第59話:封印のメンテナンスと、大人の和解
村の集会所での「裁判」から数時間後。結城家の居間には、何とも言えない安堵の空気が流れていた。
「……信じられん。あの村長が、頭を下げて謝罪するなんて」
陽菜の父、源蔵が湯呑みを両手で包みながら、まだ夢見心地で呟いた。隣で母親の松子も、目を赤くして頷いている。
「本当にねぇ。この何年か、ずっと権田さんの嫌がらせに我慢してきたのが、嘘みたいだわ」
「お父様、お母様。感傷に浸るのはまだ早いです」
久我良平は、勝利の余韻に浸ることなく、手帳を開いて次のスケジュールを確認していた。
「法的な決着はつきましたが、まだ『現場の保全』が完了していません。権田氏が最後に口にした『封印』という言葉……あれは単なる負け惜しみではない可能性があります」
「封印、か。確かに裏山には古びた祠があるが、あれはただの石積みだぞ?」
「ええ。ですが、不動産において『古びた物件』ほど、見えない瑕疵が隠れているものです」
久我は立ち上がり、スーツの埃を払った。
「佐藤君、機材の準備を。コト、あなたは村の古老たちから、あの祠の由来を聞き出してください」
「はいはい。休憩なしかよ……」
「ニャー(了解や。年寄りの昔話を聞くのは得意中の得意やで)」
コトがウインクし、窓からするりと外へ飛び出した。
一行は再び、問題の裏山へと足を踏み入れた。
昨夜の騒ぎでタヌキたちは消え去り、静寂が戻っている。だが、山の中腹にある「あかずの祠」に近づくにつれて、空気が重くなるのを全員が感じていた。
「……ここです。子供の頃、ここには近づくなと言われてました」
陽菜が指差した先には、苔むした小さな石の祠があった。しめ縄は腐り落ち、石組みの一部が崩れている。
「キャン……(ボス、ここ臭いぞ。古い魔力の匂いだ)」
クラが鼻を鳴らし、警戒して毛を逆立てた。
「佐藤君、解析を」
「やってます。……うわ、すごい数値だ。この祠、局所的な魔力スポットの上に建ってますね。地下の魔力脈から漏れ出したエネルギーを、この石組みで無理やり押さえ込んでいたみたいです」
佐藤がタブレットの画面を見せる。そこには、祠を中心にして真っ赤な警告色が広がっていた。
「なるほど。つまり、この祠は『魔力フィルター』の役割を果たしていたわけですね」
久我が納得顔で頷いた。
「しかし、経年劣化で石組みが崩れ、フィルター機能が低下していた。そこから漏れ出した高純度の魔力に引き寄せられて、ファイア・ラクーンたちが集まっていた……というのが真相でしょう」
「権田の爺さんが言ってた『神使様』ってのは、あながち間違いじゃなかったのか?」
源蔵が驚きの声を上げる。
「ええ。彼らは本能的に、この場所が『特別な餌場』だと理解していたのです。権田氏の餌付けは、それを加速させたに過ぎません」
その時、茂みがガサリと揺れた。現れたのは、憔悴しきった様子の権田だった。手には鎌ではなく、萎れた花を持っている。
「……やはり、お前たちか」
権田は力なく呟いた。集会所での勢いは見る影もない。
「ワシの負けじゃ。村八分になる前に、最後にお詫びに来たのじゃ……。神様にも、お前たちにもな」
彼は祠の前に花を供えようとして、よろめいた。
「権田様」
久我が声をかけた。それは追及する声ではなく、ビジネスパートナーに提案する際の声だった。
「あなたはこの祠が壊れかけていることを、知っていたのではありませんか?」
「……ああ。十年前の地震でヒビが入った。修理しようにも金がなくてな。だから、せめてお供え物をして、神様の機嫌を損ねないように必死だったのじゃ」
権田が地面に崩れ落ち、涙を流した。
「ワシはただ、先祖代々守ってきたこの土地を、守りたかっただけなんじゃ……。だが、やり方が間違っておったんじゃな」
