第64話:深淵への降下と、鋼鉄の歓迎
役員専用エレベーターの中は、地上とは別世界の静寂に包まれていた。
床には深紅の絨毯が敷き詰められ、壁は鏡面仕上げの魔導金属。天井のシャンデリアからは柔らかな光が降り注ぎ、心地よいクラシック音楽が流れている。
だが、そこに同乗しているメンバーは、その優雅さとは程遠い緊張感を漂わせていた。
久我良平は、アタッシュケースを膝に乗せ、腕時計の秒針を見つめている。
「……遅いですね。通常、地上五十階から地下五階への移動時間は約四十五秒。既に一分が経過しています」
その指摘に、PCを操作していた佐藤が舌打ちをした。
「チッ……。やっぱり気づかれましたね。ギルドの管理室が、このエレベーターを緊急停止させようとしています。動力源への魔力供給をカットされました」
ブツン、という音と共に、シャンデリアの明かりが消え、非常用の赤い回転灯だけが点滅を始めた。エレベーターがガクンと揺れ、急停止する。
「キャッ!?」
結城陽菜がバランスを崩しそうになるのを、ケットシーのコトが尻尾で支えた。
「ニャ~オ(おっと、危ないで。……閉じ込められたか?)」
コトが天井を見上げる。ガーゴイルは、その巨体を小さく折り畳むようにして隅に座り込んでいたが、停止の衝撃に喉を鳴らした。
「……これは、『封鎖プロトコル』です……。侵入者を箱ごと圧殺するための……」
「ご安心を。想定の範囲内です」
久我は動じることなく、佐藤に視線を送った。
「佐藤君。エレベーターの制御権は?」
「……あと五秒ください。今、管理室のオペレーターと綱引きしてます。向こうは物理的にケーブルを切ろうとしてますが、こっちは予備回線をハックして……よし、バイパス成功!」
佐藤がエンターキーを叩き込んだ瞬間、赤い非常灯が消え、再びシャンデリアが明るく輝き出した。エレベーターは何事もなかったかのように、滑らかに降下を再開する。
「お見事です。さすがは我が社のCTO」
「……寿命が縮まりましたよ。向こうのセキュリティ担当、結構しつこいです」
佐藤が額の汗を拭う。
やがて、チン、という軽快な到着音が響いた。
デジタル表示板には『B5』の文字。久我は立ち上がり、スーツの襟を正した。
「皆さん、準備はいいですね。ここから先は、ギルドの『恥部』です。何が出てきても驚かないように」
重厚な扉が、左右に開いた。そこから流れ込んできたのは、腐敗臭漂う冷気と、肌にまとわりつくような濃密な魔力の澱だった。
地下五階。
そこは、地上の煌びやかなロビーとは似ても似つかぬ、無機質で冷徹な空間だった。
コンクリート打ちっ放しの壁には、無数の配管が血管のように張り巡らされ、そこからドクン、ドクンと脈打つような音が聞こえてくる。
そして、通路の奥には、完全武装した兵士たちが待ち構えていた。
「侵入者確認! 総員、排除せよ!」
指揮官の号令と共に、十数名の兵士が一斉に魔導ライフルを構えた。彼らが着ているのは、ギルド職員の制服ではなく、対魔物用の重装甲パワードスーツだ。
「……ふむ。問答無用ですか。会話のコストを省けるのは助かりますが」
久我は冷静にアタッシュケースを盾のように構えた。兵士たちの背後には、『特別霊安室・立入禁止』と書かれた厳重な隔壁が見える。
「撃てぇぇッ!」
ダダダダダッ!!
