冒険者の帰還
冒険者の帰還
来た道を帰った。暗くなってきた岩棚では冷や汗をかかされた。
玉座の間にもどると、悪魔っ子が飛んできた。
「いたね。どぐされ勇者、どこに行ってた?」
不愉快な翼の音をたててうるさい。不愉快に答えてやった。
「財宝を見てきた」
「でも、持っていないね」
「心の中に大切にしまってある」
「ふーん、ね」
悪魔っ子は、人の心を見透かしたように鼻で笑っている。私は泣きたい気分をこらえた。コウモリの化け物にまで、小ばかにされた。
私は見栄っ張りな勇者なのだ。誰も見ていなかったら、悪魔っ子を追いかけまわして、翼をむしって、背骨をへし折っていただろう。すばしこいあいつを捕まえられれば、だが。
先頭を歩いていた魔王が振り返った。
「君らは移動の魔法で帰るのか?」
「そうだ」
「じゃあ、特別な部屋に案内しよう」
魔王は手をふって促した。私たちを連れて行く。悪魔っ子が魔王の頭に止まっていた。お気に入りの場所らしい。髪の毛につかまって楽しそうだ。
玉座のまえを通って通路に入った。何度か曲がった後、下り階段を降りると、小さな部屋に着いた。
「白魔法の部屋だ。魔力が強くなる」
開かれた扉から、中を見てみると、壁、床、天井がすべて白い漆喰で塗られていた。床には、良く焼いた石膏だろうか、いちだんと白い粉で線が描かれている。
二重の七芒星と十三の花弁を持つ花丸だった。
「どうだ?」
私は魔法使いに意見を求めた。
「すごい霊的な力を感じます」
「よし、では、ここから帰ろう。移動の魔法にかかってくれ」
魔法使いは、床の紋様を乱さないように服の裾を持ち上げて、結界の中心に立った。一人ずつ、同じようにして魔法使いのそばに寄り添った。
魔王は扉のところで別れを口にした。
「さらば、元気でな。……もう二度と来るなよ……」
「頼まれても、ごめんだ」
と、私は言った。
「さよなら」
「ず、頭突き。す、すごかったです」
魔法使いは手を振って、戦士も魔王へ別れを告げた。
「魔王殿……」
地理学者が呼んだ。私は一瞬、レンミッキが魔王との契約を切り出すのかと思って緊張した。
「広間で一角獣が突き刺さって動けなくなっている。後で抜いてもらえると有難い。あと、とても有意義なものを見せていただいた。深く感謝する」
ほっと息を抜いた。
「あたいもいっしょに行くね。勇者を野放しにしてると死神様からお仕置きね」
悪魔っ子が部屋に入ってきた。魔法使いは、天井で羽ばたく悪魔にとまどっているようにみえた。
「おい、おまえは邪魔になる。砂漠を飛んで行け」
そう言いながら、魔王は自分の禿頭を右手で叩いた。悪魔っ子は迷っていたようだが、結局、魔王に従った。三本の髪の毛にしがみついた。
「勇者、先に行って、あたいが行くまで待ってるね。いいことっ! 黙って勝手に動いたり……」
魔王は扉を閉じた。
静かになった。
私は魔法使いを勇気づけてやる。
「ライデン君。落ちついてやれ。君なら、きっと、うまくやれる」
仲間たちの目が魔法使いに集まった。しっかりとうなづいた。
「みなさん。心を鎮めてください」
ふう。
みんな疲れていた。駱駝の夜行軍、城塞の迷路、頂上からの眺め、多くの出来事があった。でも、もう終わりだ。街に帰り……どうしよう? 財宝はなかった。大金持ちへの夢は、はかなく消えた……
まあ、なんとかなるだろう。私の母が口癖のように言っていたとおりに、西瓜の屋台売りでもして、こつこつ稼ごうか? 埠頭で荷物運びでもしようか? でも、カロイドが攻めてきている。ここは戦争で一発当てて、大もうけを……
「はじめます」
魔法使いの厳かな声が部屋に響いた。
私たちは服を整え、姿勢を正して待つ。魔法使いは両手を上げると、口の中で呪文を唱えた。一区切りがついたところで