その姿を見て、源蔵がバツが悪そうに視線を逸らす。長年の確執があったとはいえ、老人が泣く姿を見るのは気分のいいものではない。
「……久我さん。なんとかならねぇのか?」
源蔵が小声で聞いた。
「もちろんです。問題があれば、解決策を提示するのが私の仕事です」
久我は権田の前に歩み寄り、ハンカチを差し出した。
「権田様。あなたの行為は法的にはアウトですが、その動機である『管理責任』への意識は評価に値します」
「……な、なんじゃと?」
「そこで提案です。この祠の修繕、および今後の維持管理について、我々久我ソリューションズと『業務委託契約』を結びませんか?」
久我はアタッシュケースから、新しい契約書を取り出した。
「祠の修復は、最新の魔導セメントと結界技術を用いて佐藤君が行います。費用は、先ほどの損害賠償請求額と相殺しましょう」
「そ、そんなことができるのか!?」
「ええ。その代わり、あなたは今後『神使への餌付け』ではなく、『正規の管理人』として、この祠周辺の清掃と見回りを行っていただきます。もちろん、結城家の敷地には入らないという条件で」
権田が顔を上げた。その目には、絶望ではなく希望の光が宿っていた。
「ワシが……管理人? 神様を守り続けてもいいのか?」
「はい。ただし、これからは『独りよがりの信仰』ではなく、『地域社会と共存する管理業務』としてです。……どうですか、お引き受けいただけますか?」
「う、うう……っ! ありがとう、ありがとう……!」
権田は地面に額を擦り付けて号泣した。久我は満足げに頷き、佐藤に目配せした。
「佐藤君、施工開始です。工期は一時間。耐久年数は五十年保証で」
「了解。ちゃっちゃと終わらせます」
佐藤が携帯型の魔導プリンタを取り出し、祠の崩れた部分を修復していく。その様子を眺めながら、源蔵が久我に話しかけた。
「……あんた、人が悪いな。最初からこうするつもりだったんだろ?」
「いいえ。現場の状況に合わせてプランを修正しただけです。……それに」
久我はちらりと陽菜の方を見た。
「敵を完全に叩き潰せば、後に残るのは怨恨だけです。それは将来的に、結城家にとってのリスクになる。ならば、敵を『管理下』に置いて共存させる方が、合理的でしょう?」
その言葉を聞いて、源蔵は深く溜息をつき、そしてニヤリと笑った。
「……へっ。合理的、か。冷たい言い方だが、あんたみたいな上司がいてくれれば、陽菜も安心だ」
源蔵が太い腕で、久我の背中をバンと叩いた。
「久我さん。あんたは怖ぇ男だが、頼りになる。……娘をよろしく頼むな」
「お父様、痛いです。……ですが、承知いたしました。彼女は我が社の優秀な社員ですから」
久我は少しだけよろめきながらも、真摯に答えた。
「陽菜! お前、いい職場を見つけたじゃねぇか!」
「えへへ、でしょ? ちょっと変わってるけど、最高の事務所なんだよ!」
陽菜が嬉しそうに笑い、クラを抱き上げた。
「キャン!(ボスは当然すごいんだ! もっと褒めろ!)」
クラも誇らしげに胸を張っている。
一時間後。
修復された祠の前で、権田と源蔵がぎこちなく握手を交わした。
「……すまんかったな、源蔵さん」
「いいってことよ。これからは喧嘩せずにやろうや」
その光景を、コトが木の上から眺めていた。
「ニャ~オ(やれやれ。雨降って地固まる、っちゅうやつか。久我はんの『事務処理』も、たまには粋なことしまんなぁ)」
こうして、神去村の騒動は、書類上の解決だけでなく、心のアフターケアも含めて完了した。
田舎の夜風が、もう焦げ臭くはない。
虫の声と、遠くで聞こえる佐藤の「やっとWi-Fiが安定した……」という安堵の声だけが響いていた。
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次回お楽しみに。




