旅立ち
旅立ち
約束の日。
私は早起きして、祖母が準備してくれた勇者の新しい黒い服を着た。白の縁取りが鮮やかだ。身がひきしまる。
部屋を出て朝食のテーブルに向かった。席についていたライデンの一家三人に朝の挨拶をする。
深皿に山盛りにされていたのは、手作りオーガニックシリアルと干しぶどう、それに生のイチジクが置かれていた。シリアルにかける山羊の乳は、大きなピッチャーに入れられている。
その陰には見覚えのある黒いものが……閉じられた翼が見えた。
ライデンの母が、お茶を準備しながら、いたずらっぽく笑った。
「あら、ごめんなさい。その邪魔なの、かたづけます」
「また何か、やらかした?」
首を折られた悪魔っ子を、私は指でつついた。動かない。まるで、屍のようだ。
「お湯が沸いたから、ちょっと目を離した隙に窓から飛び込んできて、イチジクにかぶりついて」
母は悪魔っ子の翼をつまむと、無造作に生ごみをいれる壷に投げこんでフタをした。
「イチジクを持ったまま逃げようとして、飛べなくなって。ほーんとに馬鹿な子で」
そのまま、娘のほうを向いて、付け加えた。
「おまえも気をつけなさい」
ばしゃ!
ライデンの孫娘は、使っていた匙を投げ捨てるように皿の中に置くと、テーブルを軽く叩いて立ち上がった。何か言いたそうにしていたが、黙ったまま食卓を離れて部屋を出ていってしまった。
テーブルの反対側にいた祖母が取り繕うように
「娘よ、あの子に、もう少し優しく……」
「あら、そんなつもりじゃ。それに娘の教育はわたくしの責任です」
おっと!
家庭内のごたごたに巻き込まれるそうだ。これは早く出発するに限る。
私は揉め事のきらいな勇者なのだ。
と、思っていたら
「ストーイ!」
家の外から、イスハパンの駱駝を止める声が響いてきた。
手早く、朝食をかきこみ、外に出た。
戦士は明るい灰色の服に赤い帯、頭には縦につぶれた鉤形の帽子をかぶっていた。折り目がきちんとついて新しい。黙っていれば若手の大商人と見間違えるほどだ。
「ずいぶん早いな」
「夜明けまえに出てきました。あの、ちょっと、よ、用事もあったもので、そ、そ、そ、草原に」
奴の駱駝を見た。荷物を積んでいる。花も用意しているようだ。
私は胸の前で、親指を立てた握りこぶしを示して元気をつけてやった。イスハパンは、一瞬、泣きだしそうな顔になってから、激しく首を縦にふった。
ライデンの母が出てきた。
「あら、イスハパン、おはよう。ちょっと待っててね。すぐ支度させますから」
そう言って、ひっこんだ。
女のちょっと待っててね、は絶対信用するな、が私の堅い信念だが、イスハパンには、かなーーり、長ーーい時間だったろう。ライデンと私が使う騎乗用の駱駝を引きだし、準備の確認をして時間をつぶした。
やっと三人で出てきた。
「ほーんとに、この子はグズで、ごめんなさい」
ライデンの母が、孫娘の背中を押しながら、出てきて謝った。
そんなことは、どうでも良い。ライデンの孫娘は、待たされた甲斐があるほど、きれいだった。砂漠用の白い衣装を着ていた。胸元と袖口には、若草色の刺繍が施されていた。
濃い灰色の瞳をひきたてていた。
刺繍……
祖母も母も手芸の趣味はないはず。というか二人とも料理と男の扱い以外は、ぶきっちょなのだ。つまり、孫娘が自分で縫ったか? 悪くない。
そして、朝の光のなかで出発前のお決まりの別れを交わした。
お元気で、がんばってね、娘をよろしく、迷惑かけるんじゃないよ、水には気をつけて、イスハパンりっぱだわーー見直しちゃう、日焼けはお肌の大敵よ、食料はだいじょうぶ、お土産は気にしないでね、さよなら、さようなら、またね……
ありったけ交わしてから、ライデンの母の冷たい手を握り、祖母の暖かい手で握ってもらった……彼女とは、もう生きて会えないかも知れない、胸騒ぎがした。
白い毛帽子をかぶり、魔法をかけた短剣を帯に吊った。
駱駝に乗った。
「いざ、砂漠の彼方へ。夕日の沈むところ魔物の棲家、世界の西の果て城塞へ。邪悪の魔王を打ち倒す。それが我等の使命」
決まり文句を言ってから、別れを告げた。
「さらば」
そのまま、後ろを見ないで駆け出した。
私に追いつくまでの間に、イスハパンはうまくやるはずだ。
……やるはずだ。
やるはず……
……はず……
ライデンの孫娘が追いついても、戦士はなかなか来ない。ずいぶん後ろを付いてくる。良く見ると、肩を落として駱駝に揺られていた。駱駝もあの大男を乗せるのは疲れるだろうな。
