表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【2部完結】現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜  作者: ぱすた屋さん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

73/85

第69話:温かいスープと、コンプライアンス室長の誕生



 ふかふかの布の感触と、どこからか漂ってくる出汁の匂い。

 それが、聖女エレナが三年ぶりに味わった「当たり前の朝」だった。


 彼女はゆっくりと目を開けた。


 視界に入ったのは、無機質な実験室の天井ではなく、少しシミのあるプレハブの天井。そして、窓から差し込む柔らかな秋の朝日だった。


(……私、生きている……?)


 エレナは上半身を起こそうとして、自分の体に繋がれていた忌まわしいチューブが全てなくなっていることに気づいた。足首を戒めていた重い魔力拘束具もない。


 体は羽のように軽く、しかし芯にはひどい疲労感が残っている。


 彼女がベッドから降り、おぼつかない足取りで仮眠室のドアを開けると、そこには岩山のような巨影が直立不動で立っていた。


「……エレナ様。おはようございます」


 石同士が擦れるような、けれどこの上なく優しく、安心感のある声。


「……ガル……? あなた、ガルなの?」


 エレナは目を丸くした。


 彼女の知る守護像ガーゴイルは、全身がひび割れ、泥にまみれていたはずだ。だが目の前にいるガルは、黒曜石のように磨き上げられ、背中には青白く輝く立派な光の翼を背負っていた。


「はい。こちらの佐藤殿に、修復と強化を施していただきました。……今のわたしは、久我ソリューションズの『警備主任』です」


 ガルが誇らしげに胸を張る。

 その言葉の意味を理解する前に、メインスペースの方から賑やかな声が聞こえてきた。


「あ、エレナ様! 目が覚めたんですね!」


 エプロン姿の結城陽菜が、お玉を持ったままパタパタと駆け寄ってきた。


「体調はどうですか? 熱は? 吐き気とかありませんか?」


「……あ、ええと……大丈夫、です……」


 他人にここまで無防備に心配されることに慣れておらず、エレナは戸惑いながら頷いた。


「キャン、バウッ!(ボスが助けたメスだな! 俺が護衛してやるから安心しろ!)」


 ケルベロスの幼体であるクラが、エレナの足元に駆け寄り、尻尾を千切れんばかりに振って見上げた。


「……可愛い、犬……?」


「犬じゃないですよー。ケルベロスです。クラちゃん、エレナ様を困らせちゃダメでしょ」


 陽菜がクラをひょいと抱き上げると、クラは「クゥン(後輩のくせにボス面するな)」と不満げに鼻を鳴らした。


「さあ、こっちに来てください。朝ごはんにしましょう!」


 陽菜に手を引かれ、エレナは事務所のメインスペースへと足を踏み入れた。


 そこでは、信じられないほど日常的な光景が広がっていた。

 デスクでPCを睨みながらトーストを齧る佐藤。

 ソファの上で、上品に焼き魚をほぐしているケットシーのコト。

 そして、ローテーブルの上には、湯気を立てる野菜スープと、ふっくらと炊き上がった白米が並べられている。


「おはようございます、エレナ氏。よく眠れましたか?」


 久我良平が、新聞から目を上げて静かに尋ねた。彼のスーツにはシワ一つなく、まるで昨夜の激闘などなかったかのようだ。


「……久我、さん……。あの、私……」


「まずは食事にしましょう。込み入った話はその後です」


 久我が椅子を勧めると、エレナは恐る恐る腰を下ろした。


「結城さんの実家からいただいた野菜を使った、特製のポトフ風スープです。長年ポーションしか口にしていなかったあなたの胃腸にも、負担が少ないはずです」


 目の前に置かれた温かいスープ。

 ゴロゴロとしたニンジンやジャガイモが、黄金色のスープの中で輝いている。

 エレナは震える手でスプーンを持ち、スープを一口だけ口に運んだ。


「…………あっ」


 その瞬間、彼女の瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。

 野菜の甘み、肉の旨味、そして何より、誰かが自分のために作ってくれた「温かい食事」の味。それは、魔力回復効率だけを追求したポーションの無機質な味とは、対極にあるものだった。


