解し、把握しきれる限りは、益になることはあっても害になることはない。
読み終えた本を元の棚に戻し、図書館を出ると既に外は暗かった。図書館に入ったのが午後6時くらいだったから、2時間近くもいたことになるのか。
俺が出た後ろで、閉館のベルが鳴っているのが聞こえた。
さて、今夜は月に一度の、あいつが来る日だな。
屋敷への帰り道を歩きながら、今日がその日であることを思い出す。
あの日から毎月、月に一度だけ、あいつが、セラスティアと名乗る女神が俺の元へやってくる。
目的は……分かりやすく言うならば夜這いだ。
最初は混乱していた中での事だったので、特に疑問も持たずに抱いていたが、どうも、夜這いに来た女神は俺の心をいじくって、無理矢理欲情させてる節がある。
昼間、どうにもイヤなことがあったりして、到底そんな気分になれないはずだったこともあるのだが、女神に見つめられ、触れられた途端にその気になったことも一度や二度ではない。
女神のくせに、毎月とは……清楚な外見からは想像も出来ないが、とんだ色魔だなと思ったこともあるし、面と向かって言い放ったこともある。……その後、朝まで徹底的に搾り取られたので、二度と言わないことにしているが。
ちなみに、女神セラスティアは、このセレメンティー王国の守護神とされている。もっとも、何故か、国でもごく一部の人間しか知らされていないようだが。
そんな女神が俺に構ってくるのは……まあ、聖剣が理由なのだろうが、時折鬱陶しいと思う反面、便利でもある。
4年前のあの後、両親を殺した疑いは当然、俺にも向けられた。しかし、何故か俺の弁明はあまりにもすんなりと受け入れられ、他の証人に確認したり、現場の検分をしたりすることさえ無かった。
後日考えたのだが、女神が裏で手を回したのだろう。
そう考えれば、毎月夜のお相手をするくらい、命の危険があるわけでも無し、安い代償なのかも知れない。




