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【2部完結】現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜  作者: ぱすた屋さん


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第57話:境界線の攻防は、まだ始まったばかり

 

 結城家の裏手に広がる畑と、その奥にある古い納屋。

 そこは本来、静寂に包まれているはずの場所だが、今夜は異様な熱気と焦げ臭い匂いが充満していた。


 闇の中で、ゆらゆらと赤い光が揺れている。

 それは松明の火ではない。体長五十センチほどの、丸々と太ったタヌキのような生き物の尻尾が、蝋燭のように燃えているのだ。


 ファイア・ラクーン。Fランクの低級魔物だが、その生態は極めて厄介だ。彼らは興奮すると体温を急上昇させ、尻尾の発火現象を引き起こす。木造家屋の多い日本の農村にとっては、歩く放火魔と言っても過言ではない。


「……おい! 権田! てめぇ、またうちの敷地で何やってやがる!」


 先行した結城源蔵が、懐中電灯を振り回しながら怒鳴った。


 光の先に浮かび上がったのは、ボロボロの作務衣を着た白髪の老人、権田ごんだだった。彼は手にしたザルから、無造作に野菜くずを地面にばら撒いている。

 その足元には、五匹のファイア・ラクーンが群がり、夢中で餌を貪っていた。


「……騒々しいのう。神使しんし様がお食事中じゃ。静かにせんか」


 権田は悪びれる様子もなく、しわがれた声で言った。

 その目はどこか虚ろで、こちらの言葉が届いていないかのような不気味さがある。


「神使様だと!? それはただの害獣だ! 見ろ、納屋の柱が焦げてるじゃねぇか! 火事になったらどう責任取るつもりだ!」


「火事? 馬鹿を言うな。これは聖なる浄化の火じゃ。この土地の穢れを焼いてくださっておるのじゃよ」


「ふざけんな! 俺のトマトとナスを食わせるのが浄化かよ!」


 源蔵が激昂して詰め寄ろうとする。

 すると、餌を食べていたタヌキたちが一斉に顔を上げ、「キィーッ!」と威嚇音を上げた。その尻尾の炎がボッと勢いを増し、周囲の枯草がチリチリと音を立てる。


「……おっと、お父様。それ以上近づいてはいけません」


 冷静な声と共に、久我良平が源蔵の前に滑り込んだ。

 彼はスーツの袖口からすすを払う動作をしながら、眼鏡の位置を直した。


「火の粉が飛んでいます。化繊の服は引火しやすい。ここはプロにお任せを」


「久我さん……しかし」


「大丈夫です。……初めまして、権田様とお見受けします」


 久我はタヌキたちの威嚇を無視して、権田に向かって深々と一礼した。そして、いつものように名刺を差し出す。


「私、結城家の顧問コンサルタントを務めております、久我ソリューションズ代表の久我です。以後、お見知りおきを」


 権田は差し出された名刺を一瞥もしなかった。


「……コンサル? 知らん言葉じゃ。東京の人間か? 帰れ。ここは神域じゃ。余所者が土足で入っていい場所ではない」


「神域、ですか。確かに、信仰の自由は憲法で保障されています。ですが権田様、あなたが今行っている行為には、いくつかの法的な問題があります」


 久我は名刺を引っ込め、代わりに手帳を開いた。


「まず、鳥獣保護管理法における『餌付け』の問題。野生鳥獣、特に魔物への無許可の給餌は、生態系を乱す行為として環境省のガイドラインで厳しく制限されています。さらに、ここは結城家の私有地です。刑法第百三十条、住居侵入罪が成立します」


「……法律? そんな紙切れ、山の神には通用せんわ!」


 権田が錫杖を地面に叩きつけた。


「ここはワシの土地じゃ! 昔から、あの石よりこっちは権田家の縄張りじゃ!」


 彼が指差したのは、畑の隅にある苔むした大きな岩だった。久我がチラリと佐藤に目配せをする。

 佐藤は即座にPCを開き、画面を確認した。


「……久我さん。公図こうずと照らし合わせました。あの岩は確かに境界標ランドマークとして使われていたようですが、GPS座標で見ると、現在の彼がいる位置は完全に結城家側の敷地内です。約三メートルほど越境しています」