「お、お口に合いませんでしたか!?」


 陽菜が慌てるが、エレナは首を横に振り、涙を拭いながら何度もスプーンを口に運んだ。


「……美味しい……。すごく、美味しいです……。温かい……」


 彼女は泣きながら、夢中でスープを飲み干した。

 それを見ていたガルが、満足げに石の目を細める。


「ニャ~オ(よう食べなはれ。食べることは、生きることや。ギルドの連中は、そんな当たり前のことも忘れとったんやな)」


 コトが尻尾を揺らしながら、ため息交じりに鳴いた。

 佐藤もPCの画面から目を離し、少しだけ表情を和らげた。


「……おかわり、鍋にまだあるぞ。胃が驚くから、ゆっくり食べろよ」


「……はいっ、ありがとうございます……!」


 エレナは満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、かつて「聖女」として作っていた微笑みとは違う、一人の少女としての純粋な喜びだった。


 食事が終わり、エレナに少し血の気が戻ったのを見計らって、久我がアタッシュケースを開いた。


「さて、エレナ氏。今後のあなたの身の振り方について、事務的なご相談があります」


 久我の言葉に、エレナは少しだけ体を強張らせた。


「……私、ギルドには……戻りたくありません。でも、私がいなくなったら、新宿の結界は……」


「結界についてはご心配なく。佐藤君が昨夜のうちに、ギルドのメインサーバーに『最適化プログラム』を強制インストールしておきました」


「え?」


 佐藤がドヤ顔で振り返る。


「ギルドの連中、お前の高純度魔力に甘えて、結界システムの効率化をサボってたんだよ。僕がコードを書き換えて、周辺の自然魔力マナだけでも十分維持できるようにしてやった。……まあ、連中のメンツは丸潰れだろうけどな」


「つまり、あなたが命を削ってまであの場所にいる必要は、法学的にもシステム的にも『消滅』したということです」


 久我は手帳を開き、一枚の書類をテーブルに置いた。


「とはいえ、あなたは現在『無職』です。戸籍上もギルドの管理下にありましたから、このままでは社会的な居場所がありません」


「……はい……」


「そこで、我が社からの提案です。……これを」


 久我が差し出したのは、『久我ソリューションズ・雇用契約書』だった。

 エレナは目を瞬かせ、書類に書かれた文字を追った。


「『コンプライアンス室長』……?」


「ええ。我が社は業務拡大に伴い、社内外の労働環境や契約違反を監視する『監査役』を必要としています」


 久我は眼鏡のブリッジを押し上げ、真剣な眼差しでエレナを見た。


「あなたは、現代のダンジョンビジネスにおいて最も過酷な『ブラック労働』を経験し、生き延びたサバイバーです。その経験と、嘘を見抜く『聖女の直感』は、企業の不当な搾取を暴く上で最強の武器になる」


「私が、監査役……」


「もちろん、これは提案です。もしあなたが、どこか遠くで静かに暮らしたいと望むなら、そのための新しい戸籍と資金は手配します。……どうしますか?」


 究極の選択。

 だが、エレナの心は既に決まっていた。

 彼女は、ガルの顔を見上げ、そして陽菜や佐藤、コト、クラの顔を見渡した。

 自分を「人間」として扱ってくれた、温かいこの場所。


「……私、ここで働きたいです」


 エレナは、しっかりと久我の目を見て言った。


「私みたいに、誰かの都合で搾取されて、泣いている人を……今度は私が、助けたい。久我さんたちと一緒に、戦いたいです」


「キャン!(よく言った新入り! 俺が鍛えてやる!)」


 クラが吠え、陽菜が「やったー!」と拍手をした。

 久我は満足げに頷き、ボールペンを差し出した。


「採用です、エレナ室長。……サインをお願いします。それから、午後には提携しているテーラーを呼びましょう。まずは、そのパジャマのような服を脱ぎ、戦うための『スーツ』を仕立てなければなりませんからね」


「スーツ……! はいっ!」


 エレナは力強く頷き、雇用契約書に自らの名前をサインした。


 こうして、久我ソリューションズに「警備主任ガル」と「コンプライアンス室長エレナ」が正式に加わった。

 ただの事務屋と、現場調査員、ハッカー、ケットシー、ケルベロス、スライム、ガーゴイル、そして元・聖女。


 新宿の片隅にある小さなプレハブ事務所は、気づけば、どんな巨大ギルドも真っ青になるほどの「最強の組織パーティー」へと変貌を遂げていた。


 新生・久我ソリューションズの、新たな波乱の幕開けである。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