魔導弾の嵐が吹き荒れる。
だが、その弾丸は久我たちには届かなかった。
「ガァァァァッ!!」
ガーゴイルが翼を広げ、久我たちの前に立ちはだかったのだ。
彼の体は石だ。通常の鉛弾はおろか、低級の魔導弾程度では傷一つ付かない。カンカンカンッ、と乾いた音を立てて弾丸が弾き返される。
「……久我殿、さがって……!」
「いいえ。ここは一方的に殴られる場面ではありません」
久我はガーゴイルの影から身を乗り出し、指を鳴らした。
「結城さん、スラちゃん、クラ。そしてコト。……『業務妨害の排除』を許可します。ただし、殺傷は避けること。彼らもまた、組織の歯車に過ぎませんから」
「はいっ! 行きます、スラちゃん!」
陽菜がモップを構えて飛び出した。
彼女の得物はただの掃除用具だが、その先端には佐藤が開発し、スラちゃんを通して触れたものを麻痺させる「スタン・ショッカー」が内蔵されている。
「えいっ!」
陽菜がモップを一閃させると、先頭のパワードスーツ兵が火花を散らして崩れ落ちた。
「なっ……掃除のおばさんか!?」
「おばさんじゃありません! 現場調査員です!」
陽菜が頬を膨らませて怒り、次々と兵士たちの足払いを決めていく。
「キャン!(ボス、あいつらの脛が一番柔らかそうだ!)」
クラもまた、装甲の隙間を狙って正確に噛み付く。ケルベロスの牙は、強化プラスチック程度の装甲なら容易に貫通する。
「うわぁっ! なんだこの犬!」
兵士たちが混乱する中、黒い影が天井を走った。
「ニャッ、ハッ!(上も隙だらけやで)」
コトだ。彼女は配管を伝って敵の頭上を取り、そこから麻痺毒を塗った針を正確に首筋へ撃ち込んだ。
「ぐっ……」
バタバタと倒れていく重装甲兵たち。久我はその光景を眺めながら、ゆっくりと歩を進めた。
「……暴力はいけませんが、正当防衛の範囲内なら許容されます」
彼は倒れた兵士の一人を跨ぎ、その胸元に名刺を落とした。
「後日、治療費と慰謝料の請求書を送りますので、労災申請と合わせて処理してください」
通路を制圧した一行は、ついに最奥の隔壁の前へと辿り着いた。
そこには、銀行の大金庫のような巨大な扉が鎮座し、幾重もの魔導ロックと、「バイオハザード」を示す警告マークが貼られている。
「……ここです。この中に、エレナ様が……」
ガーゴイルが扉に手を触れ、悲痛な声を上げた。
扉の隙間からは、尋常ではない濃度の魔力が漏れ出している。だが、それは清浄な聖女の魔力ではなく、無理やり絞り出されたような、悲鳴にも似た歪な波動だった。
「佐藤君、解錠を」
「やってます。……でも久我さん、これ、普通の電子ロックじゃない。生体認証と、呪術的な封印が複合されてます」
佐藤がPCの画面を見せながら顔をしかめた。
「『聖女の同意がない限り開かない』という呪いがかかってます。物理的に爆破しても、中の人が死ぬ仕組みです」
「……なるほど。『同意』ですか」
久我は眼鏡を押し上げ、冷ややかに扉を見据えた。
「つまり、彼女自身が『ここから出たい』と願わない限り、外からは開けられない。……実によくできた監禁システムです。絶望した人間の心理を巧みに利用している」
「どうするんですか? 説得しようにも、声が届きませんよ」
陽菜が不安そうに言う。
久我はアタッシュケースを開き、一枚の書類を取り出した。それは、先ほど作成した『移籍承諾書』だ。
「声が届かないなら、契約を書き換えればいいのです」
久我はガーゴイルの方を向いた。
「ガーゴイル様。あなたは先ほど、ご自身が『マスターキー』であると証明されましたね」
「……はい……」
「ならば、この扉のシステムにも、あなたの認識コードが埋め込まれているはずです。……佐藤君、彼の音声を扉のスピーカーに直結できますか?」
「……! なるほど、内部通話回路への割り込みですね。お安い御用です!」
佐藤がケーブルを扉のコンソールに突き刺す。ノイズが走り、スピーカーが「ブツッ」と音を立てた。
「繋がりました。……久我さん、どうぞ」
久我はガーゴイルにマイクを向けた。
「さあ、呼びかけてください。あなたの声を。……『道具』としてではなく、彼女の『友人』として」
ガーゴイルは震える石の手でマイクを握りしめた。そして、深く息を吸い込み、魂の底から叫んだ。
「……エレナ様! 聞こえますか! 私です! あなたの盾となり、剣となることを誓った……名もなき石像です!」
その声は、分厚い隔壁を超え、絶望の淵に沈む聖女の耳へと届くのか。
地下五階の廊下に、石像の祈りが響き渡る。
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次回お楽しみに。




