君なら意味はわかるだろ?
君なら意味はわかるだろ?
魔王の戦いは終わった。そして、私たちの目的の一つも達成された。
「よし、皆の衆。後片付けをすませて、持ち場へもどれ」
復活した魔王は玉座の間にいる魔物たちに命令した。負けたシャイターンは、いままで部下だった魔物に魔法の鎖でぐるぐる巻きにされて、どこかへ運ばれていった。
魔物たちが散っていく。疎らになった。
座っていた魔王イブリーズは、上から私たちをじっと見ていた。レンミッキを指差す。
「この前のとき城塞を荒らしてくれたのは三人だった。こちらのお嬢さんは?」
「僕は……地理を勉強している者だ」
奴は、ゆっくりとうなづいた。魔王は意外と冷静だった。一目でレンミッキを女と見抜いた。でも、一角獣の件もある……私は左手で短剣の鞘を握った。おかしな動きをしたら、飛びかかって、禿頭の三本の毛を突き刺す。どれかに『命の泉』があるはずだ。
そして、地理学者が魔物への密使なら……刃はどちらへ向ければ良いのだろう?
「ふむ、勇者よ、そう殺気立つな。助けてもらったことだし、約束は守る」
魔王は潰れた顔を歪めた。笑ったのかも知れない。
「財宝を見せてやる」
「ふざけるな。見せるだと?」
――財宝を見せて、さあ、さっさと帰れ――私は自分でも声が荒くなるのが分かった。
両手を上げて魔王は私を止めた。
「すまん。……財宝をおまえにくれてやる」
軽く笑ったあと、もったいぶって立ち上がると、階段を降りて、玉座の間を横切りはじめた。付いていく。途中で壁のくぼみに置いてあったランプを手にして灯を点した。
左手の壁に行き当たった。魔王はランプを上下左右に振ってから、口の中で呪文を唱えたようだ。暗い入り口が開いた。
魔王は振り返った。
「おっと、悪運ドラゴン、おまえはだめ」
私たちに付いてこようとした鰐を止めた。鰐は手をふって見送ってくれた。
四人で魔王につづいた。私、魔法使い、戦士、学者の順だった。
平らな通路を歩いてから、昇りの階段についた。下に行くものと思いこんでいた私には意外だった。かなり昇っていく。
「気をつけろよ」
木製の扉を開けた魔王が、私たちに呼びかけた。明るい。太陽の光。空だ。ああ……
自慢ではないが、私は高いところが苦手な勇者なのだ。勇気で克服して、他人には知られていないが……
外に出た。扉の向こうの一歩さきは、すぱりと切れ落ちている。石を落とせば、途中で当たることもなく下の砂漠まで一直線だ。めまいがしそうな高さ。
その城塞の岩肌に左斜め上へ行く狭い岩棚があった。歩幅ほどの狭さだ。表面には、足を置く場所に窪みが刻まれていた。魔王はゆっくりと登っていく。
左は城塞の黒い岩。右は見たくない。でも……
城塞の短い影が砂の上に落ちている。この岩棚は南側だ。慎重に登っていく。
岩棚の尽きるところに、また洞窟が掘ってある。木の扉をくぐって、城塞の中に入った。登りの通路、そして急な階段を昇っていく。先頭の魔王が持つランプの光が揺れた。
空気は乾いている。
途中で何度も踊り場で、方向を変えた。ハシゴまで使った。
どれくらい登ったのだろう。どこに行くのか? 魔王にだまされた? 私の中で疑念が湧き上がったとき
「着いたぞ」
魔王の声がした。階段が尽きている。魔王は横の扉を開けた。また、太陽の光が入ってきた。
急いでたどり着き、外に出た。空が広がって、陽射しが目を焼いた。
城塞の頂上だった。
仲間たちも駆けあがってきた。
「どうかね? この眺めは? 城塞の財宝だ。楽しんでくれ」
魔王はまじめな顔で言った。
「すばらしい」
うしろから地理学者の声がした。私は押しのけられた。
学者は服のすそを翻しながら、角張った岩がごろごろしている頂上を走っていく。岩角から岩角へトビネズミのように跳んでいく。北の端まで行ったまま立ち尽くした。
私たちも行ってみる。
すぱりと切れ落ちた岩の上。
眼下には砂漠の砂色が広がっている。上には青空が輝いている。その境目に白い波があった。雲ではない。もっと白い。地平線の青い霞に溶け込むようでいて、頑なにそれを拒んでいる。波立つように、そして動かない。
「山、雪だ……雨が凍って固まった」
地理学者レンミッキは呻いた。
「そう、北部山脈。君たち人間は……たしかウスト……」
「アウストラルス山脈」
魔王と地理学者はお互いの知識を補っていた。
「あの山脈に大きな川の源がある、と聞いた」
「本当か?」
疑りぶかい地理学者は念をおした。
「うわさでは、そうなっている」
魔王はうなづくと、西を指差した。
「もっと良いものを見せてあげよう」
魔王は優しかった。みんなを連れて西の端に案内した。
城塞の頂上はほぼ円形だったが、東西に少し長かった。いくつもの起伏があって、その窪みに大石がばら撒いたように埋めらていた。
平らな砂漠に突き出た黒い島、それが城塞だった。砂漠の秘密と地理を知るには、絶好の場所だった。
東に岩の高台がある。屋根を架けた四阿のようなものが建っていた。そこに動くものがいた。二匹。見張り番長だ。私が片手を上げると、奴らも応えた。
それから仲間の後を追って、城塞の頂上、西の端に歩いていった。けっこう遠いぜ。
なんてこった! 城塞がこの世界の西の果てだと思っていたが、さきには、まだ世界が広がっていた。
私は地理学者の後ろに立って景色を見た。下には砂漠があった。そして、それは遠くで盛り上がり、高原になっていた。高いところにはうっすらと白い雪、その麓にはかすかに緑が。
草か? でも北の山脈よりは近い。
「よく見ろ。砂漠が盛り上がる寸前のところ」
魔王が腕を伸ばして指した。
目を凝らしてよく見た。
黒い線? 緑の点?
