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砂漠の夜は変わる甘味処  作者: ハヤセ
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東のオアシス

   東のオアシス


 私が干からびて埋もれていた場所は、人間の領域にある東のオアシスの近くだった。北部砂漠か赤黒白の大地のあたりと思っていたのに、魔王の奴は予想外のところに、私を捨てていた。

 あいつも、なかなかやってくれるぜ。

 日も傾いてきたことだし、ビブリオの街に行くまえに、東のオアシスで一泊することにした。

 砂漠の汚れを、ここで落としておく。それが砂丘を越えてきた旅人の礼儀だ。

 東のオアシスは旅人の憩いの場でもある。半分を小高い崖に囲まれた泉と、節度を守れば誰でも飲める良い水の井戸がある。反対側の砂に削られた大きな赤岩が目印になっていた。

 そして、オアシスには木陰もある。

 まず、服を洗って、柳の枝にかける。そして、水浴び。思い切り水を飲む。水分に飢えていた体も舌も、これで完璧だ。出たときには服も乾いていた。その間、他の二人は焚き火用の薪ひろいへ。

 つぎはイスハパン。私とライデンが焚き木ひろいに。街にいた友達の様子を聞いてみた。ついでに、なぜ、十八になっていないのに来たのかも聞いてみたが、顔を曇らせて答えない。いろいろ事情があるようだ。

 最後にライデンの水浴びの順番が来た。

「おい、戦士イスハパン。行くぞ。ついてこい」

 声をかけて南に連れて行った。でも、そこから引き返して、オアシスを半円形に囲む小高い崖の上に出る。イスハパンのでかい背中を押して、腹ばいになった。

 そのまま、ひじとひざを使って進んでいく。

「ゆ、勇者様、こ、これって……」

「従者にして戦士よ、勇者と呼べ。いつもの鑑賞会だ」

 戦士は顔を伏せて見ようとしない。

 ふふ、若いな。

 頭を上げて岩の陰からうかがう。

「見ろ見ろ見ろ。さすがはライデンの一族。白い肌だ。オアシスに映えるね。おーー乙女らしく、ちゃんと隠している。いいねーー、あういう恥らいの強い子は。でも、意外と胸もでかそうだな。あの乳は横から見たいとこだね。それにあの肌。水を弾くぞお。女になりはじめているってか、たまんねーぜ。ちかくによると、なんとも言えない良い香りがするだろうな。おおうっと、腰も細い、両手で握れそうな細さだ。これは絶品だね。

なんと! 脚もまっすぐじゃねーか! 足首もよくしまっていそうだ。それにあの太もも。おおお、水をすくって胸の谷間かよ」

 ささやいて、イスハパンの肩をつつくと、こらえきれないように前を向いて頭をあげた。

「残念だったな。ついさっきまで全部見えたのに」

 少し遅かった。魔法使いのライデンは、さっさと水浴びを終えて服を着ているところだった。

「でもよ。やっぱり女は短い髪がいいな」

 戦士は口を開けてまま固まった。食い入るように見つめていた。目の毒か……

「見ろよ、あの体なら、一晩中でも華麗に踊れるぜ……あれっ?」

 オアシスに黒い鳥が飛んできた。ライデンの頭の周りを飛んでいる。コウモリみたいにひらひら飛んで、何か話をしているようだ。こっちを向いた。

 まずい……あれは悪魔っ子だ!

「イスハパン、頭をさげろ」

 奴の頭を押さえてから、あとずさりした。ひじとひざで方向転換。そのまま逃げて、安全なところで立ち上がった。

「黙っていろよ」

 若い戦士に釘をさして服を整えて薪拾いをはじめたら、いったん高く昇った黒い鳥、悪魔っ子が降りてきた。

 急降下してきて、目の前で羽ばたきする。うれしくない乾いた翼の音がした。そして、耳障りな声が聞こえた。

「いよう、どぐされ勇者。また復活したようだねぇ」

「失礼な言い方は、やめていただきたい。……溶けた硫黄のなかにぶち込むぞ」

 悪魔のなりそこないは、あたりを飛び回った。見た目は、髪の短い、極めて小さい女の子だ。手には手袋、足には黒い靴を履いている。体を覆う薄い布も、あいかわらず黒づくめで決めていた。背中にはコウモリの翼がある。尻には棘のしっぽが生えている。いつもの不倫の槍を握っていた。

