第63話:正面玄関の咆哮と、生きたマスターキー
新宿副都心の一等地にそびえ立つ、現代ダンジョン管理ギルド本部ビル。
地上五十階、地下五階。ガラスと魔導金属で覆われたその巨塔は、夜の闇の中で青白く発光し、都市の支配者のような威圧感を放っている。
その正面玄関前広場に、場違いな集団が現れた。
先頭を歩くのは、完璧にプレスされたスーツを着こなす男、久我良平。
その右腕には、重そうなアタッシュケース。左手には、なぜかリードが握られている。
「キャン!(ボス、あそこが敵の城か? 匂うぞ、腐った魔力の匂いだ!)」
リードの先には、勇ましく吠えるケルベロスの幼体、クラ。
そして久我の後ろには、PCを抱えて猫背で歩くCTOの佐藤と、掃除用具を槍のように担いだ結城陽菜。方にはスライムプルプルと揺れながら乗っかっている。
さらに、シルクハットを被り、二本足で優雅に歩く黒猫のケットシー、コト。
だが、通行人たちの視線を最も集めていたのは、彼らの中央に立つ巨影だった。
薄汚れた防水シートを頭から被っているが、その岩のような足音と、隙間から漏れ出す青白い光は隠しようがない。
「……久我さん。正面突破って、本当にやるんですか? 警備員、こっちを見て無線で叫んでますよ」
佐藤が震える声で言った。
「佐藤君、堂々としていなさい。コソコソするから不審者に見えるのです」
久我は歩調を緩めず、自動ドアの前で立ちはだかる警備員たちに向かって進んだ。
「止まれ! ここは関係者以外立ち入り禁止だ! アポイントはあるのか!」
警備員の一人が警棒を構え、威嚇する。
彼らはただの警備員ではない。引退したCランク以上の冒険者で構成された、実戦経験豊富な荒くれ者たちだ。
久我は足を止め、胸ポケットから一枚の名刺を取り出した。
「お勤めご苦労様です。私、久我ソリューションズ代表の久我と申します。本日は、貴ギルドの『地下設備』に関する緊急監査、および重要参考人の身柄引き渡し要請に参りました」
「監査だと? そんな話は聞いてないぞ! 帰れ!」
「聞いていないのは、あなた方の上層部が報告義務を怠っているからです。……労働安全衛生法、およびダンジョン管理規約に基づき、即時の立ち入りを要求します」
久我の言葉は、流暢だが冷徹だった。
警備員たちが顔を見合わせ、鼻で笑った。
「ハッ! 法律屋か。お前らみたいなのが毎日来るんだよ。『魔物に怪我させられた』だの『補償金を出せ』だのな。……悪いが、力ずくで排除させてもらうぞ」
警備員たちが魔力を練り上げ、警棒が赤く発光する。
陽菜がモップを構え、前に出ようとした。
「久我さん、下がって!」
「いいえ、結城さん。暴力はいけません。……ですが、こちらの『正当性』を示すには、少しばかり大きな声が必要かもしれませんね」
久我は、背後の巨影に向かって頷いた。
「ガーゴイル様。シートを外してください。そして、あなたの口で、彼らに伝えてあげなさい。あなたがここに何をしに来たのかを」
「……承知、しました……」
岩石が擦れるような低い声と共に、防水シートがバサリと地面に落ちた。
現れたのは、黒曜石のように磨き上げられたボディと、佐藤の魔力パッチによって青白く輝く翼を持つ、再生された守護像だった。
「なっ……あれは!?」
「本部の守護像!? なぜここに!?」
警備員たちが驚愕に目を見開く。
かつてこの正門を守っていた「顔」を、彼らが知らないはずがない。だが、その姿は以前よりも遥かに神々しく、そして圧倒的な魔力を帯びていた。
ガーゴイルが一歩、前に踏み出した。
ズシンッ!
その振動だけで、警備員たちの膝が笑う。
「……わたしは、苦情を言いに来た……」
ガーゴイルの咆哮が、ビルのエントランス全体を震わせた。
「主……エレナ様の命を、燃料のように使い潰す貴様らに! 『守護契約』の第十三条、主人の生命維持を最優先とする条項を……貴様らが破ったことを!」
それは、物言わぬ石像が初めて発した、魂の叫びだった。
「そ、そんな馬鹿な……。石像が喋っただと!?」
「システムのエラーか!? おい、魔導班を呼べ!」
警備員たちがパニックに陥る。その隙を見逃す久我ではない。
「佐藤君、今です。『鍵』を使ってください」
「了解! ……接続!」
佐藤がPCのエンターキーを叩く。
同時に、ガーゴイルの背中の翼が激しく明滅し、目に見えないデータストリームがギルドのセキュリティシステムへと放射された。
『認証コード:特級守護者。権限レベル:聖女直属(ルート管理者)。……アクセス承認』
無機質な電子音が響き渡ると、赤く点滅していた警備ゲートが、一斉に緑色に変わった。
ウィーン、と音を立てて、強固な魔導ロックが解除されていく。
「な、何をした!?」
「何もしていませんよ。正規の手続きです」
久我は涼しい顔でゲートを通り抜けた。
「彼はこのビルのセキュリティシステムの『生きたマスターキー』です。あなた方が彼を廃棄処分扱いにして、権限を剥奪し忘れたおかげでね」
「くそっ! 止めろ! 侵入者だ!」
警備員たちが襲いかかろうとする。だが、その前に小さな影が立ちはだかった。
「ニャ~オ(おっと、通しまへんで。久我はんの商談の邪魔はさせへん)」
ケットシーのコトが、シルクハットを取り、優雅に一礼した。
次の瞬間、彼女の長靴が爆発的な加速を生み出し、警備員の顔面に強烈な飛び蹴りを叩き込んだ。
「ぐはっ!?」
さらに、陽菜のモップが旋風のように回転し、別の警備員の足を払う。
「ごめんなさい! でも、そこを通してください!」
「キャン!(噛みつき攻撃!)」
クラも負けじと飛びかかり、警備員のズボンの裾を食いちぎる。
正面玄関は一瞬にして阿鼻叫喚の巷と化した。
だが、久我とガーゴイル、そして佐藤だけは、その喧騒を背に、悠々とロビーの中央へと歩を進めていた。
広大な吹き抜けのロビー。そこには、ギルド職員たちが呆然と立ち尽くしていた。久我はロビーの中央で足を止め、天井の高い空間に声を響かせた。
「職員の皆様、業務中にお騒がせして申し訳ありません。ただいまより、地下五階特別区画における『労働環境改善のための強制執行』を行います」
久我はアタッシュケースを掲げ、宣言した。
「抵抗される方は、業務妨害および公務執行妨害で告発します。……道を開けなさい」
その背後で、ガーゴイルが翼を広げ、威嚇の姿勢を取る。
その圧倒的な迫力と、久我の理路整然とした狂気に、誰も動くことができなかった。
「……行きましょう、エレナ様のもとへ」
ガーゴイルが、エレベーターホールの方を向いた。そこには、地下へと続く役員専用エレベーターがある。
佐藤が指先一つで呼び出しボタンを遠隔操作した。
「……来ましたよ、久我さん。地下への直通便です」
「ええ。ここからが本番です」
久我は眼鏡の位置を直し、静かに闘志を燃やした。
煌びやかなロビーの地下深く。そこに広がる漆黒の闇へ、最強の苦情処理班が降下していく。
突入開始。
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次回お楽しみに。