「目を閉じて、ビブリオの街を思い浮かべてください」
ふたたび、呪文を繰り返した。
魔法使いが子供のころから鍛えられ、祖母から母、母から娘に伝えられる秘伝の大技、移動の魔法がはじまった。魔力の消費が大きすぎて、生涯に一度しか使えない。魔法使いの腕の見せ場だ。
私は瞼の裏にビブリオの街を思い浮かべた。
突然、暗闇の中に街の城壁が浮かんできた。篝火が焚かれていた。戦さの準備だ! 城門には槍を手にした兵がいる。みな不安そうだ。ビブリオは劣勢だ、兵の数がたりない。そんな話が聞こえた、ような気がした。
魔法使いの詠唱がはじまった。
美しい言葉でビブリオの街を讃えていく。
「――――」
私は懐かしい夜を思い出した。
街のなか。建物の窓から明かりが漏れている。イスハパンの食堂兼酒場だ。客で混んでいて笑い声があふれている。その裏にはライデンの小さな魔法の店がある。恋の相談をする若い女たちで行列ができている。間に深刻な顔をした男もいて足踏みをしていた。商売の悩み事だろう。その横、中庭の暗い影には大きな木の樽があった。樽のわきで三人の子供がロウソクをもって、ひそひそ話をしている。魔法使いは魔物の力を語り、私は計略を練る。戦士はびっくりしたまま震えていた。三人とも手を重ねて約束した。大きくなったら砂漠へ!
冒険だ!
なれない酒を飲み、いっしょに踊り明かした魔法使いは祖母になり、喧嘩のとき助けてくれた力自慢の戦士はあの世へいった。私は……
あの懐かしい場所へ。私の母は、借りていた二階の部屋で、いつも頼まれごとの縫い物をしていた。船ごと帰らない父を待ちながら……
ライデンの詠唱が高くなった。ふわりと体が軽くなった。目を開ける。
夜のビブリオに着いた。建物の暗い影。いくつかの窓には明かり。
一歩踏み出そうとしたとき――――もとにもどった。
……城塞の白い部屋にいた。
地理学者、魔法使いがとなりに立っていた。戦士は? どこにもいない。ふりかえると後に戦士が立っていた。
「……ああ……だめ、失敗……」
ライデンの呻きにも似た、息を呑む声が聞こえた。呆然としている。
「どうした?」
「わかりません……何かに邪魔された?」
魔法使いは肩を落とすと、両手で顔を覆ってすすり泣きはじめた。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
私は、すぐ魔王のひっかけを理解した。魔法の部屋と偽って私たちを誘い込んだのだ。疲れて警戒心が薄れていた。かんたんに信じてしまった私の失敗だ。
けりをつけてやるっ!
短剣を抜いて部屋を出る。階段を駆け上がり、通路をぬけて、玉座の間に出た。
魔王は玉座にすわって悪魔っ子と遊んでいた。髪の毛を引っ張らせている。
私は叫んだ。
「汚い手を使ったな!」
レンミッキが私に追いついた。
玉座への階段を昇っていた私を、魔王は両手を上げて止めた。
「ちょっと待て。帰ったんじゃないのか?」
心の底から驚いているようだ。目を見開いた。
「移動の魔法に失敗した。おまえのせいだ。人をだまして、邪魔して、あざ笑うつもりだろう。でも、そうはいかない――」
言葉をつづけようとした私に、奴はきっぱりと首を横に振った。静かに諭すように話した。
「君たちの安全は保証した。約束は守る。すごい魔力を感じたから、てっきり成功したものと思っていた。……正直に言うと、城塞を荒らす人間には早く帰ってもらいたい。邪魔するわけがなかろう」
悪魔っ子が、私の頭のまわりをせわしなく飛びまわった。槍を握って空中で踊っている。
「へっへっへ、失敗、失敗。鰐さんと仲良くなってたからね。へへへ、可愛いあたいを無視するからだーよ。へっへへ。勇者ちゃんは帰れなくて干からびる。あたいは死神様からご褒美ね。やっほーい!」
鰐? 鰐? 鰐?