いや、湖だ……
「すばらしい」
地理学者が振り向いて、私を見た。目が輝いていた。新しい知識をまえにして、興奮を抑えきれないようだった。
「何物にも換えがたい景色だ。千金に値する」
地理学者の言葉を聞いて、私は心の中でつぶやいた。
ああ、そうだろうよ。君の知識は正しかった。でも、私は千金のほうが欲しかった。確かに、ここからの景色美しい。でも景色よりも、金銀財宝が……
戦士と魔法使いも高みからの景観に見とれていた。
それから、ごつごつした岩を乗り越えて頂上の南にまわった。こっちには何もない。下には砂漠がつづいていた。
「はるか彼方に、山があると聞いているが、わしも見たことはない」
魔王がつぶやいた。
「冬にはルフ鳥がここに飛んで来る」
東へ。
十段ほど登って東にある岩の高台に出た。四阿の屋根で日陰ができていた。二匹の見張り番長が立ち上がった。二人とも良く似た顔をして、同じような服を着ている。
長い髪と顔の半分以上の大きな目をしていた。鼻は小指の先ほどで、口は親指の爪くらいの大きさだ。唇はとても薄い。あごがするどくとがっている。
ふんわりとした、でも体の線が際立つような薄い白布の服を着ていた。胸元には赤い布を飾って黒い靴をはいていた。異国風のいでたちなのに、見た目は、はっきり女の子だ。
そのうちの一人、緑の髪で赤い目の見張り番長が戦士イスハパンのまえに立った。
「あ、あ、あの、さ、砂漠の彼方からキスされて、あのときから、す、す、好きになりました。責任とって、お、お嫁さんにしてください」
頬を染めて下を向いた。
「あ? えっ? ……うぅ……あぁ……」
口数の少ない戦士は、呆然としていた。落ち着きを失くして、いい訳を考えているようだ。
魔法使いが肘で戦士をつっ突いた。
見張り番長は舌を出した。
「冗談でーーーす」
二匹の魔物は小さな口に手を当てて笑い転げた。もう一匹は桃色の髪に緑の目をしていた。見張りに飽きて暇を持て余しているようだった。
東には何もない。岩塔の盆地も赤黒白の大地も見えなかった。遠すぎるのだろう。
四阿の日陰で休憩した。水筒の水を飲んで、ナツメと干しイチジクを食べた。魔物たちにも干し肉を薦めたが断られた。人間のものは口に合わないらしい。
まわりは、ぐるりと見事な景色に囲まれている。北には山並み。西には高原と湖、南と東は果てしなく砂漠がつづいていた。
すばらしい眺めだ。話にも聞いたことがない。でも財宝が……ため息が出た。
「城塞の高さは?」
地理学者は魔王に聞いた。
「うーむ?」
魔王も知らないらしい。地理学者は四阿を出て、頂上の縁まで行って、下を覗き込んだ。帰ってきて、また魔王に
「西の湖までの距離は?」
「……それは秘密だ……」
魔王は腕組みして笑った。西から、そよ風が吹いて、魔王の三本の髪の毛を揺らした。
地理学者は立ち上がると、頂上の西を目指して飛び出していった。
小さい体なのに元気だ。
私は水を飲んで、ため息をしずめた。たしかにここは良い場所だ。胸の中を風が通っていく。水さえあれば一晩ここで眠りたいくらいだ。
水?
そうか、途中で放した駱駝がビブリオに帰らない理由がわかった。
西の湖。
そこからの水の臭いにつられていたのだ。
私も立ち上がって、歩きにくい頂上を横切り、西の端に行った。縁から下をのぞいていた地理学者が寄ってきて質問した。
「距離は?」
同じことを考えていたようだ。
「ここから、駱駝で五日……六日あればたどりつける」
私は推測を述べた。
「アルの使者はこっちから、来たのかもな。シャイターンと連絡をとって、魔物の力を借りることにした……君の役目も同じだろう?」
地理学者はまえを向いた。
「新しい魔王は封じ込められた。もう用はすんだ」
私は確かめた。
「なあ、財宝は?」
「しつこいな。あきらめろ」
きらりと光る目で睨まれた。
「古文書には虫食いがあって読めない場所がある。何々は何々で黄金を何々しても換えがたい、そんな意味だ。この絶景を見ろ。君なら意味はわかるだろ?」
ああ、意味はわかる。でも、そんなことを説明しても、ライデンの祖母は信じてくれない。たっぷり嫌味を聞かされて、言葉の剃刀で切り刻まれて、私は夜も眠れなくなるだろう。どうしよう……
それから、日が傾くまでみんなで景色を眺めた。地理学者はうろうろしては立ち止まっていた。書き物をしては景色を確かめて、遠くの山を目に焼き付けようとしていた。戦士と魔法使いは並んですわっていた。
魔王が言った。
「さて、勇者よ。財宝はくれてやる。もって帰っても良いぞ。好きにしろ」
「遠慮しとくよ……」
「うん、そうだな。日没も見せてやりたいが、暗くなると、あの岩棚が通れなくなる。もどろう」