復活
復活
私は勇者だ。
本人が言うのだから、間違いない。胸を張って言える。
では、なぜこんな場所で、からからに干からびているのかって?
それは、あいつとあの女と悪魔っ子と魔王とちょっとしたヘマと砂漠のせいだ。
とくに砂漠。
はっきり言って、君は陽射しが強すぎる。一年三百七十八日、毎日晴れやがって!
よく飽きないものだ。私は飽きたぞ。縛られたまま日干しになって動けないから、空を見上げるしかやることがない。明るくなって、青くなって、暗くなる。夜には輝く星も月もあるけれど、もうちょっと、雲とか虹とか変化が欲しい。気まぐれな砂嵐は、私の体が埋もれてしまうから、もうやめろ。
雨なら大歓迎だ。復活できるからな。
と、思っていたら、誰か来たようだ。駱駝の走りよる足音がする。
野太い声がした。
「ま、魔法使い様、これです」
なに? 魔法使い? 二人づれ?
ちょっと違っているようだが、いいぞ、はやくしてくれ。
大男が駱駝から降りて、そばに膝をついた。砂をかき分けて、砂漠の中に半分埋まっていた私の体を掘りだした。
「この人に水をかければ……」
「は、はい、そう聞いています。魔法使い様」
大男の隣に立った魔法使いも、砂漠用の分厚く白い服を着ていた。
上から私を見て顔をそむけた。まあ、今の私は干からびていて、あまり見た目も良くないだろう。当然の反応だ。
ほんとうは水も滴っちゃう良い男なのだが、いまは肝心の水気がない。
だから、はやく。
魔法使いの女の子は、いったん視界から消えた。大きな水袋を両腕で胸にかかえて帰ってきた。重さでよろめく。危なっかしい。大男がいっしょに水袋を支えると、栓を抜いて、私の乾いた体に水をかけてくれた。
うっひょー。
やった。
この感じっ!
生きかえるぜ!
「う、あ、もう、少し、ゆっくり、と水を……大事な、体、なのだ」
まだ動きにくい口で二人に注意すると、次の水袋からは、ていねいに水を注いでくれた。大男が、短剣で私を縛っていた縄を切ってくれた。
うう、久しぶりの自由。
体を起こして、手足を動かしてみる。まだ、ぎこちない。首を回してみる。きしる音がした。
「水をくれ」
私の頼みで、魔法使いが駱駝に駆けよって、水筒をもってきた。
この味はなつかしいビブリオ川の水。心ゆくまで飲んだ。水筒はすぐ空になった。
頭をふった。濡れた髪の毛と服は、みるみる乾いていく。砂漠も水を欲しがっていた。
「諸君。ありがとう。勇者は復活したぞ」
髪をなでつけて立ち上がり、両手で顔を確かめた。うん、元通りのいい男だ。
私は女の子の視線を釘付けにする勇者なのだ。
おっと、立って高いところから見直すと、久しぶりに景色が変わった。明るい黄色の砂。風のあとが残って、岩も散っている。西には日干しになるまえに気になっていた小さな砂丘が連なっている。ところどころに緑の塊がある。南は蜃気楼? 地平線が揺らいでいた。
復活した私は両足で砂漠を踏んでやった。
屈伸運動をする。水を吸い込んだ体は調子が出てきた。ただ、口と舌はまだ調子が悪い。練習をかねて魔法使いの女の子に話しかける。
この子、面影が似ている。いや、そっくりだ。でも若い。
「君、ライデンの孫だろ。歳はいくちゅ?」
「十五です」
うれしいね。魔法使いが十五なら、出発まで三年遊べるぜ。でも、定めの年齢になっていない魔法使いの孫が、なんでここに?
まあ、いいや。とりあえず、しゃべって動きまわれる。これ以上のぜいたくはない。
軽く咳払いした。まだ、舌がかろく廻らかってくれにゃい。
「しゃ、しゃ、さ、さ、砂漠は街で暮らすより三倍も速く歳をとる。乾燥がチビしいからな。さあ、君もこんな場所はイヤだろろろ。急いで街へ帰るぞろ。……君の美貌とお肌の健康のためにも日焼けは避けるべきだ。さあ、砂漠とはおさらばして、街へ行こう!」
復活した私の胸は躍った。
ビブリオの街にもどり、この娘が定めの歳になって出発できるまで、酒と食事と女で英気と体力を養う。金さえあれば極楽な毎日だ。二十年ちかく日干しになっていたあとには、たまらねー。
街に着いたら、まず、行きつけの食堂で金貨を五枚せびる。それを持って博打場にいけば、すぐ二十倍だ。借りた金は返す。私はまじめ勇者だからな。それから、食って飲んで唄って騒いで、もちろん、きれいなお姉様やいたずらな妹たちともお喋りして……あと、サイコロでイカサマをやったあいつには仕返ししないとな、私の夢を壊しやがったし、やられっぱなしじゃ男がすたる。生きているなら後ろから背中を押して、下水溝に叩き込むか、それとも路地の陰から闇討ちにしてやろうか……死んでいたら……墓石に悪口を刻んでやる。
私は律儀にしつこい勇者なのだ。
それから、あまった金で駱駝を準備して城塞へ。山ほどの財宝が私を待っている。魔物さえやっつければ、私のものだ。その金で貿易船を雇って、一気に五倍、十倍、百倍……私は世界一の金持ちだ。
おお、故郷の街ビブリオよ!