出発の翌日の夕方、イスハパンが手配していた通りに、東のオアシスで荷物運び用の駱駝を連れた商人たちと会った。連れている駱駝の数がやけに多く感じられた。
三人の駱駝商人のとなりには、薄笑いを浮かべて、ダロヮの娘、密使の少女が立っていた。相変わらず腰に細身の剣を下げていた。気障なめがねも変わらない。
商人たちが用意した駱駝は、全部が密使の女に買い占められていた。
歳若い商人が言う。
「子供のころは、あんたの冒険に憧れていたんだけど、大人になると、こちらも商売でね。高値をつけたほうに売らせてもらいます」
残りの二人も苦笑いした。
「勇者、この前の支払いもすんでないですよ」
いちばん年長の駱駝商人が言った。
まだ生きていたのか、しぶとい奴だ。
私は説明してやった。
「城塞の近くで駱駝は放す。ちょっと借りるだけだ。街を取り返してやったのに、君たちは信義を裏切り、よそ者に駱駝を売って、私と競わせて値段を吊り上げようってのか? ビブリオの商人としての誇りは、どうした? そもそも商いというものはだな……」
三人の商人は声をそろえた。
「商売ですから」
あきらめて、駱駝を横取りした女と向き合った。
「なんで邪魔する?」
「なぜかって?」
小柄な少女は勝ち誇った笑顔を浮かべた。
「僕は君と同じ。砂漠と魔物が好きだから」
思わず、帽子を脱いで地面に叩きつけたくなった。
僕女かよ!
私は、自分を僕と呼ぶ女の声を聞くたびに、こめかみの血管が切れそうになる勇者なのだ。理由は無い。ただ、私の体の中を流れる赤い血潮が、わけも無く煮えたぎって頭へ逆流する。
私の怒りに目もくれないで密使の女はつづけた。
「ハンスグラム砂漠の奥深く行くのだろう? 僕もいっしょに行く」
……なるほど、それで駱駝が多かったのか。僕女の分も連れてきていたのだ。でも……砂漠を甘く見ている。これから、一つ間違えば、呻きながら自分の運命を呪って、渇いて死ぬ世界に入る。私は片手を上げて、指を折りながら教えてやった。
相手を打ち負かすには論理が欠かせない。
一 駱駝は水袋を運べる
二 女は水袋を運べない
三 よって、おまえは無駄に水を飲むだけの足手まとい
小柄な密使の少女もすました顔で片手を挙げた。
一 駱駝を買うには金がいる
二 おまえは金なしの勇者
三 よっておまえは、水を運ぶ駱駝が欲しいなら、僕を連れていけ
僕女は私と同じように、指を折りながら数えていった。
ううぅ。
私に論理をもって反論した女はライデンの母以来だ。しかも、僕女の言うことは、私よりも理屈が通っていた。
私は論理を超えた論理で、僕女を論破してやろうと決心した。
師匠の技を盗んで、この領域にくるまで苦労した。
いま成果を見せてやる。
にっこりと微笑んで、相手に余裕を見せつけてやってから論理を展開していく。
一 私は、カロイドの奴らがきらい
二 したがって、おまえがきらい
三 ゆえに、さっさと駱駝を置いて帰れ
砂漠の衣装に身を包んだ僕女は、私の理屈にたじろいだ。が、すぐ立ち直って片手をあげてまねをした。冷たい笑いを浮かべると、歯切れ良く反論してきた。
一 駱駝たちは、僕が好き
二 したがって、おまえは駱駝からも嫌われている
三 ゆえに、おまえこそ、駱駝の下僕になってさっさと準備しろ
私のまねをして論理を超えてきた。
なかなかの論客である。
ライデンとイスハパンは心配そうに私たちを見ていた。駱駝商人の目と耳もある。勇者が歳のいかない娘っ子と金のことで罵りあったとなれば、街の噂になってしまう。
密使の女をオアシスから離れた木陰に連れていって、草の上に座った。
ここなら二人だけで話ができる。私は再び、論理的に取引をはじめた。
一 城塞の財宝は私の物
二 財宝は私と魔法使いと戦士で三等分する。したがって、おまえの分け前はない
三 よって、口の悪い僕女は、日焼けして死んでしまえ
ダロヮの娘は、むっとしたようだ。
一 城塞に財宝はない。古書の読み違いが噂の原因
二 僕は砂漠の地理を調査する。したがって、財宝があっても勝手にしろ
三 よって、金の無い男は、駱駝に蹴られて死ね
私の懐に金がないのは事実だが、僕女は非論理的なってきた。こちらが優勢だ。論理の整合性、語彙の豊富さ、修辞のうまさ、私が勝っている、はずだ。
なぜなら、僕女は財宝の分け前を自分から捨ててきた。そういうことなら、連れて行っても良い。何か別の目的があったとしても、僕女が砂漠の厳しさに負けて、とちゅうで逃げ出してしまえば、駱駝の代金は丸儲け。
よし。あとひと押しで決める。
私は片手を高く上げた。
一 泣き言をいうな
二 死んでも知らん
三 財宝がないってのは嘘だろ?