 人間と同じ大きさになって、短いドレスでも着て酒場で唄って踊れば人気者だが、現実にはフクロウのできそこないみたいに小さい。

「魔法使いが動きはじめたから、来てみれば……」

 悪魔っ子は、いったん切ってから、こちらを向いて、唇の意地悪そうな含み笑いを指先で隠してつづけた。まぬけな獲物をつかまえたような目で、私をあざ笑っていた。

「のぞきをやっていたね」

「君はつくづく失礼だな。まったくもってゲスの勘繰りってやつだ。二人で夕食用の薪を拾っていただけ。誤解だ。訂正してもらおう」

「へー」

 悪魔っ子は、小ばかにしたように、小さな手で握っていた槍の穂先で私たちのうしろを示した。

「砂の上にね、跡が残っているけど」

 イスハパンと二人でいっしよに振り返った。なるほど、傾いた日を受けて、くっきりと。

「……あれは……蛇が這った跡だ……」

「へーーへーーびーー、砂漠に大蛇が二匹か、おもしろい言い訳ね、へっへへ」

「蓋然性がある限りは確率の問題だ。オアシスの近くだ。どうして蛇が出てこないと言い切れる。悪魔の一般的な常識で原因と結果を取り違えている。つまり自然現象を解釈するとき可能性があるかぎりにおいては……」

 悪魔っ子は私を無視して、小さく羽ばたきしてイスハパンの前に飛んでいった。

「のぞきをやっていたねー、あたい、見たよ~~」

 大男は、ばつが悪そうに目を逸らせた。うん、若い。うなだれてしまった。

「水浴びしてたのは、魔法使いの娘だね。……言いつけてこよ、言いつけてこよっと」

 楽しそうに言いながら、私の周りを飛ぶ。飛ぶ。飛ぶ。飛ぶ。

 高く低く輪を描いて飛ぶ。鳥というよりも巨大な銀蝿だ。飛びながら、こっちを向いて叫んだ。

「言いつけちゃうぞっ!」

 黒いコウモリのくせに私を脅すつもりのようだ。

「どうぞ。できそこないの魔物の嘘を魔法使いが信じる、と思ってた? 好きなだけ言ってくれ」

 私の周りを飛ぶ。迷っている、迷っている。魔物との取引は、相手から条件を言わせなければならない。でないと、貧乏くじを引く。

 どうせ、目当てはあれだろう。

「干しイチジクくれればね、黙っててもいいけどね……」

「よし。取引に応じよう」

「だめ」

 悪魔っ子は、また目の前に飛んできた。握っている槍を左右に振っている。

「勇者は口がうまいから。このまえ干しイチジクくれるっていうから喜んだのに、食べられないヘタばっかりくれたの、覚えてるよね? ヘタも干しイチジクの実体の一部だって、変な屁理屈こねてさ」

 うん、昔のことは忘れた。

 いや、あったかもしれない。

 ああ、あった。しつこい奴だ。過ぎた話を蒸し返すとは、やっぱり女なのかっ!

「だからね、はっきりね、何個って条件つけてね……」

「わかった。飽きるまで何個でも食べさせてやる。どうだ?」

 翼の音を強くした悪魔っ子は、空高く飛んでいった。あいつなりに喜んでいるのだろう。たぶん……

 

 その日の夕食は、小麦粉の団子と干し肉と乾燥野菜の煮込みだった。焚き火をかこんで、三人で静かに食べた。西に日は沈んで、気づくこともなく夜になっていた。

 私の中の詩人が復活した。


 オアシスの夜。


 ときおり火の粉をあげる薪のまわりでは、夜の暗闇が静かに旅人の背中をいとおしむように包みこみ、かりそめの優しさで我らを漆黒の孤独へ誘おうとしていた。心のよりどころを絶やさぬように枯れ木をくべ、絆への熾き火を仲間とともに丹念につないでいく。