砂漠と海をつなぐ交易都市。広場には西瓜売りと冷やし胡瓜の屋台が並ぶ。目ざとい物売りのかけ声をかいくぐり、建物の日陰を伝って港に立てば、白い帆影と潮の香りに心が騒ぐ。
街の賑わいに、砂漠の隊商はひとときの安らぎを覚え、船乗りたちは出帆を思いとどまる。自由にしていかがわしい裏通りと喧騒にして人懐こい路地が私を待っている……怠惰にして余計なことばかりする役所は潰れてしまえ!
砂漠の彼方を見つめて、これからのことをいろいろ思い浮かべていたら、十五の魔法使いが遠慮がちに話しかけてきた。
「あの……」
「どうした」
「ビブリオの街は奪われました」
娘は静かに言った。
……そんな……
私が砂漠で干からびている間に、ずっと思い浮かべて、楽しみにしていたのに。
二人を見た。大男が首を縦にふっていた。
では、なつかしい街は……私は問いかけた。
「君の父上の食堂、凶状持ちの赤い月は黒い監獄を照らす亭は、無くなったのか?」
大男は激しくうなづいた。でかい体に悪人顔……戦士イスハパンの子だ。親父もデカかったが、こいつもまた、それに輪をかけて大きい。堅肥り、筋肉の塊、容貌魁偉って言葉は、この男を見れば理解できる。
あそこは夜になれば、良い酒を出してくれたのに、もったいない。
魔法使いの娘を見た。
「では、ライデンの夜香蘭と千日紅の魔法ブティックよん、も、消えた?」
「ビブリオ川の上流に場所を代えて、ほそぼそと」
ライデンの孫が答えた。
こいつの祖母が作った『一夜の恋に使えるかもペンダント』は、嘘っぽいのに効き目抜群だった。後から買った『金貨と黄金お風呂でブレスレット』は、まるきり効かなかったぜ……高かったのに。
それは良いとして
「では、驕る乙女と恥じらい巫女たちが見事に咲き誇りまする夜明かし横丁ビブリオ楽園がんばってます本店も……なくなったのか?」
イスハパンとライデンが顔を見合わせてから、あいまいにうなづいた。
うーむ、健全な青少年にはなじみのない場所だから、知らなくても仕方ない。でも、青い目のお姉さまや褐色の肌の妹たちともお別れか……
ここまでくると、嫌なことも覚悟して、どうしても聞かなければならない。
「街の人は……みんな無事だったのか?」
「さ、ささ、幸い、けが人は出ませんでした。でも、か、体ひとつで街を追いだされて、みんな、ちりぢりばらばらに」
とりあえず、良かった。
「それで、君たちは何をしていたのだ? 傭兵隊は?」
私は大男を睨んでやった。図体ばかりでかくて、役立たずめ。私の遊び場所がなくなったじゃないか、大金持ちになる計画もつぶれてしまった。
「あの、魔物が急に現れて……傭兵隊は勝ち目がないということで引き上げてしまって、市長様がみんなに避難の命令を」
「魔物? 砂漠の悪霊が街を奪ったのか?」
「はい」
答えたライデンの孫を、改めて見た。服に付いている頭巾をかぶっていた。砂漠の日差しで濃い影が顔を覆っていたが、引き締まった唇と濃い灰色の瞳に出会った。
祖母の若いときに似ている。違いは髪、褐色だ。
灰色の髪の祖母は、頑固で我がままで踊りがうまくて気まぐれでめったにいない優れた魔法使いで、やたらと男をその気にさせるのに、ヘタに手を出すとこっちの骨を抜かれてそのまましゃぶられてしまう性格だったけれど、魅力的でしなやかな野獣だったね。
ついでに母親は、物知りで知性と正義感が強すぎて融通がきかない堅物の理屈屋で、一つ文句を言うと十倍になって返ってきて、よく喧嘩をして私をへこましてくれたけど、魅惑的でしとやかな家猫だった。
この魔法使いが二人の血をひいているなら、やっかいだが、まあいい。
とりあえず出発しよう。砂漠で立ち話は好ましくない。
魔物が人間の街を攻めてくるのが異常なら、信用第一の傭兵隊がすごすごと引き下がるのもおかしい。門を固めて城壁の上から矢を飛ばしていれば、負けないはずだ。
