第74話:管轄外の龍と、江戸の裏帳簿
新宿の地下から響く断続的な地鳴りは、収まるどころか徐々にその周期を早めていた。
久我コンテナ・フォートレスの内部も小刻みに揺れ続けているが、壁に両手を突き、魔力を張り巡らせているガルのおかげで、棚の書類一つ落ちてこない。
「……ガル主任、出力は安定していますか?」
「はっ、久我殿。この程度の揺れならば、三日三晩でも建物を支えきってみせます」
久我良平はガルの頼もしい返答に頷き、揺れる水面を見つめながらコーヒーを啜った。
「あの、久我さん。一つ聞いてもいいですか?」
結城陽菜が、スラちゃんを抱きかかえながら不安そうに口を開いた。
「地下の魔物がすごく強いなら……前に深層で契約した、あのストームドラゴンさんにお願いできないんですか? あの方なら、きっと一喝で……」
「却下です」
久我はカップを置き、即答した。
「結城さん。あの方は『空』と『嵐』を司る存在であり、地下の地脈は完全に管轄外です。クリーニング屋に水回りの修理を頼むようなものですよ」
「で、でも、ダンジョンの深層にいるなら、顔見知りとか……」
「キャン!(ボスは筋を通す男だ! ズルはしないぞ!)」
クラが陽菜の足元で誇らしげに吠えた。
「クラの言う通りです。それに、私はあの方と『深層で静かに過ごし、騒音や破壊活動を控える』という契約を結びました。私が彼に武力介入を頼めば、自ら顧客にコンプライアンス違反(契約破り)を唆すことになります。……三流の事務屋がやることです」
久我が淡々と切り捨てると、エレナが納得したように頷いた。
「確かに、それではギルドの専務理事と同じになってしまいますね。私たちが守るべきは『法とルール』ですから」
「ニャ~オ(せやせや。他所のシマの喧嘩に首突っ込むんは、長生きできへん業者の典型やで)」
キャットタワーで丸くなるコトの言葉を他所に、部屋の隅から悲鳴のような声が上がった。
「……出た、出ましたよ久我さん! でもこれ、現代の法律じゃない!」
CTOの佐藤が、血走った目でマルチモニターを指差した。
画面に映し出されているのは、エクセルやPDFではない。和紙に墨で書かれた、筆書きの古文書のスキャン画像だった。
「気象庁のデータから国土交通省の地下開発図面を洗い、さらに国立国会図書館の非公開デジタルアーカイブまで潜りました。……これ、江戸時代の寺社奉行が記した『裏の土地台帳』です」
佐藤が画面を拡大する。そこには、現在の新宿にあたる「内藤新宿」の地下図面と、赤い印が押された奇妙な書状が映っていた。
「……『大深度不可侵条約および、借地更新の覚え書き』」
久我がモニターの文字を滑らかに読み上げる。
「えっ? 借地……って、誰から借りてるんですか?」
陽菜が目を丸くした。
「もちろん、元々そこに住んでいた『地主』からです」
久我は手帳を取り出し、ペンを走らせた。
「佐藤君、この契約の更新頻度と、最後の更新日は?」
「ええと……『百年に一度、地脈の淀みを清め、供物を捧げること』。最後の更新記録は……明治三十年。それ以降、書類が途絶えています」
「つまり、百三十年以上、家賃(更新手続き)が滞納されているわけですか」
久我の目が、ビジネスチャンスを見つけた狩人のように細められた。
「キャン、バウッ!(ボス! 下のやつ、すっげぇ怒ってる! 『人間ども、約束が違うぞ!』って叫んでる!)」
床に耳を押し当てていたクラが、尻尾を立てて翻訳(?)した。
「プルルッ!(ドリルがうるさい、寝られない、って怒ってる!)」
スラちゃんも同調するように震える。
「……なるほど。家賃を百年以上滞納した挙げ句、挨拶もなしに頭の上で大規模な掘削工事を始めた。これでは、どんなに温厚な大家さんでも激怒して当然です」
久我はアタッシュケースを手に取り、スーツのボタンを留めた。
「ゼネコンや行政は『魔物が出たから駆除しろ』と考えているでしょうが、法的に見れば、彼ら人間側が『不法占拠者』であり『契約違反者』です」
エレナが真剣な表情で立ち上がった。
「久我さん。コンプライアンスの観点から言えば、まずは直ちに工事を停止させ、地主様への謝罪と未払い賃料の交渉に入るべきですね」
「その通りです、エレナ室長。さすが、飲み込みが早い」
久我は満足げに頷いた。
「佐藤君、この古文書のデータを私のタブレットに転送しておいてください。交渉の『強力な武器』になります」
「了解です。……でも久我さん、相手は江戸時代から地下にいるバケモノですよ? 書類を見せて『はいそうですか』って引き下がりますかね?」
「引き下がらせるのが、私の仕事です。……結城さん、クラ、コト。現場へ向かいますよ。今回は『謝罪代行』および『契約更新の仲介業務』です」
「はいっ! 行きます!」
陽菜がクラを抱き上げ、コトが優雅に久我の肩に飛び乗った。
「ガル主任。エレナ室長の護衛と、事務所の維持を引き続き頼みます。ゼネコンやギルドの人間が嗅ぎ回ってくるかもしれません」
「……御意。この城とエレナ様は、指一本触れさせません」
揺れ続ける新宿の街。
悲鳴を上げて逃げ惑う人々の波を逆行するように、黒いスーツの男と、一風変わった現場調査員たちが、陥没した地下鉄構内へと向かって歩き出す。
力でねじ伏せるのではなく、法と歴史で地主を黙らせる。
前代未聞の「大深度地下・不動産交渉」が、今、幕を開けた。
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次回お楽しみに。




