第62話:石の証言と、守護契約の穴
新宿のプレハブ事務所の床が、ミシミシと悲鳴を上げている。無理もない。玄関先の狭いスペースに、推定体重三百キロはあるであろう石像が鎮座しているのだから。
泥と苔にまみれたその巨体は、見るも無残にひび割れていたが、久我良平の指示により、結城陽菜が持ってきた毛布に包まれ、少しだけ落ち着きを取り戻していた。
「……ふむ。まずは現状確認から始めましょうか」
久我はガーゴイルの前に折りたたみ椅子を置き、対面で座った。その手には、いつもの手帳ではなく、ボイスレコーダーが握られている。
「ガーゴイル様。あなたの主、聖女エレナ氏の現状について、知りうる限りの情報を開示してください。特に、彼女の拘束状況と、ギルド側との契約内容について」
ガーゴイルは、重い石の瞼をゆっくりと開いた。その瞳の奥で、微かな魔力の灯火が明滅する。
「……あの方は、いま……地下五階の『特別霊安室』に……」
「霊安室、ですか。穏やかではありませんね」
「……そこは、外部からの魔力干渉を遮断する……絶対隔離区画……。あの方はそこで、生命維持装置のような管に繋がれ……生きながらにして、魔力を吸い上げられています……」
石同士が擦れるような、痛々しい声が響く。
陽菜が口元を押さえて息を呑んだ。
「ひどい……。そんなの、もう治療じゃなくて……」
「……拷問、あるいは生体実験ですね」
CTOの佐藤が、冷徹に言葉を継いだ。彼はPCを操作しながら、ガーゴイルの背中にある「魔力コネクタ」の解析を行っていた。
「久我さん、こいつの背中を見てください。ギルドの刻印が入ってますが、その上から乱暴に書き換えられた痕跡があります。『自律思考回路』を物理的に切断しようとした跡です」
「……なるほど。ギルド側は、彼が『心』を持つことを良しとしなかったわけですか」
「ええ。単なる動く石像として扱いたかったんでしょう。でも、聖女エレナがこっそりと彼に魔力を分け与え、自我を維持させていた形跡があります」
佐藤の解析結果を聞き、ガーゴイルが震えた。
「……そうです……。あの方は、わたしを『道具』ではなく……『友達』と呼んでくれました……。だから、わたしは……命令に背いてでも、あの方を守りたかった……」
その言葉に、ケットシーのコトが静かに近づき、石の肩に手を置いた。
「ニャ~オ(あんさん、立派な騎士やな。石の体でも、心は誰よりも熱いわ)」
コトの言葉は、久我を通してガーゴイルにも伝わったようだ。彼は深く首を垂れた。
久我は頷き、レコーダーを止めた。
「状況は把握しました。ギルド本部は、聖女エレナ氏を『所有物』として扱い、その権利を主張しています。……ですが、ここに法的な抜け穴があります」
久我は立ち上がり、ホワイトボードに図を描き始めた。
「彼らが結んでいるのは『雇用契約』ではなく『守護契約』です。形式上、エレナ氏はギルドの守護対象であり、ギルドはその対価として彼女の魔力を受け取る。……そうですね?」
「……はい、そのはずです……」
「ならば、話は早い。民法第六百四十四条、受任者の善管注意義務。ギルド側がエレナ氏の生命を脅かすような管理を行っている時点で、この契約は債務不履行により破綻しています」
久我は眼鏡のブリッジを押し上げ、ニヤリと笑った。
「つまり、現在の拘束は不当なものであり、彼女はいつでも契約を解除できる。……問題は、それを実行するための『物理的なアクセス権』がないことですが」
「……アクセス権なら、ここにありますよ」
佐藤がパチンと指を鳴らした。
「久我さん。こいつ……ガーゴイルの体内コードを解析したら、面白いものが見つかりました。ギルド本部の『裏口』の鍵です」
「ほう?」
「彼は元々、聖女を守るための最高セキュリティ権限を持っていました。ギルドの連中は彼を廃棄処分にしたつもりでしょうが、権限の抹消手続きを忘れています。……つまり、彼自身が『歩くマスターキー』なんです」
佐藤の目が、ハッカー特有の獰猛な輝きを帯びる。
「彼を連れて行けば、地下五階の絶対隔離区画だろうが、役員室だろうが、顔パスで入れますよ」
その提案に、ガーゴイルが身を乗り出した。
「……わたしが、鍵に……? でも、今のわたしはボロボロで……まともに歩くことも……」
「ご心配なく。修理も業務の一環です」
久我はアタッシュケースから、一瓶の液体を取り出した。それは、以前の依頼報酬で手に入れた高純度の魔力接着剤だ。
「佐藤君、構造的な修復を。結城さん、表面の洗浄と研磨をお願いします。……これから彼を、新品同様の『特級守護像』に仕立て上げます」
「了解! 泥だらけじゃ可哀想だもんね。ピカピカにしてあげる!」
陽菜がバケツとブラシを持って駆け寄る。その足元で、ケルベロスのクラも尻尾を振った。
「キャン!(おい新入り! 俺が先輩だぞ! 背中の痒いところがあったら言えよ!)」
クラがガーゴイルの足元を舐める。どうやら、同じ「人外」の仲間として親近感を抱いているようだ。
佐藤は魔導ツールキットを取り出し、ガーゴイルのひび割れを埋めていく。
「……久我さん、ついでに僕オリジナルの『強化パッチ』も当てていいですか? 出力を三割増しにできますけど」
「許可します。ただし、暴走しない範囲で」
「言われると思いました。……よし、再起動プロセス開始!」
事務所が即席の工房へと変わった。
陽菜がブラシで苔を落とし、佐藤が魔力回路を繋ぎ直し、コトが「気合入れや」と応援する。
その光景を見て、ガーゴイルの石の瞳から、再び温かい光が漏れ出した。
「……ありがとう、ございます……。こんな、石ころのために……」
「お礼は結構です。これは先行投資ですから」
久我は完成した書類――『契約解除通告書』と『移籍承諾書』をクリアファイルに収めた。
「さあ、準備は整いました。時刻は現在、十八時三十分。ギルド職員の多くが退勤し、警備が手薄になる時間帯です」
久我はスーツの襟を正し、生まれ変わったガーゴイルを見上げた。
泥と苔が落ち、本来の黒曜石のような輝きを取り戻した守護像。その欠損していた翼は、佐藤の魔力補強によって青白く輝く「光の翼」として再生されていた。
「行けますか、ガーゴイル様」
「……はい。あの方を迎えに」
ガーゴイルが立ち上がる。その動作には、もはや軋み音はない。
「では、参りましょう。名目は『外部監査』および『緊急設備点検』です」
久我がドアを開け放つ。外の空気は冷たいが、彼らの熱意を冷ますほどではない。
新宿の夜景に、一つの石像と、四人と一匹と一匹(?)の影が躍り出る。
目指すはギルド本部ビル。
正面玄関からの堂々たる「カチコミ」が、今まさに始まろうとしていた。
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次回お楽しみに。