 空を見上げれば、黒い天球には悠久に輝く星が、地上に生きるひとときの儚い命を煌きをもって哀れんでいる。

 砂漠に疲れたすべての人に安らぎを与えるオアシスの木陰も、今は姿を消して自らの憩いのひとときを楽しんでいる。緑の木々は闇のなかへ人の目を逃れ、遥かにつづく明日へと備えて、音も無く眠りをむさぼっていた。

 砂漠の夜は変わる。


 市場の喧騒は街路を饒舌にさせ――――

 湧泉の水面は月影を孤独にして――――

 砂漠の沈黙は人生を寡黙にする――――

 樹木の青葉は木陰を泰然にせば――――


 爆ぜる薪を見つめながら、そ、をどうしようかと考えていると、悪魔っ子が飛んできて、干しイチジクをせがんだ。私の肩に乗って、うるさく催促しやがる。

 耳障りな声で――約束したよね――と言って髪をひっぱる。

 こいつにはオアシスの詩情も通用しない。

 イスハパンに駱駝の背中に積んである荷物から持ってこさせた。さすがは、戦士にして従者の家系、準備に怠りはない。袋から二個とりだして、私が食べた。ヘタは焚き火の中に捨てた。袋の口を閉じた。

「終わりだ」

「えっ? あたいの分は?」

「言っただろう。飽きるまで何個でも食べさせてやる、と」

「だから、食べてないってば」

「飽きるまでだ。私は飽きた。いつ――お・ま・え・が――飽きるまでといった?」

 悪魔っ子は肩の上で立ち上がった。翼を震わせているようだ。

 無視してやる。

「うそつき!」

 叫んで、ライデンの肩へ飛んでいく。悪魔っ子に飛びつかれて驚いているライデンの耳元でこちらを見ながら

「あいつらね……」

 しまった!

 あのときは動揺していて、こっちの条件を言い忘れた。このままではバレてしまう。

 私は全身をばねにして、悪魔っ子に飛びかかった。

 やったぜっ!

 逃げる寸前を左手でひっかけて捕まえた。暴れるコウモリの翼ごと胴体を握りしめた。右手は頭を握る。そのまま、ひねる。

 こきっ

 いい音がして、悪魔っ子の首の骨が折れた。ぐったりしたのを確かめて、砂漠の闇の中へ、焚き火の明かりが届かない遠くへ、投げすててやる。

 ざまーみろ。

 元の場所に座ると、ライデンとイスハパンが、おびえたような、咎めるような目で私を見ていた。

「心配するな。あれは死神の手下だ。朝日が昇るころには、よみがえっている」

 二人はほっとしたような顔になった。やはり、小さい生き物には愛着が湧くらしい。

「奴は……干しイチジクが大好きでね」

 魔法使いと戦士の顔が、焚き火の明かりを受けていた。四つの若い目が私を見ている。真実を教えてやった。

「イチジクの種を口の中で噛み潰すと、人間の魂をつぶすときみたいプチプチして、たまらないそうだ」

 悪魔っ子。こいつの役目は、私の魂が地獄に行かないように監視することだ。

 よく覚えていないのだが、最初の冒険で死んだとき、なにか手違いがあったようで生きたまま地獄へ行かされて、渡し船でいざこざを起こしてしまったらしい。なんとなく、生意気な口をきいた渡し守と喧嘩して、船底に穴をあけたような気がする。詳しくは覚えていない。

 怒った地獄の主からいろいろなところに回状をまわされて、私は死神にも名前を呼ばれなくなった。

 暦にも見棄てられた。

 私が本当に死んでしまうと、死神は特別な手続きしなければならない。と言って、生きて動きまわられるのも、まずい。日干しで動けなくするのが一番というわけだ。

 つまり、私を生かさず殺さずに見張るのが、悪魔っ子の仕事だ。

 奴はたいていは私の邪魔をしてくれるのだが、困ったことに、たまに助けてくれる。その言葉を信じるか信じないかは、信じたいか信じたくないかの内容次第で信じたくないときはないかもしれないし、あるかもしれない。

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