「ありがとう、佐藤君。……聞きましたか、権田様。あなたの主張する縄張りは、測量技術の進歩によって否定されました」


「うるさい! 機械の数字なんて信じられるか! ワシがここだと言えばここなんじゃ!」


 権田が叫ぶと、それに呼応するようにタヌキたちが興奮し始めた。

 彼らの尻尾から火の玉が飛び散り、ついに納屋の壁板に火が移った。


「あっ! 納屋が!」


 陽菜が悲鳴を上げる。

 源蔵が消火のために走ろうとするが、タヌキの一匹が火を吐いて進路を塞いだ。


「キシャーッ!!」


「……どうやら、言葉での説得は『準備不足』のようですね」


 久我はため息をつき、ネクタイを少しだけ緩めた。


「実力行使による消火活動、および不法侵入者の排除を行います。……クラ、出番です」


「キャン!(ボス、あいつら食べていいか? こんがり焼けてて美味そうだ!)」


 陽菜の足元でウズウズしていたケルベロスの幼体、クラが飛び出した。

 彼はタヌキたちよりも一回り小さい。だが、その影だけが、月明かりに照らされて巨大な三つ首の魔獣として地面に伸びていた。


「食べるのは禁止です。威嚇プレッシャーだけで追い払いなさい。……ただし、二度と来たくなくなる程度に」


「バウッ!(了解だ、ボス!)」


 クラが大きく息を吸い込み、腹の底から咆哮した。


「グルルルゥゥゥ……ガウッ!!」


 その声には、魔獣の王としての格の違い(ランク・ギャップ)が込められていた。Fランクのタヌキたちが、恐怖で毛を逆立てて硬直する。

 タヌキたちの尻尾の炎が、恐怖で一瞬にして消え失せた。


「キュ……キューン!」


 蜘蛛の子を散らすように、タヌキたちが山の方へ逃げ出していく。神使としての威厳など微塵もない、ただの怯えた小動物の姿だった。


「な、なんじゃ!? 神使様が逃げた!?」


 権田が狼狽える。

 その隙に、佐藤が携帯型の消火スプレーを取り出し、納屋の壁に吹き付けた。


「……鎮火よし。ボヤで済みましたね」


「コト、今のうちに『境界線』の仮設定を」


「はいな、久我はん」


 コトが懐から赤いビニール紐を取り出し、目にも留まらぬ速さで二本の杭を打ち込んだ。それは、佐藤が示したGPS座標に基づいた、正確な土地の境界線だ。


「ここから先がウチらの陣地、そっちがあんさんの陣地や。これ以上入ってきたら、泥棒猫……やのうて、泥棒狸として扱わせてもらいますえ」


 コトがシルクハットの縁をなぞりながら、艶然と微笑む。

 権田は、逃げ去ったタヌキたちと、目の前に引かれた赤い紐、そして得体の知れない「都会の連中」を見て、顔を真っ赤にして震えた。


「……覚えておれ! 神罰が下るぞ! この村に災いが起きても知らんからな!」


 捨て台詞を吐いて、権田は自身の家の方へと逃げ帰っていった。静寂が戻った畑には、焦げた草の匂いだけが残っている。


「……助かったよ、久我さん。あいつ、あんなに大人しく引き下がったのは初めてだ」


 源蔵が肩の荷が下りたように座り込んだ。

 だが、久我の表情は厳しいままだ。


「いいえ、お父様。これは解決ではありません。一時的な対処療法に過ぎない」


 久我は、権田が消えた闇の方角を見つめた。


「彼は『神罰』と言いました。それは単なる脅しではなく、何らかの根拠があるのかもしれません。……結城さん、この村に伝わる伝承や、古いほこらのようなものはありますか?」


 陽菜が少し考えてから答えた。


「うーん……。そういえば、裏山の中腹に『あかずの祠』があったような。子供の頃、絶対に近づいちゃダメって言われてましたけど」


「……ビンゴですね。土地の境界トラブルの裏には、往々にして『触れてはいけない過去』が埋まっているものです」


 久我は手帳を閉じ、空を見上げた。


「明日は早起きしましょう。法務局だけでなく、村の図書館……あるいは古老への聞き込みが必要です。この土地には、登記簿に載っていない『契約』が存在する可能性があります」


「キャン……(ボス、あいつの匂い、嫌な感じがしたぞ。腐った土の匂いだ)」


 足元に戻ってきたクラが、不安そうにクゥンと鳴いた。久我はその頭を撫でる。


「ええ、私も同感です。……佐藤君、明日はドローンを飛ばしてください。裏山の全貌をマッピングします」


「了解です。……でも久我さん、これって本当に『慰安旅行』なんですか?」


「何を言っているのですか。トラブル解決こそが、我々にとって最高のレクリエーションでしょう?」


 久我は不敵に笑い、納屋の焼け焦げた跡を指でなぞった。

 そこには、単なる獣害では説明がつかない、奇妙な魔力残滓がこびりついていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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次回お楽しみに。

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