「悪運ドラゴン」
私と魔王は同時に気づいた。
そのとき、魔法使いを両腕に横抱きにした戦士も追いついた。
魔王は両手を打ち合わせて二度鳴らした。魔物たちがやってきた。
「悪運のドラゴンを探して、つれて来い。鰐だ」
魔王の命令に、魔物たちは走って出て行った。私はまだ泣きじゃくっている魔法使いに歩み寄った。
「君のせいではない。私のせいだ。悪運のドラゴンに魅入られた。みんなにも迷惑をかけた」
「そんな」
魔法使い、戦士がため息をついた。
私は玉座への階段に腰を下ろして、待った。レンミッキがそばにすわった。
「勇者よ。君の名は?」
僕女という生き物はこれだから、好きになれない。
まったく、のんきな奴だぜ。帰り道がなくなったのに。
私の名を知っているのは、母とライデンとイスハパンの家族だけ。私は謝った。
「自分の名前、好きじゃないんだ」
「かまわないよ。地名をつけるとき必要なのだ」
私は帽子を脱いでから、地理学者の耳にささやいた。彼女は感心したようだ。
「端麗な先行者か、でもザカルトベリ族とは聞いたことがない」
「ずっと北の、山ばかりの所だ。で、親父は船乗りになりたくて、ビブリオへ来た。まあ、変わり者の家系だな」
「そうみたいだね」
地理学者と目があったとき、やっと気がついた。私を落ちつかせようとして質問してきたのだ。金縁のめがねを鼻にのせた、深い褐色のやさしい瞳。
私は、これからのことに考えをめぐらし、牙の魔物から取り上げた短剣を鞄から出して、彼女に渡した。すぐ意味を悟ったらしく、何も言わずに受けとった。彼女は私に体を付けた。やはり、疲れているようだ。
レンミッキがさりげなく聞いてきた。
「どうする?」
「君たちは帰れる。心配するな」
ついでに、私も聞いてみた。
「ひとつ質問したい。どうして僕なんだ?」
「兄が五人いた。……私が、最後」
「そうか、なるほどね。すまなかった。……もし君が男だったら、良い相棒になれたと思うよ」
「無理を言うな」
レンミッキが私の顔をじっと見て、かすかに首を横にふる。ばかなことを言ってしまったと後悔した。
「すまない。少し眠らせてくれ。疲れた」
彼女は私の背中を優しくさすって元気づけてくれた。駱駝の夜行軍で、ほぼ二日ほど眠っていない。
そのまま、膝の間に顔を埋めて、しばらくまどろんだようだ。
騒がしくなって、目覚めた。
鰐が立っていた。魔物たちも集まってきている。
「鰐! 鰐ね! あたいを食べる!」
悪魔っ子が槍で指して、魔王の頭のまわりを飛びまわった。
頭をふって、すっきりさせる。これからが勇者の腕の見せ所だ。かたわらに置いてあった帽子をかぶった。
魔王が玉座から声をかけた。
「悪運のドラゴン、おまえは誰に憑いている?」
鰐の化け物は私を指さして
「お友達ですもの」
ああ、そう言えば、そんなことが……はっきり断らなかった……魔王は私を見た。
「どうだ。わしは何もしていない。ということで、君はどうする。まえと同じようにわしの魔法で砂漠に置き去りで良いか?」
私は考えた。三つの課題があった。
一 仲間を街にもどす
二 私が日干しにされるのを防ぐ
三 カロイドとの戦争に勝ち、ライデンを守る
いまは魔王が有利な立場だ。取引の条件は、私のほうから申し述べなければならない。まず、鰐に語りかけた。最初に悪運を断ち切っておかないと。
「そう。友達だったな。君はカロイドのアル王についてくれ。そうしたら仲間だ。いっしょにビブリオに行こう。川には、君に似た生き物がいっぱい住んでいる。きっと友達が増えると思うよ」
魔王は意外という顔をしていた。鰐は考えこんで、首をひねってから答えた。
「いいわ。何かのご縁がありそう」
「よし」
三は解決の糸口がついた。あとは一と二をいっしょにかたずける。
私は、深く息を吸い込んでから、魔王に取引の条件を示した。
「君の魔法で、私たちを安全にビブリオに帰して欲しい。そのかわりに、戦争のあと飽きるまで、私が日干しになってやる」
私は待った。
長い時間に感じたが、実際は一瞬だったかもしれない。魔王は真剣な表情でうなづき……かけたように見えた。