僕女は、だいぶ気持ちを高ぶらせているようだ。ずれてきためがねを右手の人差し指で押し上げた。
一 よけいなお世話だ
二 よけいなお世話だ
三 行ってみればわかる。僕は地理学者だ
「地理? 学者? 君が?」
「悪いか」
女密使は、胸を張って答えた。たしかに、女の黒い瞳は、可愛さや優しさや、男への媚ではなく、長い学問の困難をのり越えてきてことを示すように、晴れやかな知識の輝きをたたえて落ち着きを浮かべていた。
この眼。ライデンの祖母も持っていなかった。
「歳はいくつだ?」
ばしっ!
平手打ちの返事が、油断していた私の左頬に返ってきた。
本気で女に叩かれるのは、お袋とライデンの祖母以外、こいつが初めてだ。打たれた頬の肉と左目のまぶたがひくついた。
「失礼な。もう一度言ったら……これだ」
わきに置いていた細身の剣に手を走らせた。
「分かった。名前は?」
「レンミッキ・ダロヮ・アル=シガティー」
「なるほど、シガテ族、ダロヮの娘、レンミッキか。よろしく」
妥協の握手をしてから、さらりとした髪で、男物の服を着て、歳がわからないのに駱駝を買い占めて、城塞までついてくる僕女といっしょに、仲間たちが待つオアシスにもどった。
歩きながら考えた。
駱駝を買う金は誰が出したのか? 若い地理学者が金持ちとは思えない。
……カロイドの姫君を推戴する軍師ダロヮ、それと亡命者たち……魔物と結んだアル王がビブリオの街を手に入れれば、強大な勢力を誇ることになる。王位の奪回は不可能だろう。
とすると……このレンミッキの本当の目的は……使者だ。
私はひりひりする頬をなでながら、情勢を頭のなかで整理した。
それから、僕女と駱駝商人を交えて茶を飲みながら、晩飯を食べながら、火に薪をくべながら、いろいろ話した。イスハパンは優れた従者だった。無口に客たちへ茶を配り、そつなくもてなしていった。
焚き火を囲む七つの影が、遠くで砂漠の闇といっしょになった
やはり、隣国カロイドの様子がおかしい。噂では、大量の樫と杉の材木を買い漁っているという。
「何だと思う?」
私が問いかけてみると、三人の商人は、それぞれの推測を言った。
ビブリオと隣国カロイドを分ける国境の大河、カカドウ川に新しく架ける橋の材料。でも、土台となる石材の注文はない。
攻城用の櫓か投石器。でも、カカドウ川に攻城兵器を渡せる橋はない。
戦争ではなく、新しい街を作るための材料。これも石材がないので『?』
ありそうなのは船の材料だが、陸の内戦に明け暮れていたカロイドには、大型船をつくる船大工はいない。
結局、確かなことはわからない。いろいろ噂が飛んでいるようだ。
「学者先生は?」
聞いてみると、レンミッキはためらっていたが
「おそらく城壁を崩すための投石器。杉はカカドウ川の舟橋を固定するため、表面を焼いて硬くして……」
「だから、あの舟橋じゃ重い投石器は渡せないって」
「そう、街を守るために、わざと不便にしてあるのさ」
商人たちが口をはさんだ。僕女はめがねをかけなおした。
「ばらして通す。渡った後で組み立てれば良い」
「そうお? 組み立て中に襲われたら、どうするのよ」
もう一人が異議を唱えた。
レンミッキは砂の上に絵を描きながら言った。
「橋のさきに前衛で半円形の陣地を作って攻城兵器を守る。君たちが、うかつに攻めると横から伏せておいた軽装騎兵が突っ込んでくる。アルが良く使う作戦さ」
みな黙り込んだ。
カロイドの王位を横取りしたアルは、紛争の絶えなかった自分の国を一代でまとめ上げた。次に狙うのは、豊かな自由都市ビブリオだ。つい最近、街に税金を寄こせと言ってきたが、市長に断られているそうだ。ライデンへの求婚をはね付けたことも、開戦のきっかけにはなる。
でも、私は暴力が大きらいな勇者なのだ。
「まあ、がんばってくれ。私は城塞に行ってくるからな。戦争は君らにまかせた。街を渡すなよ」
「そうお?」
商人の一人が眉を吊り上げながら、語尾も上げた。
「俺たちが負けたら、あんたが復活したときの遊び場所、なくなるよ。アルは秩序と規律が大好きだから、いかがわしい店は根こそぎだろうね。商売には税金がかかって、街は火が消えたようになるって」
うん、それは困る。
乗りかかった沈む舟? 毒を食べたらお皿も食べちゃってね、か。腹を壊すぞ。
翌日、三人の商人は、口々に我々の健闘を叫びながら、手を振って去っていった。