ビブリオの紋章は、攻城槌にまたがり、知恵のランプと三本の矢を握る雄鶏だ。誰にも征服されない自由都市の証ではないか。
裏に計略がある。何か分からないけど、きっとある。ゆっくり聞いたほうが良い。
出発のために、私も勇者の身支度を整えなければ。
無粋な格好で街へは行けない。
私はおしゃれな勇者なのだ。
「戦士にして従者の子よ。預け置きたる勇者の印、我が帽子をくれ」
イスハパンに言うと、思いがけず、ライデンの孫が駱駝の背から大事そうに、大きな箱を持ってきてくれた。ずいぶんやる気だ。大男の戦士よりも役に立つ。
薄い板で作られた箱をあけた。
なかには私の大きな毛帽子が入っていた。
大事に取り出して両手で振った。寝ていた毛の間に空気が入って、ふんわりとなった。肩幅ほどもある純白の帽子。これと黒い服は地平線の彼方から見ても分かる勇者の印……
あれ? 心の中でつぶやいた。
イスハパンの父に預けていたあいだに、ヤクの毛が少し黄ばんでいる?
つやも少なくなったような?
まあ、もとからだいぶ古くなっていた。質屋の店先で見ていたら、そこの主が、この帽子は三百三十三頭の白いヤクの尻尾の毛を集めて、たんねんに作られた一生ものの絶品と薦めたから、その気になって質流れを安く値切って買ってやったのだが……まあ、いいか。
私は細かいことは気にしない勇者なのだ。
帽子を被って、またおごそかに言う。
「魔法使いよ。預け置きたる勇者の証、我が短剣をくれ」
「あの、箱の底に、いっしょ、に」
ライデンの孫は冷たく答えた。私の才能を疑っているかのようだ。不満そうな態度は、この子の母を思い出させる。
箱の中を良く見た。
なるほど、箱の底で絹に包まれていたのはこれだったか……それなら、はやく言ってくれ。取り出して解いてみた。銀の鞘に宝石をはめ込んだ短剣が出てきた。取り上げて日の光にかざした。
何、これ? 心の中でつぶやいた。
魔法使いの母に預けておいたのは、これだっけ? 勇者の短剣にしては、ずいぶん安っぽい。表は真鍮に銀箔を張ったみたいだし、宝石はガラス玉のようだ。もっとかっこよかったのに……
古道具屋にあったこれを手に入れるために、私がどれだけ苦労したことか。サイコロに鉛を仕込んで七の目を二十回つづけて出したら、バレそうになったこともある。
まあ、いいや。
勇者の真髄は見かけや装備ではなく、中味にこそ、ある。
短剣を帯に吊るした。準備は整った。
私は宣言した。
「ビブリオへ向かう。とりあえず街を奪い返してから、魔王の城塞を考えよう」
ライデンの孫が顔を輝かせた。その笑顔は朝日をいっぱいにうけて、透きとおるブドウの若葉を想わせた。あしたへのかほりがした。充分な報酬をもらった。
そして、イスハパンの子が遠慮がちに口をはさんできた。
「ゆ、勇者様、あの、俺、イスハパンの三代目で……親父がぎっくり腰に、で、お、俺が、来ました。よろしくとのことでした」
孫かよ! 言われてみれば、ヒゲが薄い。
ということは、まだガキなのにこの図体か? 末恐ろしい奴。
「勇者で良い……ところで、歳はいくつだ」
「十七で」
なら、充分だ。
初めて冒険に出かけたのは、私が十九、ライデンの祖母が十八、イスハパンの祖父が十七のときだ。暦に見棄てられた私が変わらないあいだに、月日は過ぎた。
移ろいやすい人は流れていくが、真理は変わらない。
私は冒険の師匠に教わった、かっこいい言葉を口にした。
「男の価値は歳ではない。力の強さでもなく、稼ぎの多さでもない。服の着こなしでもなく、女にモテるか、でもない。顔の良さでもなく、背の高さでもない。それは、勇気の量で決まるのだ! ……祖父さんみたいに私を置いて逃げるなよ」
灰色の服を着て腹には黒い帯、たてにつぶれた帽子を頭にかぶった従者がどもりながら言った。
「じ、祖父さんは、じゅ、充分、反省してました」
「おお、達者でいるか?」
「あの世で、おそらく」
見かけと違って、なかなか礼儀正しい戦士だ。
駱駝に乗って三人で出発した。