だあああぁぁああぁぁめめめめめぇえぇぇぇぇえっえっえ
……だめだ。
いつもの冴えがない。あせりすぎた。干しイチジクを玉座の間の反対側に投げておけば、すべてはうまくいったのに。やっぱり疲れていた。悪魔っ子を計算に入れていなかったのが、私の失敗だった。
奴は天井の近くから降りてくると、魔王の肩に止まった。
「ちょっと、待つね! 魔王様、魔王様、勇者のいつもの手ね」
魔王の耳元で早口でなにか告げている。ひそひそ話し……
こちらを向いた魔王の厚い唇の両端がつりあがった。笑っているのかも知れない。いや、笑っていた。
「勇者よ、とても良い手だ。こんどわしも使わせてもらう」
私は、二をあきらめた。
私は潔い勇者なのだ。
レンミッキが私の袖を引いて、後からささやいた。
「城塞の水を使え……西の湖に出て……五日分の水があれば」
気遣ってもらうのはありがたい。でも、いまの私にはよけいなお世話だった。戦乱が迫っている。時間がない。
「私たち四人を安全にビブリオに帰せ。カロイドとの戦争が終わったら、私が日干しになってやる」
魔王は細かいことは言わなかった。
「よし。約束だ」
それから、魔王の命令で、玉座の間に結界が作られていった。木炭に硫黄を混ぜた黒い粉で床に二重の円が描かれた。円と円の間には波線が作られ、四角を二つ組み合わせた八芒星が書かれた。私たち四人と一匹は中心に立っていた。
その間、魔王は悪魔っ子とおしゃべりしていた。私を日干しにする相談のようだ。
いろいろな魔物たちが、ぞろぞろと集まってきた。
魔王が立ち、手を広げて魔物たちを静めた。赤い顔、蒼い体、色とりどりの服を着た魔物たち。物音ひとつしなくなった。
静かに移動の黒魔法がはじまった。
「むーーーーん」
魔王が、口の中で歯を鳴らした。
「むーーーーん」
玉座の間を埋めた魔物たちが同じように応えた。
魔王 「むーーーん」
魔物たち「むーーーん」
一定の間を取って、繰り返していく。人狼クトルブが縦切り半分のナスナースと肩を組んでいた。ドヴァルパーと牙の魔物もいた。キンタウラスは頭のたんこぶを撫でているようだ。
ばらばらだった魔物たちの調べは、だんだん一つになり、徐々に高くなっていった。魔物たちの魔力が合わさり、一つになった。
「むーーーーーん」
「むーーーーーん」
そのとき、私はとんでもないことに気づいた。
私が魔王を鎖から解き放ったとき、悪魔っ子は先に来ていた。イブリーズには充分、考える時間があったはずだ。
もし、本当の財宝を守るために、城塞の頂上からの眺めを財宝として、取引することを思いついていたら……だまされたかも知れない……なぜ、私は――君なら意味は分かるだろ――といわれて、景色が財宝だと素直に納得したのか? 悪運ドラゴンの不運はいつから私に? ちがう! 魔王は最初に……あのとき、思いきって……
「むーーーーーーーーん」
「むーーーーーーーーん」
魔物たちの調べは、一気に高くなった。体が軽くなったような気がした。魔法使いは戦士に抱きついたようだ。
魔法の発動だっ!
待ってくれ! と口から出かかったとき
「鰐さん、きらぁーーい。でも、あーたいも、いっしょにぃーーー」
悪魔っ子の間の抜けた声とともに 私たちは夜の街に帰った。
着いた場所は、ビブリオの大通りだった。篝火があちこちで焚かれていた。私の帽子にしがみついていた悪魔っ子はすぐ、暗闇のなかへ飛んでいった。
もう、もどれない。
気を取り直して鰐にはしゃべらないように口止めした。黙っていれば、魔物には見えない。
疲れた体を引きずってイスハパンの食堂に行った。戦士の父が待っていた。再会した親子は堅く抱きあった。ライデン、レンミッキ、そして、財宝を持ち帰れなかった私にも、何度も礼を言う。母も出てきた。同じように息子の無事を喜んだ。
砂糖で甘みをつけた熱いお茶でもてなしてくれた。
裏手のライデンの店は、まだ空っぽだった。
戦争の情勢を聞くと、ビブリオは篭城するつもりらしく、カロイドの軍は舟橋を渡り終えて集結中だと教えられた。兵糧の運搬に手間取っているようだ。
私たちはその夜、戦士の家で綿のように眠った。